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BreakingDownで「孤高の闘神」と呼ばれ、圧倒的な存在感を放った飯田将成さん。
落ち着いた現在の姿からは想像しにくいものの、若い頃は岐阜の暴走族「鳳龍会」の6代目総長を務め、傷害事件で少年鑑別所に入った過去があります。一方、両親はともに教師で、父親は体育教師でした。
この記事では、波乱に満ちた若い頃や家族との関係、プロボクサーからBreakingDownで注目されるまでの経歴、ジム経営をはじめとする現在の仕事や最新の活動を紹介します。
飯田将成の若い頃は鳳龍会6代目総長?

飯田将成さんは、若い頃に岐阜で暴走族の総長を務めていたことを本人が明かしています。
ネット上では「鳳龍会の6代目総長」と広く紹介されていますが、組織名や代数を確認できる公式資料は見つかっていません。
その後、喧嘩をきっかけに少年鑑別所へ入り、両親の勧めでボクシングの道へ進みました。ここでは、確認できた本人の発言や選手記録をもとに、若い頃からプロデビューまでの歩みを整理します。
岐阜の暴走族「鳳龍会」で総長を務めた過去
飯田将成さんは、若い頃に岐阜の暴走族で総長を務めていたことを本人が明かしています。
現在の飯田将成さんは、落ち着いた話し方や対戦相手への冷静な対応が印象的です。しかし、10代の頃は喧嘩を繰り返すなど、現在とは大きく異なる生活を送っていました。
ネット上の人物紹介では、飯田将成さんが所属していた暴走族は「鳳龍会」で、6代目総長を務めていたと広く伝えられています。
ただし、公開情報を確認すると、事実としての確度には違いがあります。
- 暴走族の総長だったこと:飯田将成さん本人が公表
- 組織名が鳳龍会だったこと:複数の人物紹介記事に掲載
- 6代目総長だったこと:複数の記事で紹介されている
- 活動時期や構成員数:公表されていない
つまり、飯田将成さんが暴走族の総長だったことは本人の発言から確認できますが、「鳳龍会の6代目」という肩書については、公式資料による裏付けが取れていません。
一部の記事では「仁龍会」という異なる表記も見られます。これが別の組織を指すのか、単なる表記間違いなのかも明らかになっていません。
そのため、現時点では「若い頃に岐阜の暴走族で総長を務め、鳳龍会の6代目総長と紹介されている」と理解するのが最も正確です。
飯田将成さんの経歴を語るうえで重要なのは、元暴走族という肩書だけではありません。その後、喧嘩に向けていた力をボクシングへ転換し、日本ランカーまで上り詰めた歩みに大きな特徴があります。
若い頃の喧嘩で少年鑑別所へ
飯田将成さんは、若い頃の喧嘩が原因で少年鑑別所に入ったと本人が明かしています。
2023年1月、飯田将成さんは元世界ミドル級王者・竹原慎二さんのYouTubeチャンネルに出演し、自身の生い立ちを語りました。
この対談を報じたENCOUNTによると、飯田将成さんは「けんかで鑑別所に入った」と説明しています。
一方、ネット上では「傷害事件で逮捕された」「少年院に入っていた」といった情報も見られます。しかし、本人の発言と主要メディアの報道から確認できるのは、喧嘩を理由に少年鑑別所へ入ったことまでです。
事件が起きた時期や相手、被害の程度、適用された容疑、家庭裁判所の最終的な処分は公表されていません。そのため、「傷害事件だった」「少年院へ送られた」と断定することはできません。
なお、少年鑑別所と少年院は役割が異なります。
- 少年鑑別所:少年の心身や生活環境などを調べ、家庭裁判所の審判に必要な情報を提供する施設
- 少年院:家庭裁判所から保護処分として送致された少年に、矯正教育などを行う施設
法務省も、少年鑑別所について、家庭裁判所の求めに応じた鑑別や観護、健全な育成のための支援を行う施設と説明しています。
したがって、少年鑑別所に入ったという事実だけで、少年院送致や刑罰を受けたと判断するのは正確ではありません。
飯田将成さんによると、教師だった両親は当時の行動を嘆いていたそうです。しかし、この出来事が、喧嘩から距離を置き、ボクシングへ進む大きな転機になりました。
鑑別所を出た後にプロボクサーを目指す
飯田将成さんは、少年鑑別所での経験を転機に、本格的にプロボクサーを目指しました。
竹原慎二さんとの対談によると、飯田将成さんは鑑別所に入っていた頃、後に通うボクシングジムが岐阜にできることを知ったといいます。
両親から「ボクシングをやってみたらどうだ」と勧められたことも、競技の道へ進む後押しになりました。喧嘩に向けていた闘争心を、ルールのあるスポーツへ向けることになったのです。
その後、元WBA世界ミニマム級王者・星野敬太郎さんが主宰するコパン星野敬太郎ボクシングジムで、本格的に練習を始めました。
入会時の年齢は「18歳」と紹介されることが多いものの、信頼性の高い選手名鑑では入会年齢まで確認できません。そのため、18歳頃から本格的にボクシングへ取り組んだとみられます。
飯田将成さんのプロデビュー後の歩みは、次のとおりです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 10代 | 暴走族の総長を務め、喧嘩で少年鑑別所に入る |
| 18歳頃 | コパン星野敬太郎ボクシングジムで本格的に練習を始めたとされる |
| 2006年4月9日 | 国分裕紀さんとの試合でプロデビュー |
| 2007年 | 中日本新人王を獲得 |
| その後 | 日本ウェルター級ランキング10位に入る |
ボクシングモバイルの選手名鑑では、2006年4月9日のプロデビューと、2007年の中日本新人王獲得が確認できます。
プロ戦績は12戦9勝3敗で、9勝のうち7勝がKOでした。日本ウェルター級10位まで上り詰めたことからも、プロの世界で通用する高い攻撃力を持っていたことが分かります。
飯田将成さんの若い頃は、単に「元暴走族の総長」という言葉だけでは説明できません。少年鑑別所での経験と両親の勧めをきっかけに、自分の力をボクシングへ向け、日本ランカーまで上り詰めた点が経歴の大きな転換点です。
しかし、その後のボクシング人生では、試合後の行為による無期限資格停止処分という大きな挫折を経験します。この出来事が、後のキックボクシングやBreakingDownでの活動につながっていきました。
飯田将成の両親は教師?家族関係も

出典元:Instagram@飯田将成
飯田将成さんは、父親と母親がともに教師だったことを本人が明かしています。
若い頃は喧嘩を繰り返し、少年鑑別所に入った経験もあるため、教師の家庭で育ったことに意外な印象を持つ人も多いでしょう。
両親は当時の行動を嘆いていましたが、家族から勧められたボクシングが人生を変えるきっかけとなりました。一方、父親とは約18年間話をしておらず、2024年に設けられた対話も複雑な結果を迎えています。
両親ともに教師で父親は体育教師
飯田将成さんの両親はともに教師で、父親は体育教師、母親は保健に関係する教員だったと本人が明かしています。
2023年1月、飯田将成さんは元世界ミドル級王者・竹原慎二さんのYouTubeチャンネルに出演し、自身の生い立ちについて語りました。
この対談の中で、父親については「体育教師」、母親については「保健とかの先生」と説明しています。
対談内容を報じたENCOUNTでも、飯田将成さんが両親ともに教師の家庭で育ったことが紹介されています。
現在までに確認できている家族情報は、次のとおりです。
- 父親:体育教師
- 母親:保健に関係する教員
- 姉:実姉がいることを本人が公表
- 両親の氏名:公表されていない
- 両親の勤務先:公表されていない
母親については、本人が「保健とかの先生」と表現しています。養護教諭だったのか、保健体育を担当していたのかまでは明らかになっていません。
ネット上には「母親は養護教諭」と断定する記事もありますが、本人の発言から確認できるのは、保健に関係する教員だったことまでです。
また、父親が体育教師だったことと、飯田将成さんが格闘技へ進んだことに直接的な関係があったのかも公表されていません。
確かなのは、飯田将成さんが教育に携わる両親のもとで育ちながら、若い頃には暴走族の総長を務め、喧嘩で少年鑑別所に入ったということです。この家庭環境と経歴の意外な組み合わせが、現在も注目される理由になっています。
教師の両親は若い頃の飯田将成をどう見ていた?
教師だった両親は、喧嘩を繰り返す若い頃の飯田将成さんを心配し、その行動を嘆いていました。
竹原慎二さんから「両親は嘆いていたでしょう」と尋ねられた際、飯田将成さんは「嘆いていましたね」と認めています。
父親は体育教師、母親も保健に関係する教員でした。その家庭で育った飯田将成さんが暴走族の総長になり、喧嘩で少年鑑別所へ入ったのですから、両親が悩んでいたことは本人の言葉からも分かります。
一方、飯田将成さんが少年鑑別所に入った頃、家族から「ボクシングをやってみたらどうだ」と勧められました。
元世界王者・星野敬太郎さんが岐阜にボクシングジムを開くと知ったことが、その提案につながったといいます。
飯田将成さんと家族に関する当時の流れを整理すると、次のようになります。
- 若い頃は喧嘩を繰り返していた
- 教師だった両親は、その行動を嘆いていた
- 喧嘩をきっかけに少年鑑別所へ入った
- 家族からボクシングを勧められた
- 本格的に競技へ取り組み、プロデビューした
- 中日本新人王を獲得し、日本ランカーになった
飯田将成さんは、喧嘩に向けていた力を、ルールのあるボクシングへ向けるようになりました。
プロデビュー後は12戦9勝3敗、7KOという戦績を残し、日本ウェルター級10位まで上り詰めています。ボクシングを勧めた家族の言葉が、人生を変える転機になったことは間違いありません。
ただし、両親との関係がその後も順調だったわけではありません。特に父親とは長期間にわたって会話が途絶え、深い溝が残ることになりました。
父親と18年ぶりに話すも関係修復には至らず
飯田将成さんは2024年に父親と18年ぶりに話しましたが、対話は口論となり、関係修復には至りませんでした。
飯田将成さんは、自身のYouTubeチャンネルで父親と話す様子を公開しています。
ただし、父親と疎遠になった最初のきっかけについては、詳しく公表されていません。若い頃の喧嘩や少年鑑別所での経験だけが原因だったと断定することもできません。
また、確認できるのは「18年間話していなかった」という本人の説明です。18年間一度も会っていなかったのか、顔を合わせても会話をしていなかったのかまでは明らかになっていません。
2024年8月に行われた対話では、親子がそれぞれの思いを伝えました。しかし、話し合いの途中で口論となり、父親が席を立つ結果になっています。
飯田将成さんは対話後、自身のXで次のような状況を明かしました。
- 父親と喧嘩になり、父親は途中で退席した
- 18年間の溝は想像していた以上に深かった
- 過去にも何度か歩み寄ろうとした
- 歩み寄りは結果的にうまくいかなかった
- 関係を修復する難しさを感じている
実際の投稿は、飯田将成さんの公式Xで確認できます。
動画にはさまざまな意見が寄せられたため、飯田将成さんは後日、「親父との動画について」という動画を公開し、自身の考えを改めて説明しました。
この対話は、「18年ぶりに再会して和解した」という単純な内容ではありません。長期間にわたって離れていた親子が向き合ったものの、積み重なった溝は一度の話し合いでは埋まりませんでした。
その後、父親との関係が完全に修復されたという発表は、現時点で確認されていません。それでも、飯田将成さんが自ら父親と話す機会を設けたことは、複雑な家族関係と向き合う一歩だったといえるでしょう。
飯田将成の経歴と現在の仕事

飯田将成さんは、元プロボクサーとして日本ウェルター級10位まで上り詰めた実績を持っています。
無期限の資格停止処分を受けてボクシング界を離れた後も格闘技を続け、キックボクシングを経てBreakingDownでブレイクしました。
現在は格闘家として試合に出場する一方、武神ボクシングジムの主宰、YouTubeやSNSでの情報発信にも取り組んでいます。ここでは、プロデビューから現在までの経歴と活動を時系列で紹介します。
プロボクサー時代の戦績と資格停止処分
飯田将成さんはプロボクサーとして12戦9勝3敗、7KOの戦績を残し、日本ウェルター級10位まで上り詰めました。
飯田将成さんは、元WBA世界ミニマム級王者・星野敬太郎さんが主宰するコパン星野敬太郎ボクシングジムで本格的に練習を始めました。
ボクシングモバイルの選手名鑑によると、2006年4月9日に国分裕紀さんとの試合でプロデビュー。翌2007年には中日本新人王を獲得しています。
プロボクサー時代の主な記録は、次のとおりです。
- プロデビュー:2006年4月9日
- 所属ジム:コパン星野敬太郎ボクシングジム
- 階級:ウェルター級
- 戦績:12戦9勝3敗
- KO勝利:7勝
- 主な実績:2007年中日本新人王
- 最高ランキング:日本ウェルター級10位
9勝のうち7勝がKOだったことからも、飯田将成さんがパンチ力を武器とする攻撃的なボクサーだったことが分かります。
しかし、2011年3月13日に行われた中嶋裕介さんとの試合が、プロボクサーとして大きな転機になりました。
飯田将成さんは3回TKO負けとなった裁定に納得できず、試合を止めたレフェリーの体を押し、会場の椅子や看板に当たる行為に及びました。
日刊スポーツによると、日本ボクシングコミッション(JBC)は同年3月29日の倫理委員会で、飯田将成さんに無期限のボクサー資格停止処分を下しています。
ネット上では「ライセンスを剥奪された」「永久追放された」と表現されることもあります。しかし、JBCが発表した正式な処分は無期限の資格停止です。
飯田将成さんはその後も別のジムへの移籍や現役復帰を模索しましたが、試合を組むことができず、プロボクシングのリングから離れることになりました。
キックボクシングからBreakingDownへ

プロボクシングを離れた飯田将成さんは、キックボクシングへ転向し、2022年にBreakingDownで再び脚光を浴びました。
飯田将成さんは、資格停止処分を受けた後もプロボクサーとしての復帰を目指しました。しかし、移籍先が見つからず、復帰は実現しなかったと本人が明かしています。
そこで新たに取り組んだのがキックボクシングです。当初は指導者につかず、独学で練習を重ねたといいます。
2022年5月28日、アマチュアキックボクシング大会「BRIDGE」のヘビー級王座決定戦に出場。澁木勇紀さんを1回TKOで破り、第2代BRIDGEヘビー級王者になりました。
その約2カ月後、飯田将成さんはBreakingDown5に初出場します。
| 開催日 | 大会 | 対戦相手 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 2022年7月17日 | BreakingDown5 | にっけん君 | 1回18秒KO勝ち |
| 2022年11月3日 | BreakingDown6 | 啓之輔さん | 1回KO負け |
| 2023年5月21日 | BreakingDown8 | パク・ウォンシクさん | 2度の延長の末、判定3-2で勝利 |
初戦では、にっけん君をわずか18秒でKO。オーディションで見せた落ち着きと、試合で披露した圧倒的なパンチ力が注目され、「孤高の闘神」と呼ばれる人気選手になりました。
2026年8月現在、BreakingDownで成立した試合の戦績は3戦2勝1敗です。
2025年7月のBreakingDown16ではSATORUさんとの対戦が予定されていましたが、運営側との意見の相違から、飯田将成さんは試合直前に出場を辞退しました。
同年10月26日には、格闘技イベント「FIGHTER100」でイ・スンヒョンさんと対戦。85kg契約に対して相手が約98kgで計量する状況の中、1回40秒に左フックでKO勝ちを収め、実戦復帰を飾りました。
ボクサー資格停止という挫折を経験しながら、キックボクシングとBreakingDownを通じて再び注目を集めた点が、飯田将成さんの格闘技人生の大きな特徴です。
現在は武神ジムと焼肉店を経営しYouTubeでも活動

飯田将成さんは現在、武神ボクシングジムと焼肉店の経営に携わりながら、YouTubeやSNSでも情報を発信しています。
飯田将成さんは、プロボクシングのリングを離れた後の2012年11月、愛知県一宮市に「武神ボクシングジム」を開設しました。
自身のボクシングやキックボクシングの経験を生かし、格闘技のトレーニング指導を行ってきました。
武神ジムは、飯田将成さんがBreakingDownに出場して以降、しばらく休業していた時期があります。その後、新たなトレーナーが見つかったことから、2025年9月9日に数年ぶりの営業再開が発表されました。
本人の公式Xでは、ジムをリニューアルし、ボクシングや格闘技トレーニングの指導を再開すると案内しています。
飯田将成さんはジム経営に加えて、岐阜市の焼肉店「岐阜豚ホルモン とんとん」のオーナーとして、飲食店経営にも携わっています。
同店は2023年11月25日にオープンした、豚ホルモンを中心に提供する七輪焼肉店です。
- 店名:岐阜豚ホルモン とんとん
- オープン日:2023年11月25日
- 所在地:岐阜県岐阜市若宮町3-19 土屋ビル1階
- 主なメニュー:豚ホルモン、豚の希少部位、キムチなど
- 飯田将成さんの立場:オーナー
2026年現在も、店舗の公式Instagramでは営業案内や料理の情報が更新されています。飯田将成さんが店頭に立つ「飯田来店日」が告知されることもあり、ファンが本人と交流できる場所にもなっています。
営業時間や定休日は変更される可能性があるため、来店前に「岐阜豚ホルモン とんとん」の公式Instagramで確認するとよいでしょう。
さらに、YouTubeチャンネル「飯田将成 Masanari Iida」では、格闘技の練習や試合の舞台裏だけでなく、食事、旅行、家族との対話なども公開しています。
InstagramやXでも、試合情報、筋力トレーニング、店舗への来店予定、スポンサー関連の情報などを発信。2026年7月には、トレーニングで鍛え上げた腕が「丸太みたい」「シャツがはち切れそう」と複数のメディアで報じられました。
つまり、飯田将成さんは現在、格闘家として試合に出場するだけでなく、格闘技ジムと焼肉店のオーナー、YouTube・SNSの発信者という複数の顔を持っています。
ただし、それぞれの事業収入やYouTubeの収益、現在どの仕事を中心にしているのかは公表されていません。
いかがでしたでしょうか?
飯田将成さんは、鳳龍会の総長だった若い頃を経て、日本ランカーやBreakingDownの人気選手へと歩みを進めてきました。
教師だった両親との関係や資格停止処分など、数々の葛藤を乗り越えてきた経歴も注目される理由でしょう。
現在は格闘家として挑戦を続けながら、武神ジムの主宰やYouTubeなど、幅広い分野で活動しています。