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大リーグ・パドレスのダルビッシュ有投手の弟として知られる、ダルビッシュ翔さん。
ダルビッシュ翔さんは、大阪の西成でボランティアで「炊き出し」を行っており、話題となっています。
そんなダルビッシュ翔さんの若い頃は非常にヤンチャだったそうですね。
そこで今回の記事では、
ダルビッシュ翔さんは、大阪府羽曳野市の出身で、1989年3月12日生まれの現在33歳です。
イラン人で元サッカー選手の父親と日本人の母親の間に生まれ、2つ上の兄がメジャーリーグで活躍しているダルビッシュ有さんで、3つ下には元俳優のKENTAさんがいます。
両親は留学先のアメリカで出会い、共通言語が英語だったため、日本に来て英語教室を始め、幼少期は英語を使っていたとか。
ダルビッシュ家は「縦社会」で、ダルビッシュ翔さんのしつけ係は兄の有さんだったそうで、「兄貴にはしばかれっぱなし」と話しています。
ダルビッシュ翔さんは幼少期からよく友達と喧嘩をし、力が強かったため殴って泣かせるどころか、怪我を負わせることもしばしばあったそうです。
その度に母親がケーキを持って謝りに行ったり、大事になった時には父親が出て行き、教師が間に入るなど、非常にヤンチャな少年時代だったとか。
元サッカー選手の父親を持つダルビッシュ翔さんは、小学校からサッカーを始めますが、中学に上がると同時に「俺には向いてない」とサッカーに見切りをつけます。
ダルビッシュ翔さんが授業をさぼって保健室にいると、兄の有さんが入ってきてしばかれて教室に連れ戻されることもあったとか。
そんな兄弟の関係に転機が訪れたのは、ダルビッシュ有さんが中学卒業後に宮城県仙台市にある東北高等学校へ進学した時でした。
しつけ係の有さんが居なくなったダルビッシュ翔さんは、一気に遊びに向かって行き「サッカーに行く」と噓をついて、ゲームセンターに行ってたとか。
そのうちバイクを乗り回しているヤンチャくれとつるむようになると、遊びに明け暮れ、家に帰るとおこられるため家出を繰り返し、悪行が加速していったそうです。
中学2年生の頃にダルビッシュ翔さんは、問題を起こして児童相談所に連れて行かれ、中学3年生の時に初めて逮捕されています。
ダルビッシュ翔さんは、部活動の顧問を蹴り、その翌日に同級生に暴力を働き、教師が被害届を出したため捕まっています。
ダルビッシュ翔さんは鑑別所に送られた後、福井県にある更生施設『はぐるまの家』に入所させられ、「今度は真面目になります」と嘘をつき、7カ月で出所したそうです。
高校は定時制に進学していますが、入学早々に話しかけた生徒に無視されたため、相手をボコボコにし、周りにいた不良生徒らに「蹴っとけ!しばいとけ!」と加勢させ、大騒ぎになります。
そして、その場にいた全員が停学になりますが、首謀者だったダルビッシュ翔さんは入学後たった1週間で無期停学になっています。
無期停学となったダルビッシュ翔さんは益々暴走行為にハマっていき、15歳の時に右翼と大乱闘を起こし少年院送りとなり、無期停学から退学処分となってしまいます。
その右翼との事件は、同じグループのメンバーが右翼団体のバイクを強奪し、その右翼団体が集団でバイクを取り戻しに来ます。
しかし、自分たちのメンバーが盗んだとは知らなかったダルビッシュ翔さんは、違う集団が襲撃してきたと思い、相手を捕まえてボコボコにしてしまったそうです。
両方で合計約100人にものぼる大乱闘は大事件となり、ダルビッシュ翔さんは少年鑑別所に送られることになります。
ダルビッシュ翔さんは京都の宇治少年院で1年8カ月を過ごすことになり、最初の2カ月で新人教育を受け、中間期教育の頃には下の少年から慕われ「リーダー」に選ばれたとか。
ところがリーダーになったことが思わぬトラブルに繋がることに。
坊主で私語厳禁の少年院で、ダルビッシュ翔さんは「常識の範囲での会話」を超えて、コミュニティを作ってしまい、就寝時にティッシュにメッセージを書いて、隣の部屋に放り込んだりしていたそうです。
その事が教官にバレてしまい、ダルビッシュ翔さんの退院2カ月前に一斉捜査が行われ、黒幕がダルビッシュ翔さんだと発覚します。
通常退所時は髪の毛を伸ばし別れの挨拶をして拍手で送られるのが、ダルビッシュ翔さんは頭を五厘にされ誰にも見送られず裏口から退所したそうです。
出所時に「帰ったら何すんねん?」と聞かれた、当時17歳だったダルビッシュ翔さんは、「帰ってヤクザでもしますわ」とひねくれていたとか。
しかし、ヤクザをさせるわけにはいかないため、親が懸命になって探し出した、アメリカ・アリゾナ州のオーククリークにある施設へ、出所後1週間で留学することになります。
その施設は問題のある子供たちが集まる学校で、山の中にある閉ざされた環境にあり、寮生活を送ることになります。
約1年半のアメリカでの孤独な生活に根をあげたダルビッシュ翔さんは、「一瞬だけ帰らせて」と懇願して帰国し、2度とアメリカには戻らなかったそうです。
その後、ダルビッシュ翔さんは18歳で幼馴染の女性と結婚し家庭を持ち、すぐに子供ができますが、妻が妊娠中に逮捕される事件を起こしてしまいます。
2007年10月に大阪・富田林の路上で総勢20人でそこに居合わせた2人のヤカラに因縁をつけ、しばいた上に現金を奪ったそうです。
強盗致傷で逮捕されたダルビッシュ翔さんは、少年院行は逃れられない状況でしたが、両親が懸命に動いたおかげで鑑別所に送られています。
そんなダルビッシュ翔さんに救いの手を差し伸べたのが、名監督の野村克也さんの義理の息子である団野村さんだったとか。
団野村さんは元プロ野球選手で、アメリカのスポーツ界における交渉代理人をしており、ダルビッシュ翔さんは団野村さんのマネジメント会社で働きながら、3年ほど東京で暮らしていました。
奥さんと子供も東京に呼び一緒に暮らしていましたが、相変わらず悪行を続けていたため、離婚しています。
21歳の頃に会社を辞めて大阪に戻ったダルビッシュ翔さんは、父親が経営する兄の有さんのマネジメント会社で1年ほど働きますが、さらに悪くなり薬に溺れてしまったとか。
マリファナは常習的に吸っており、睡眠薬を昼間でも乱用し3~4回は捕まっていて、1番最後は6年前に野球賭博で捕まっています。
しかし、ダルビッシュ翔さんは、25歳頃から仕事が楽しくなってきたのをきっかけに、悪行はおさまり真面目に働くようになったそうです。
ダルビッシュ翔さんは、現在、株式会社「東翔興業」を経営しています。
株式会社東翔興業は建設業で、鉄骨に板を貼っていくという仕事をしているそうで、今はほぼ従業員に任せており、建設や営業をメインに活動しています。
ダルビッシュ翔さんは22歳で傷害で捕まった時に執行猶予がつき、執行猶予中にもまた傷害で捕まっており、多額の示談金を払って奇跡的に出ることができ、神戸に住んでいました。
神戸の三宮でダルビッシュ翔さんは、今の奥さんからお金を借りて海鮮居酒屋を経営しています。
今の奥さんは中学の時に付き合っていた人で、途中別れた時期もありましたが、22歳の時に結婚し子供も4人いるそうです。
その居酒屋は赤字続きで儲からなかったため1年で閉め、そこから建設業に転向し、2年前からYouTube チャンネル『ワルビッシュTV』を開設し、YouTuberとしても活躍しています。
そんなダルビッシュ翔さんは、2021年7月29日から大阪・西成にある三角公園で毎週木曜日に「大阪租界」として炊き出しを行い、食事を振舞って社会的弱者や困窮者をサポートしています。
これまでに70回以上の炊き出しを行い、多い時で400人以上が並ぶんだとか。
きっかけは新型コロナ感染で、週3~4回あった炊き出しが減ってしまったため、自分で炊き出しをやろうと思ったそうです。
ダルビッシュ翔さんは「やってみたら凄く良くて自分に合ってた。石原軍団みたいですよ、ホンマに」と話しています。
最初は活動資金も持ち出しが多かったそうですが、回を重ねるごとに賛同者が増えて、現在は全国から食材が届けられるそうです。
ダルビッシュ翔さんは自身を「客寄せパンダ」と呼び、調達と情報発信を担い、ボランティアの数も増え、2割がSNSの投稿をみて参加しています。
★弟・ダルビッシュ賢太さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
★兄・ダルビッシュ有さんの子供に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなダルビッシュ翔さんを、引き続き注目していきたいと思います。