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準暴力団「怒羅権」の創設メンバーとして知られる汪楠(ワンナン)さん。
その汪楠さんは、元怒羅権のメンバーとしてメディアにも多数出演し、情報番組のコメンテイターまで務め、NPO法人「ほんにかえるプロジェクト」発起人としても活動していました。
そんな汪楠さんの現在や若い頃の生い立ち、さらには怒羅権の総長・佐々木秀夫さんとの関係について、世間の人々が関心を示しています。
そこで今回の記事では、
・汪楠(怒羅権)の若い頃や生い立ち
・汪楠(怒羅権)と佐々木秀夫の関係性
の3つのポイントに沿って、怒羅権のメンバー・汪楠さんについて、詳しくご紹介したいと思います。
汪楠(怒羅権)の現在は刑務所!?

元怒羅権のメンバーである汪楠さんは、2023年10月10日に強盗傷害の容疑で逮捕されましたが、現在の状況については明確な情報がないため、汪楠さんが刑務所に収監されているかどうかは、確認できませんでした。
汪楠さんは2023年3月21日に、東京都豊島区東池袋で発生した強盗事件に関与したとして、同年10月10日に強盗致傷容疑で逮捕されました。
この事件では、犯行グループが点検業者を装ってマンションの一室に押し入り、中国人経営者の男性の両手足を結束バンドで縛り、現金109万円とノートパソコン5台を強奪し、逃走。
先に逮捕された実行役のスマートフォンなどから、汪楠さんが指示役として浮上し、警察は逮捕に踏み切りました。
警察の取り調べに対し、汪楠さんは「全く身に覚えがない」と否認し、逮捕についても「納得していない」と話していたそうです。
汪楠さんの逮捕時はメディアで大きく報じられたにも関わらず、起訴については全く報道がないため、彼の現在の状況は確認ができませんでした。
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汪楠(怒羅権)の若い頃や生い立ち!

元怒羅権の汪楠さんの若い頃や波乱万丈の生い立ちについて、以下のようにまとめてみました。
1.出生と家庭環境
汪楠さんは1972年に中国・吉林省長春市で、外科医の父親とバスガイドの母親のもとに生まれました。
彼の家族は当時の中国でも屈指のエリート家系で、父親の兄弟たちは医者や大学教授、政治家などの職業に就いていました。
2.幼少期と教育
汪楠さんは7歳で小学校に入学しますが、父親の仕事の都合で10回以上の転校が原因で、精神的に不安定となり拒食症になったことがあるという。
また、彼の両親は離婚しており、父親は中国の政治に失望して来日し、中国残留孤児の日本人女性と再婚しています。
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3.日本へ移住
汪楠さんは1986年に、父親に誘い出されて姉と一緒に14歳で来日し、他の孤児家族と共に一時入所施設に住み、その後、東京都江戸川区の古い木造アパートで、父親と継母、姉、継母の連れ子の5人で暮らしていました。

出典元:X
4.中学時代
来日後、汪楠さんは江戸川区立葛西中学校へ編入して日本語教育を受け、当時、同校には中国残留孤児2世が60人ほど在籍しており、彼らに対して差別的ないじめが行われていたそうです。
汪楠さんはこの頃から強い疎外感を抱くようになり、日本社会への不満を募らせていったという。
5.怒羅権との関り
中学生の頃から汪楠さんは、中国残留孤児2世や3世の子供たちが集まるコミュニティーと結びつきを深め、グループが「怒羅権」を名乗り始めた頃には、暴走族、薬物、窃盗、暴力などの非行に走るようになり、彼は暴走族やヤクザとして活動し、様々な犯罪に関与しました。
★チャイニーズドラゴン(怒羅権)に関する記事はこちらをご覧ください。
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6.暴走族からヤクザへ
汪楠さんは暴走族として名を馳せ、17歳の時に住吉会系の暴力団にスカウトされ、怒羅権を兼任しながらヤクザとしても活動していました。
18歳の頃には、汪楠さんの金を盗んだ組員の左腕を日本刀で切り落とし、少年院に入所しており、出所後は違法ポーカー店の運営に関与しました。
さらに、彼はヤクザや一般企業に事務所に忍び込み、小切手や手形を盗むなどの犯罪を繰り返し、岐阜刑務所で13年間服役した経歴があります。
7.怒羅権からNPO法人設立
汪楠さんは刑務所を出所後に怒羅権から脱退し、犯罪から身を引くために東村山に移住をしており、そこで犯罪と無関係な人々と交流を深め、ホームレス支援や残留孤児、精神疾患者の支援を始めました。
そして、葛西に戻ってからはNPO法人立ち上げ、寄付で集めた本を全国の受刑者に差し入れる「ほんにかえるプロジェクト」を続け、受刑者や出所者の更生を支援する活動を行っていました。
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汪楠(怒羅権)と佐々木秀夫は対立関係?

元怒羅権メンバーである汪楠さんと、初代怒羅権総長の佐々木秀夫さんとの関係は、複雑で対立的な面があるようです。
佐々木秀夫さんは、葛西中学校時代の汪楠さんの2つ上の先輩で、汪楠さんが怒羅権に関わり始めた頃には、佐々木秀夫さんは既に総長としてグループを率いていました。
後に汪楠さんが自著「怒羅権と私」を発表した際、メディアで自身が怒羅権の創設メンバーとしての立場を主張したことが、佐々木秀夫さんとの対立の原因となりました。
佐々木秀夫さんは、汪楠さんについて「同じ中学校の後輩で、同じ境遇の後輩ではありますが、彼は決して怒羅権ではない。」と発言しています。

そして、佐々木秀夫さんは汪楠さんの発言や自伝の内容を「嘘ばかり」と批判しており、怒羅権に関する記述の殆どが事実ではないと主張しています。
さらに佐々木秀夫さんは「俺が唯一言いたいのは、『怒羅権』という3文字に縋りつかずに、本を刑務所に送る活動を頑張って欲しい」と語っています。
これに対して、汪楠さんは自分の経験を基にした発言であると反論していますが、佐々木秀夫さんは彼の「ほんにかえるプロジェクト」はとても応援しているし、対立関係でもないと話していました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな汪楠さんを、引き続き注目していきたいと思います。