*アフィリエイト広告を利用しています。
かつて宝塚歌劇団の月組のトップスターとして活躍していた、俳優の天海祐希(あまみ・ゆうき)さん。
天海祐希さんは、幅広い役柄をこなせる高い演技力と、引き込まれる人間性が魅力的で、老若男女問わず人気を集めています。
そんな天海祐希さんのイケメンな宝塚時代を振り返ってみたいと思います。
そこで今回の記事では、
・天海祐希の宝塚時代の同期・娘役
・天海祐希の宝塚時代の伝説・エピソード
の3つのポイントに沿って、天海祐希さんの宝塚時代についてご紹介したいと思います。
天海祐希の宝塚時代がイケメン!
先ずは、天海祐希さんの宝塚時代のイケメン画像を集めてみましたので、ご覧ください。










天海祐希さんの宝塚時代は、イケメン過ぎて本当にカッコイイですね。
天海祐希さんが宝塚に入るきっかけは、幼稚園の時に遊戯会で先生から「祐里ちゃん(本名)は声が大きくてお芝居が上手ね!」と言われたことだそうです。
幼かった天海祐希さんはそう言われて「お芝居上手なんだ!祐里ちゃんはお芝居する人になる!」と思い込んできたと言います。
そして、中学校の担任の先生が宝塚ファンで、「あなたは背も高いし、踊りもやってるから、宝塚に行ったら?」と勧められ、宝塚なら歌も踊りも全部教えてもらえると思い、本格的に目指すようになったそうです。
広告の下にコンテンツが続きます…。
天海祐希さんは中学卒業後、菊花高等学校へ進むと2年生で中退し、宝塚音楽学校の受験のために『大滝愛子 バレエ・アート』に通い、1985年に首席で宝塚音楽学校へ入学し、1987年に73期生として宝塚歌劇団に入団しています。
そして、天海祐希さんは、1993年に史上最速で月組トップスターとなり、大地真央さんを上回る男役とも言われました。
天海祐希さんは、その2年後の1995年12月に28歳で退団しており、退団の際にはワイドショーで特集が組まれたほど高い関心を集めました。
退団後、天海祐希さんは舞台ではなく映像の仕事にこだわり、オファーが多く来たミュージカルの仕事は選ばす、テレビドラマで俳優デビューしています。
広告の下にコンテンツが続きます…。
天海祐希の宝塚時代の同期や娘役は誰?
宝塚時代の同期

天海祐希さんと宝塚時代の同期で、現在、芸能活動をしている人は、次の通りです。
・絵麻緒ゆう(えまお・ゆう)さん
・葛城七穂(かつらぎ・ななほ)さん
・姿月あさと(しづき・あさと)さん
・苑ななみ(その・ななみ)さん
現在、青山雪菜さんは歌手として活動し、絵麻緒ゆうさんは「えまおゆう」に改名し舞台で活躍しています。
葛城七穂さんは声優となり、姿月あさとさんは歌手として活動する傍ら舞台にも出演し、苑ななみさんは本名の「中島かおり」で議員活動をしています。
天海祐希さんは、同期の人たちとは今でも交流しているそうです。
広告の下にコンテンツが続きます…。
★ABEMAは新作映画、国内外の人気ドラマ、話題のアニメやスポーツ、恋愛番組など、多彩なジャンルを放送中!

宝塚時代の娘役

天海祐希さんの宝塚時代の相手娘役をしていた人は、次の通りです。
・白城あやか(しらき・あやか)さん
・森奈はるみ(もりな・はるみ)さん
天海祐希さんの相手娘役だった麻乃佳世さんは、天海祐希さんと同時に退団し、現在は舞台やテレビドラマなので女優として活動しています。
白城あやかさんは退団後に、タレントの中山秀征さんと結婚しており、4人の子供たちの母となり、時々舞台に出演しています。
森奈はるみさんは、母親もタカラジェンヌのサラブレッドで、退団後はミュージカルや舞台で活躍しています。
広告の下にコンテンツが続きます…。
天海祐希の宝塚時代の伝説エピソード7選!

天海祐希さんには、宝塚時代に数々の伝説があります。
伝説②:入団1年目で新人公演主演
伝説③:史上最速のトップ就任
伝説④:4年目までに6度の新人公演主演
伝説⑤:バウホール主演も4年目
エピソード①:ファンに説教
エピソード②:おかしなルールを変える
それでは、天海祐希さんの宝塚時代の伝説やエピソードを詳しくみていきたいと思います。
伝説①:宝塚音楽学校に首席で入学

天海祐希さんの宝塚時代の伝説の1つ目は、宝塚音楽学校へ首席で入学したことです。
宝塚音楽学校の受験者数は毎年800人前後いて、合格者数は40人という、競争倍率20倍の狭き門です。
同校の入試は「東の東大、西の宝塚」と言われるほどの難関ですので、首席で合格するのは本当にすごいことです。
その逸材ぶりから、天海祐希さんの母親は宝塚関係者から「よくぞ生んで下さいました」とお褒めの言葉をもらったそうです。
広告の下にコンテンツが続きます…。
伝説②:入団1年目で新人公演主演

天海祐希さんの宝塚時代の伝説の2つ目は、入団1年目にして新人公演の主演に抜擢されたことです。
「新人公演」とは、入団7年目までの生徒たちが、本公演と同じ作品を上演するという、若手の勉強の機会とされています。
それも7年目近くで主演になることが多い中、天海祐希さんの入団1年目で主演抜擢とは奇跡とも言えます。
入団してわずか10ヶ月で主演に抜擢された記録は、いまだに破られていないそうです。
伝説③:史上最速のトップ就任

天海祐希さんの宝塚時代の伝説の3つ目は、入団して6年半という史上最速でトップに就任したことです。
通常トップスターへの就任は、入団10年目以降から15年目になることが多いのですが、天海祐希さんは宝塚史上最速の6年半でトップ就任しています。
新人公演の最後の年となる7年目にトップスターに就任したことは、まさに伝説となっています。
やはり、6年半でトップ就任の記録も、いまだに破られていないそうです。
広告の下にコンテンツが続きます…。
伝説④:4年目までに6度の新人公演主演

天海祐希さんの宝塚時代の伝説の4つ目は、入団4年目までに6度の新人公演の主演を務めたことです。
天海祐希さんは、入団1年目の1987年に新人公演での主演以降、1988年~1990年の3年間にあった6度の月組新人公演のうち、『天使の微笑・悪魔の涙』以外は全て天海祐希さんが主演を務めています。
伝説⑤:バウホール主演も4年目
天海祐希さんの宝塚時代の伝説の5つ目は、「宝塚バウホール」での初主演も4年目だったことです。
新人公演の次のステップと言われている、客席数500の小劇場「宝塚バウホール」での初主演は、通常新人公演最終学年の7年目あたりに機会を与えられることが多いそうです。
ところが、天海祐希さんは入団4年目という異例の速さで、さらに、トップ就任までに3度も主演を務めています。
天海祐希さんは、普通のトップスターが通るべき関門を倍速で通過し続け、トップスターへ登り詰めています。
広告の下にコンテンツが続きます…。
エピソード①:ファンに説教

天海祐希さんの宝塚時代のエピソードの1つ目は、お茶会でファンに説教をしたことです。
天海祐希さんは、ファンとの交流の場である「お茶会」の会場が、人気が有りすぎてファンの人たちでごった返していたそうです。
お茶会の進行が上手くいかず、イライラした様子を見せる天海祐希さんが、自身で進行したこともあったとか。
さらに、お茶会での写真撮影会でも、モタモタしていたファンに対して「テキパキ動きなさい!早く終わらせればその分たくさんお話できるんだから」と一喝したという話もあります。
宝塚時代の天海祐希さんは、いわゆる“塩対応”だったそうですが、それでも凄まじい人気でしたので、さすがと言った感じですね。
広告の下にコンテンツが続きます…。
エピソード②:おかしなルールを変える
天海祐希さんの宝塚時代のエピソードの2つ目は、宝塚のおかしいと思ったルールを変えたことです。
その1つは「予科ピンを廃止させた」ことで、男役の生徒は外を歩く際、髪をピンでとめるというルールがあったのですが、それを廃止し、今ではスプレーで固めるだけでOKになったそうです。
また、天海祐希さんは、ファンに対して夜10時以降の出待ちは禁止というルールを作ったとも言われています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな天海祐希さんを、引き続き注目していきたいと思います。