白鵬の引退理由とは?協会退職の経緯から現在の世界相撲への挑戦までの全記録

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史上最強横綱と称された白鵬翔

45度の幕内優勝を誇り、角界の象徴として活躍した彼は、2021年に現役を引退し、2025年には日本相撲協会を退職しました。

その背景には、宮城野部屋閉鎖や弟子たちの改名騒動など、複雑な経緯がありました。

本記事では、白鵬の引退理由から協会退職の真相、そして現在挑戦する「世界相撲グランドスラム」構想までを整理し、彼の歩みを全記録として紹介します。

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白鵬の引退理由と角界での功績

白鵬の断髪式
出典元:日本経済新聞

白鵬翔は第69代横綱として長年角界を支え、歴代最多の優勝記録を残しました。

しかし、度重なるケガや体力の限界が引退の大きな要因となり、2021年秋場所を最後に土俵を去りました。

ここでは引退に至るまでの経緯と、横綱としての功績を具体的に振り返ります。

引退に至るまでの経緯

白鵬は2001年に初土俵を踏み、2004年に新入幕を果たしました。

2007年には第69代横綱に昇進し、以降は角界の中心的存在として活躍しました。

しかし、2010年代後半から右膝の故障が慢性化し、手術と休場を繰り返すようになりました。

特に2019年以降は休場が増え、全盛期のような安定した出場が難しくなりました。

2021年の「名古屋場所」では全勝優勝を果たしましたが、膝の状態は深刻で、翌「秋場所」を最後に引退を決断しました。

本人は「体が限界に達した」と語り、力士としての使命を全うした形で土俵を去ったのです。

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史上最多優勝記録と横綱としての存在感

出典元:時事通信

白鵬は幕内最高優勝45回という前人未到の記録を残しました。

これは大鵬の32回を大きく上回り、歴代最多です。

さらに全勝優勝は16回を数え、他の横綱を圧倒する成績でした。

具体例として、2010年には年間6場所のうち5場所で優勝し、そのうち4場所を全勝で制覇しました。

この年の勝率は9割を超え、圧倒的な強さを示しました。

また、2017年名古屋場所では通算1048勝目を挙げ、魁皇の最多勝記録を更新しました。

土俵上では技の多彩さと勝負勘に優れ、寄り切りや上手投げだけでなく、立ち合いの変化や突き押しも自在に使いこなしました。

こうした柔軟な取り口は「史上最強横綱」と呼ばれる根拠となり、角界における存在感を不動のものにしました。

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協会退職の背景と宮城野部屋閉鎖

協会退職の会見を行う白鵬氏
出典元:AFPBB News

白鵬翔が日本相撲協会を退職するに至った背景には、宮城野部屋の閉鎖とそれに伴う弟子たちの処遇が大きく関わっています。

部屋閉鎖の直接的な原因は北青鵬による暴力問題であり、その後の弟子たちの改名騒動は「鵬」の字が消える象徴的な出来事となりました。

ここでは退職に至るまでの経緯を具体的に解説します。

北青鵬の暴力問題と部屋閉鎖

白鵬翔と北青鵬
出典元:東京新聞

宮城野部屋閉鎖の直接的な原因となったのは、北青鵬による後輩力士への暴力と嫌がらせ行為でした。

日本相撲協会の調査では、複数の具体的な事例が確認されています。

  • 名古屋場所中(2022年7月) 宿舎で後輩の顔面を平手打ちし、突き飛ばすなどの暴行を加え、肘を負傷させました。さらにほうきの柄で臀部を打つ行為も行いました。
  • 同年10月(東京都墨田区の部屋個室) まわしで作った丸太状の棒を用いて後輩の臀部を打ち付ける暴行を加えました。
  • 九州場所中(2023年11月) 後輩の財布に瞬間接着剤を塗布して損壊させ、指に接着剤を塗るなどの嫌がらせを行いました。
  • その他の継続的行為(2022年8月以降) 週に2〜3回の頻度で顔面や背中、睾丸への平手打ちを繰り返しました。ほうきの柄や丸太状の棒で臀部を打つほか、殺虫剤スプレーに点火して炎を後輩の体に近づける危険な行為も確認されています。
  • 白鵬夫人への不快なメール送信 北青鵬は師匠である白鵬翔の妻・紗代子夫人に対しても不適切なメールを送信していました。詳細は公表されていませんが、協会は「師匠の家族に対する不敬」として強く問題視し、暴力行為と併せて「卑劣極まりない」と断罪しました。

これらの行為は、「部屋の仕事で不始末をしたことへの制裁」と説明されていましたが、実際には後輩が痛がる様子を面白がっていたと認定されました。

暴力は長期間にわたり繰り返され、被害者の心身への影響は深刻でした。

この問題を受け、日本相撲協会は2024年2月に臨時理事会を開き、北青鵬に引退勧告を行いました。

師匠である白鵬には監督責任が問われ、年寄としての地位を降格する懲戒処分が下されました。

さらに宮城野部屋は閉鎖処分となり、所属力士は伊勢ヶ濱部屋に預けられる形となりました。

これが白鵬退職の大きな要因となり、角界に大きな波紋を広げたのです。

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弟子たちの改名騒動と「鵬」の消滅

伊勢ケ浜部屋へ引っ越す力士たち
出典元:スポニチアネックス

2025年12月、翌年初場所の番付発表に合わせて、伊勢ヶ濱部屋に所属する旧宮城野部屋の力士9人が一斉に改名しました。

伯桜鵬は伯乃富士天照鵬は三重ノ富士泉翔鵬は泉富士など、四股名から「鵬」の字が消え、「富士」が入る形となりました。

これは伊勢ヶ濱部屋の伝統に合わせたものですが、白鵬の存在感が角界から完全に消えたように見えるため、大きな波紋を呼びました。

唯一、炎鵬だけが改名されず「鵬」を残しましたが、今後の動向は不透明です。

この改名騒動は、「宮城野部屋再興の可能性がなくなった」との見方を強め、白鵬退職の象徴的な出来事として受け止められました。

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現在の挑戦と世界相撲構想

出典元:AERA

白鵬翔は日本相撲協会を退職後も相撲界から離れることなく、国際的な舞台で活動を続けています。

彼は「白鵬杯」を継続しつつ規模を拡大し、さらに世界相撲を五輪種目に近づけるための「グランドスラム構想」を推進しています。

ここではその具体的な取り組みを紹介します。

白鵬杯の継続と国際大会拡大

白鵬は現役時代から「白鵬杯」という国際相撲大会を主催してきました。

この大会は少年少女や一般参加者を対象にしており、国内外から数百人規模の参加者が集まります。

2026年2月には東京のTOYOTA ARENAで第16回大会が開催予定で、過去にはこの大会から関取となった力士も誕生しています。

白鵬杯は単なる競技大会ではなく、相撲文化を世界に広める育成の場として機能している点が特徴です。

近年はモンゴル、タイ、カザフスタンなどからの参加者も増え、国際色が一層強まっています。

白鵬自身も「子どもたちの未来を育てる大会」と位置づけており、相撲の普及活動の中心的役割を担っています。

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世界相撲グランドスラム構想と国際的活動

出典元:スポニチアネックス

白鵬は「世界相撲グランドスラム構想」を掲げ、相撲を世界的な競技へと発展させる取り組みを進めています。

具体的には、国際相撲連盟の顧問に就任し、各国の相撲連盟と連携して大会の整備やルール統一を推進しています。

2025年にはタイ、モンゴル、韓国、ウズベキスタン、エストニアなどを訪問し、現地の相撲関係者と交流を深めました。

また、キルギスで開催される「ワールド・ノマド・ゲームズ」に相撲を正式競技として加える働きかけも行っています。

これらの活動は、将来的に相撲をオリンピック種目にするための布石と位置づけられています。

白鵬は「相撲を通じて世界をひとつに」という理念を掲げ、国際大会の拡大と普及に尽力しているのです。

  • 本名:ムンフバト・ダヴァジャルガル(帰化後 白鵬翔)

  • 生年月日:1985年3月11日

  • 出身地:モンゴル・ウランバートル

  • 身長/体重:192cm / 155kg

  • 四股名:白鵬翔(第69代横綱)

  • 幕内最高優勝:45回(歴代最多)

  • 全勝優勝:16回(歴代最多)

  • 引退:2021年9月場所

  • 日本相撲協会退職:2025年6月

  • 現在:国際相撲連盟顧問、「白鵬杯」主催、世界相撲グランドスラム構想推進

いかがでしたでしょうか?

白鵬翔は角界を離れてもなお、相撲の未来を切り拓く存在です。

彼の挑戦は、世界に相撲を広げる新たな一歩となっています。