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かつてはバラエティ番組や舞台で”知的な芸能人”として親しまれたラサール石井さん。
しかし、近年、SNS上での過激な政治批判や、過去に炎上した浅田真央さんへの発言が繰り返し話題となり、「おかしくなったのでは?」と囁かれるようになり、一体彼に何が起きたのでしょうか?
そこで今回の記事では、
・ラサール石井の政治批判
・ラサール石井の浅田真央発言
・ラサール石井の「おかしくなった」要因
・ラサール石井の活動スタイルの変遷
の5つのポイントに沿って、ラサール石井さんの発言の変遷とその背景について、深掘りしていきたいと思います。
ラサール石井が「おかしくなった」のはいつから?

かつては高学歴芸人として、知的な笑いや巧みな司会進行で人気を博したラサール石井さん。
しかし、近年では「おかしくなったのでは?」という声が、ネット上で散見されるようになりました。
その変化は一体いつ、そして、なぜ起こったのでしょうか?
その分岐点とされるのは、2010年代後半から本格化したSNSでの政治的・社会的な発言です。
これまでは、テレビという”場”で制約がある表現をしていたラサール石井さんはが、X(旧Twitter)という自由度の高い空間で、政府批判や社会的課題への鋭い意見を積極的に発信するようになりました。
特に顕著だったのが2018年以降で、安倍政権への強い批判や選挙に関する発言、芸能界における忖度への皮肉などが増え、彼の言動は次第に「芸人の範疇を越えたもの」として注目され始めます。
2020年のコロナ禍では、マスク政策や五輪開催に関する痛烈な投稿が波紋を呼び、「社会派」の一面が際立ちました。
その一方で、表現の過激さや誤情報、感情的な口調が批判を集めることも多くなり、SNS上での炎上も頻発するようになります。
これらが積み重なる中で、「昔と人が変わった」「おかしくなった」と感じる人が増えていったと見られています。
ただし、この「変化」は、社会の変動や表現媒体の移行とともに起こった、言わば”パブリックイメージの軌み”とも捉えられます。
かつての「愛され芸人」の枠組みが、時代と共にラサール石井さんのスタンスとズレ始めたのかもしれません。
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ラサール石井の政治批判の過激化

ラサール石井さんは近年、SNS上での政治的発言の過激化が目立ち、「おかしくなった」との声が広がる要因となっています。
その変化は特に2020年以降は、社会的な出来事に対する強い批判が相次ぎました。
新型コロナウィルス対策への批判
ラサール石井さんの新型コロナウィルス対策への批判は、彼の政治的スタンスがより鮮明になった象徴的な局面であり、世間の評価が大きく分かれるきっかけにもなりました。
■「人体実験」発言
2021年10月、ラサール石井さんは、「X」で当時の自民党政権によるコロナ対応について「コロナ禍に自民政権だったせいで、死ななくてもいい人まで死んだ。人体実験を試したからだ。」と投稿しました。
この「人体実験」という表現は非常に強烈で、SNS上では「亡くなった人への冒涜ではないか」「言葉の選び方が不適切すぎる」という批判が殺到しました。
特に、親交のあった志村けんさんの死を、引き合いに出すようなコメントも見られ、「盟友の死を政治利用している」と受け取られる側面もありました。
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■アベノマスクへの皮肉
ラサール石井さんは同年11月には、政府が配布した布マスク(通称アベノマスク)の在庫問題に対して、「捨てたら捨てたで怒られるしな。核廃棄物みたいな状態」と投稿。
この比喩もまた、「不謹慎」「例えが極端すぎる」として物議を醸しました。
■発言の背景にある”怒り”と”信念”
これらのラサール石井さんの発言は、単なる炎上狙いではなく、彼自身の「命を軽視する政治への怒り」や「権力への不信感」が根底にあると見る向きもあります。
彼にとっては、芸人という立場を越えてでも伝えたい社会への警鐘だったのかも知れません。
ただし、ラサール石井さんの表現の強さや言葉の選び方が、かえって本来のメッセージをかき消してしまい、「過激」「おかしくなった」との印象を強める結果になったとも言えるでしょう。
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ウクライナ情勢とクラスター弾批判

2023年7月、アメリカがウクライナへのクラスター弾供与を決定した際、ラサール石井さんはXで日本政府の対応を激しく批判しました。
日本政府が「2国間のやり取りであり、コメントは差し控える」とした姿勢に対し、彼は次のように投稿しています。
この発言は、クラスター弾の非人道性を強調しつつ、日本政府の”対米追従”と見なされる姿勢に対する苛立ちを表現したものでした。
■世間の反応と評価の分断
この投稿に対しては、「よく言った」「日本の声をもっと上げるべき」といった支持の声がある一方で、「芸人が軍事問題に口を出すな」「感情的すぎる」といった批判も寄せられました。
ラサール石井さんの発言が”政治的すぎる”と受け取られる背景には、芸能人に求められる「中立性」や「娯楽性」とのギャップがあるのかもしれません。
この件は、ラサール石井さんが国内問題だけでなく、国際的な人道問題にも強い関心を持っていることを示す一方で、彼の発言が「芸人の枠を超えた」として、賛否を呼ぶ典型的な例でもあります。
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麻生太郎氏への個人的批判
■「ガン無視事件」とブログでの怒り爆発

出典元:jiji.com
発端は2008年11月、東京・亀有で行われた『こち亀』の両さんの銅像の除幕式でした。
ラサール石井さんは、アニメ版で両津勘吉の声を担当したことから出席しましたが、当時の麻生太郎首相が登壇した際に、ラサール石井さんに一切目を合わせず、握手も交わさなかったとブログで告白しました。
「なんと総理はおいらをガン無視。えー、握手どころか、一回も目を合わす事もない」「いやあ、なんかヘンだよこの人。馬鹿だなぁ」
この投稿はすぐにネット上で拡散され、「器が小さい」「芸人なら笑いに変えるべき」といった批判が殺到し、結果的に、当該ブログは削除される事態となりました。
■「ポチ2号発言」とトランプ会談への批判
2024年4月には、麻生太郎氏がアメリカでトランプ前大統領と会談したことに対し、ラサール石井さんはXで次のように投稿しました。
「トランプに尻尾を振るためにポチ2号が渡米」「これでトランプが大統領になれば、岸田総理はお手のポーズをさせられるのだろう。」
この投稿では、麻生太郎氏を”アメリカに追従する存在”として揶揄し、「ポチ2号」という強烈なレッテルを貼ることで、対米外交への不満を表現しています。
■批判の根底にあるもの
これらの発言は、単なる個人的な感情だけでなく、「権力者への忖度」や「対米追従外交」への強い不信感がにじんでいます。
2008年の”無視された怒り”が原点にあるとすれば、2020年代の発言はそれが政治的信念と結びつき、より鋭利な批判へと変化したとも言えるでしょう。
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兵庫県知事選に関する発言
■発端:兵庫県知事選と再選の衝撃

出典元:J-castニュース
2024年11月に行われた兵庫県知事選では、パワハラ疑惑などで不信任案決議を受けて自動失職した斎藤元彦氏が再選を果たしました。
序盤は劣勢と報じられていたものの、SNSを中心に支持を集め、最終的に約11万票を獲得し、前尼崎市長の稲村和美氏を破りました。
■ラサール石井さんの投稿
この結果を受けて、ラサール石井さんはXで次のように投稿しました。
「社会の底が抜けた。兵庫県民の皆さん大丈夫えすか。政治に無関心な人が、選挙に行かなかった人が、彼を当選させた」
この発言は、選挙結果そのものだけでなく、有権者の判断力や関心の低さを批判したものと受け取られ、SNS上で大きな波紋を呼びました。
この投稿には、Xのコミュニティーノートで、「今回の投票率は55.65%と前回より大幅に上昇しており、『選挙に行かなかった人が当選させた』という認識は誤りである」との注釈が付きました。
また、一般ユーザーからも「投票に行った人が斎藤氏を選んだのに、それを”無知”と決めつけるのは失礼だ」といった批判が相次ぎました。
実業家の堀江貴文(ホリエモン)氏も「自分にとって不都合な情報は『不確か』になるのがラサール石井クオリティ」と皮肉を込めた投稿をしています。
■反論と持論の貫徹
批判を受けたラサール石井さんは翌日、次のように反論しました。
「政治に無関心な人が何も知らずに、自ら考えることなく不確かな情報に流され、投票したということです。」
つまり、ラサール石井さんは「投票に行ったかどうか」ではなく、「情報の質と判断力」に問題があると主張しており、”民意”そのものに対する疑念を表明した形です。
この一連の発言は、ラサール石井さんの正義感や政治的信念の表れとも言えますが、同時に「有権者を見下している」「民主主義を否定している」といった批判も根強く、芸能人が政治的発言をする際のリスクを象徴する事例となりました。
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ラサール石井の浅田真央へのセクハラ発言

ラサール石井さんの浅田真央さんへのセクハラ発言は、彼の炎上史上の中でも特に象徴的で、彼のイメージ転換に大きな影響を与えた出来事です。
■発端:2011年の世界選手権と問題発言
2011年4月30日、ロシア・モスクワで開催されたフィギュアスケート世界選手権で、浅田真央選手はジャンプの失敗もあり6位に終わりました。
これを受けて、ラサール石井さんは、翌5月1日に自身のTwitterで次のような趣旨の投稿を行っています。
「浅田真央ちゃんは早く彼氏を作るべき。エッチしなきゃ、ミキティ(安藤美姫さん)やキム・ヨナには勝てないよ。棒っ切れが滑ってるみたい。女になって表現力を身に付けてほしい」

この投稿は「表現力を高めるには恋愛や性体験が必要」という意図だったと見られますが、あまりに露骨な表現と個人名の明記により、瞬く間に炎上しました。
■世間の反応
SNS上では「女性アスリートに対して最低で下品」「普通にセクハラ」といった批判が殺到。
特に、浅田真央選手が当時20歳前後で、清楚なイメージを持たれていたこともあり、発言のインパクトは非常に大きく、メディアでも取り上げられる騒動に発展しました。
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■本人の釈明と謝罪
炎上を受けて、ラサール石井さんは「恋愛や性体験が人間の表現力に影響を与えるという持論を述べたつもりだった」と釈明しましたが、最終的には次のように謝罪しました。
「どうしても呟かなければならない事ではありませんでした。しかも最悪の言葉で呟いてしまったことは事実。ご批判は当然と痛感しています。」「全女性の皆様、浅田選手ご本人とファンの皆様に心より謝罪いたします。」
当該ツイートは削除されましたが、発信の記憶はネット上で強く残り、以降もたびたび蒸す返されることになります。
この一件は、ラサール石井さんの「知的で穏やかな芸人」というイメージを大きく揺るがす転機となりました。
以降、政治的発言や炎上が続く中で、「あの浅田真央への発言が全ての始まりだった」と語られることも多く、彼の”変化”を象徴する出来事として語り継がれています。
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ラサール石井が「狂った」5つの要因

ラサール石井さんが「おかしくなった」と見なされるようになった背景には、どんな要因があるのでしょうか?
ここでは、世間がそう評価するようになった5つの要因を検証していきます。
要因①:SNSでの政治的発言の過激化
2017年頃から、Xでの政治的発言が急増し、特に2020年以降は、新型コロナウィルス対応や五輪開催、マイナンバー制度などに対して、「人体実験」「国民を見殺し」など強い言葉で政府を批判。
これにより、「芸人の枠を超えた過激な活動家」としての印象が強まりました。
要因②:能登半島地震での誤情報の拡散

2024年1月の能登半島地震では、政府が無償提供していた宿泊施設について、「被災者にそんな金あるか」と、誤った認識で批判を行い、後に謝罪しました。
災害時に誤情報というセンシティブな問題だったため、信頼性の低下と「無責任な発言者」というレッテルが強まりました。
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要因③:浅田真央セクハラ発言
2011年の浅田真央選手に対して「彼氏を作って、エッチすべき」といった趣旨の投稿を行い、大炎上。
この発言は今もなおネット上で引用され続けており、「人格的に問題があるのでは」との印象を根強く残しています。
要因④:”炎上商法”疑惑
ラサール石井さんは、かつては『平成教育委員会』などで活躍したインテリ芸人でしたが、近年はテレビ出演が激減。
その一方で、SNSでの過激な発言が目立つようになり、「注目を集めるために炎上を狙っているのでは?」という疑惑も浮上しています。
要因⑤:年齢による変化
2025年時点で70歳を迎えたラサール石井さんは、年齢的な変化や孤立感、怒りの表現の強さから「精神的に不安定では」との声も一部見られます。
ただし、精神疾患が公表された事実はなく、あくまで印象論に過ぎません。
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ラサール石井の活動スタイルの変遷

ラサール石井さんの活動スタイルの変遷について、以下に、時系列とメディア別の変化を軸に、深堀してみたいと思います。
1980年代~90年代:”知的芸人”時代

出典元:日刊スポーツ
ラサール石井さんは、お笑いトリオ「コント赤信号」の一員としてデビューし、バラエティ番組『オレたちひょうきん族』や『平成教育委員会』などで、”インテリ”芸人として人気を博しました。
クイズ番組での活躍や、司会・ナレーション業でも存在感を発揮し、「知的で穏やかな芸人」というイメージが定着していきます。
2000年代:舞台・演劇へシフト

2000年代以降は、テレビ出演を続けながらも、舞台演出や脚本に力を入れるようになります。
特に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の舞台版では、主演・脚本・演出を兼任し、演劇人としての評価も高まりました。
この時期は、「表現者」としての幅を広げていた時期でもありました。
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2010年代後半~:SNSでの発言が主軸に
2017年頃から、Xを中心に政治・社会問題へ発言が急増。
新型コロナウィルス対応、五輪開催、災害支援、外交問題など、幅広テーマに対して強い言葉で意見を述べるようになり、”社会派タレント”としての側面が前面に出るようになります。
この変化により、テレビへの露出は減少し、SNSが主な発信の場となりました。
一方で、舞台活動は継続しており、2024年には両膝の人工関節手術を経て、舞台復帰も果たしています。
2025年:ついに政界へ
2025年6月、社会民主党から参議院選挙の比例代表候補として出馬することが発表されました。
これにより、ラサール石井さんの活動スタイルは「芸人・俳優」から、「社会的発信者」、そして、「政治参加者」へと大きくシフトしたことが明確になりました。
このように、ラサール石井さんの活動スタイルは、メディアの変化と本人の問題意識の深化に伴って、段階的に変遷してきたことが分かります。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなラサール石井さんを、引き続き注目していきたいと思います。