格闘家・朝倉未来さんのメンバーの1人である、たくまさん。
たくまさんは、7月17日に開催される『Breaking Down』第5回大会で、へずまりゅうさんと対戦することが決まりました。
そんなたくまさんは昔は柔道家だったそうですね。
そこで今回の記事では、
・朝倉未来とたくまの出会い
・朝倉未来とたくまの関係
の3つのポイントに沿って、朝倉未来さんのメンバー・たくまさんについて、ご紹介したいと思います。
朝倉未来のたくまの昔は柔道家!
たくまの学生時代は柔道家

朝倉未来さんのメンバーのたくまさんは、柔道歴13年で柔道3段です。
小学6年生から柔道を始めており、きっかけはシドニーオリンピックで井上康生選手を見て、「柔道ってかっこいいな」と思ったからだとか。

そして、たくまさんは、中学時代には81㎏級で県大会3位という成績を残しています。
高校は、静岡県沼津市にある私立の飛龍高等学校に、柔道の「特待生」として進学しています。
飛龍高等学校の柔道部は名門として知られており、監督はシドニーオリンピックの金メダリスト・井上康生さんの代の副キャプテンだった、名称・小塚直哉さんです。
同じ高校の先輩には、総合格闘家の佐々木憂流迦選手がいます。
たくまさんは高校時代はキャプテンを務め、90㎏級で出場していましたが、期待された成績を残すことは出来ませんでした。

そんなたくまさんが『ふわっとmikuru』チャンネルの企画、「高校時代の恩師ぶん投げに行ってみた」で、母校の柔道部を訪問し、顧問の小塚先生と対戦しました。
結果は「ごめんなさい。無理です」とヘロヘロになったたくまさんが負けていますが、小塚先生は「力が強くて、本気になっちゃいました」と話しています。
たくまの高校卒業後

たくまさんは高校卒業後は、親の知り合いのリフォーム会社に就職していました。
その会社は想像絶するほどのブラック企業で、36時間不眠不休だったり、給料は手取り11万円ほどだったため、3年ほどで退社しています。
その後は、港で船に車を積む会社に転職していますが、3年程経って「学ぶことがあまりないかも」と思い会社を辞めています。
そして、同級生が現場の仕事をしていたため、一緒に1年半くらいやって、そこから自営業として独立しています。
独立して1年半か2年経った頃に、朝倉未来さんから「自分のブランド作りたいから手伝って」と呼ばれて、上京しています。
朝倉未来とたくまの出会いは喧嘩!?

朝倉未来さんとたくまさんは、19歳の頃から友人になりますが、きっかけは喧嘩だったそうです。
たくまさんは、高校卒業後、静岡から豊橋に戻って来て、柔道の強さを武器に「ヤンキー狩り」と称して、豊橋のヤンキーを喧嘩で倒していたとか。
豊橋では無敵だった朝倉未来さんが、「知らん奴が来て、皆に喧嘩を売ってる」との話を聞きつけ、電話で誘い出し、喧嘩をすることになったそうです。
朝倉未来さんがたくまさんを誘った本当に理由は、たくまさんに「ピュアさが見えた」からと話しています。

朝倉未来さん曰く、当時のたくまさんは「不良になりきれてなくて、凄い無理してる感が出てた」そうで、喧嘩ではなく「俺と一緒に楽しいことを教えてあげよう」と思ったと言います。
こうして、たくまさんは朝倉未来さんから遊びに誘われるようになり、仲良くなっていったそうです。
朝倉未来とたくまの現在の関係性は?
出典元:Instagram@mikuruasakura
現在、たくまさんは、朝倉未来さんのメンバーとして、You Tuberという職業をしています。
たくまさんのポジションは、「起業案件を貰った時の対応や、マネージャーや広報など、色々なことを担当して、何が専門とかはない」と話しています。
朝倉未来さんから「アパレル手伝って」と言われて上京したたくまさんですが、商品を発売するには6カ月くらいかかるため、「僕はバイトをして食つなぐから」って言ってたそうです。
そのうちYouTubeが始まり、一気に登録者数が増え、朝倉未来さんから「手伝ってくれれば収益の何%かあげる」と言われます。
そこからYouTubeを手伝い始め、当初はカメラマンをしたり、2人でやる企画の要員をしたりしていました。
さらに、たくまさんは、朝倉未来さんが立ち上げたアパレルブランド『マタンアブニール』の、プロデュースも担当しています。
朝倉未来さんが2022年5月にハワイへ行っていましたが、たくまさんが同行できなかった理由を、「アパレルの会社が忙しい」と話していました。
朝倉未来さんはその他にも、多くの事業を展開しているので、会社の業務の運営など多方面を任されているようですね。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなたくまさんを、引き続き注目していきたいと思います。