藤本怜央と嫁のエピソードが素敵!事故から車いすバスケを始めた理由は?

藤本怜央,嫁,事故,車いす,バスケ スポーツ
スポンサーリンク

藤本怜央選手は、2004年のアテネオリンピックから、5大会連続でパラリンピックに出場する、ベテランの選手です。

長い経歴の中で、藤本怜央選手は、挫折しそうな時に支えとなってくれた、嫁の存在がとても大きいと言います。

そこで今回の記事では、

・藤本怜央選手と嫁のエピソードが素敵!
・藤本怜央選手はどんな事故だったの?
・藤本怜央選手が車いすバスケを始めた理由

の3つのポイントに沿って、藤本怜央選手をご紹介していきたいと思います。

スポンサーリンク

藤本怜央と嫁のエピソードが素敵!


引用元:Instagram@reo13164

藤本怜央選手は2014年に、日本での所属チームの宮崎MAXのマネージャーをしていた、3つ年下の優さんと、10年以上のお付き合いの末、結婚されました。

前回の2016年リオパラリンピック直前に、藤本怜央選手は肘の軟骨がすり減り強い痛みを伴う「変形性肘関節症」が判明しました。

完璧な体調でパラリンピックに望めなかった藤本怜央選手は、当時のことを次のように振り返っています。

ボールを持って手のひらを返すだけで痛みが出ていて、何か月後かにはリオがあった。止まることができなかった。やらなきゃいけなかった。いつの間にか自分の体が壊れていることすらわからなかった。

引用元:日テレNEWS24

藤本怜央選手は右肘を痛めてしまったことで、リオパラリンピック終了後には、「引退」も考えていたと言います。

そんな藤本怜央選手を心強く支えてきたのが嫁の優さんです。

「(藤本怜央選手が)不安に思うってことは、まだまだバスケットをやりたいんだろうなと。東京パラリンピックに出れるように、もう一回頑張ればいいんじゃない?」と励まします。

そうして、藤本怜央選手は2017年に右肘の手術を受け、手術から半年で復帰を果たし、手術後の最初のリーグは世界最高峰のドイツリーグで挑むという、荒治療をします。

2019年までは藤本怜央選手と嫁の優さんは、日本とドイツで離れて暮らしていましたが、優さんもドイツへ渡り、夫婦ともにドイツでの生活をスタートさせます。

そして、もともと料理が苦手だった優さんは、スポーツフードアドバイザー、食育アドバイザーの資格を独学で取得し、藤本選手を食事の面もサポートしています。

藤本怜央選手は、優さんが作ってくれるトマトカレーが大好物で、「完全に俺の体は妻の料理でできています」とおのろけもありました。

そして、東京パラリンピックにいく荷造りをしていた時に、藤本怜央選手は優さんからプレゼントをもらいます。

一つは、コーヒーセットで、優さんは「(藤本怜央選手は)あんまり趣味が無いんですよ。趣味をみつけるチャンスにもなるかな。」と渡したそうです。

更に、優さんからのもう一つのプレゼントが、藤本怜央選手がパラリンピックで履くバッシュです。


引用元:Instagram@reo13164

嫁の優さんがデザインしたバッシュで、パラリンピック用に金色に塗られています。

優さんの「金メダルをとって欲しいから」という願いが籠った、最高のプレゼントです。

ステキな嫁の優さんの願いが叶いますように!

続いては、藤本怜央選手はどんな事故に遭って障害を負う事になったのかを、見ていきたいと思います。

藤本怜央はどんな事故?


引用元:Instagram@reo13164

藤本怜央選手は、小学3年生の時に、静岡県島田市にある採石場の近くの砂利道を、自転車で走っていました。

バランスを崩して転倒してしまった藤本怜央選手に、後ろから来たダンプカーに引かれてしまうという、不運な事故に遭い、右膝下を切断することになります。

藤本怜央選手は、「母親(千代乃さん)から聞いたかな、足がなくなったことを。膝から下が全くなくて『あ、無いんだ』と思いました」と当時を振り返っています。

父親(泰年さん)からも「世の中には足の無い人がいる。でも義足を履いたら普通の生活ができる。だから義足が有るから大丈夫だ」と励まされたそうです。

しかし、藤本怜央選手は、自身が落ち込んだ記憶はないと言います。

両親が「これがあれば何でもできる」と探してきてくれた義足を使って、サッカーや陸上にも挑戦してきたそうです。

まだ小学生だった少年が、今まであった自分の体の一部が無くなったことを受け入れるのは、とても大変な思いをしただろうなと思います。

続いては、藤本怜央選手が車いすバスケを始めた理由を、見ていきたいと思います。

藤本怜央が車いすバスケを始めた理由は?


引用元:Instagram@reo13164

義足を使ってサッカーや陸上に挑戦してきた藤本怜央選手は、高校生の時まで義足をつけて普通にバスケットボールをしていました。

高校3年生の時に、地元静岡の車いすバスケットボールチームにスカウトをされたのが、車いすバスケットボールを始めるきっかけとなります。

それまで普通にバスケットボールができたので、車いすに乗る必要はないんじゃないかなぁって思っていた藤本怜央選手は、車いすバスケの試合を国体で見た時に、考えが一変したそうです。

動きの速さや、スキを突いてシュートをどんどん決める試合を見て、鳥肌が立つほど衝撃を受け、どうせやるなら全国レベルのチームでと、車いすバスケを始める事を決意し、宮城MAXに所属します。

車いすバスケは、僕という人間、人格、全てを作ってくれたスポーツだから、藤本怜央はどんな人と聞かれれば、胸を張って「車いすバスケのプレーヤー」だと言えると、強い思いを語っています。

・本名:藤本 怜央(ふじもと れお)
・出身地:静岡県島田市
・生年月日:1983年9月22日(37歳)
・身長/体重:185㎝・105kg
・血液型:-
・出身高校:静岡県立島田工業高等学校
・出身大学:東北福祉大学
・在籍チーム:宮城MAX・BGハンブルグ(ドイツ)
・オフィシャルブログ:藤本怜央オフィシャルブログ
・公式Instagram:reo13164
・公式Twitter:@reokyon

いかがでしたでしょうか?

素晴らしい嫁の優さんのこれまでのサポートと、藤本怜央選手の持ち前のメンタルの強さとの相乗効果で、是非、チームに金メダルをもたらせるといいですね。

タイトルとURLをコピーしました