青山学院大学陸上競技部の長距離ブロックの監督を務めている原晋監督。
原晋監督は、2015年に青山学院大学として史上初の総合優勝して以来、指導方法が注目され、数多くの講演会講師の活動やメディア出演など、幅広く活躍をしています。
そんな原晋監督の指導方法は、かつてのビジネス経験を活かしたチーム作りや選手の育成だそうです。
そこで今回の記事では、
・原晋監督の経歴
・原晋監督が青山学院大学へ来た理由
の3つのポイントに沿って、原晋監督の経歴について、ご紹介したいと思います。
原晋監督の現役時代

原晋監督は、中学の時に、幼馴染から勧められて陸上部に入部し、長距離走を始めています。
中学1年生の時、校内のマラソン大会で上級生を抑えて1位となり、中学3年生の時には、県総体の1500m走で2位の成績を残しています。
原晋監督は、中学卒業後、広島県世羅郡世羅町にある公立高校の、広島県立世羅高等学校へ進学しました。
出典元:Twitter
高校3年生の時には主将を務め、全国高等学校駅伝競走大会に出場し、総合2位に貢献しています。
その後、原晋監督は、世羅高等学校のOBが監督を務める、愛知県名古屋市昭和区にある私立大学の、中京大学へ進学をします。
出典元:朝日新聞
全日本大学駅伝に2度出場し、2年生の時の第18回大会では1区14位、3年生の時の第19回大会では4区9位でした。
原晋監督は、大学3年生の時、日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)の5000mに出場し、3位の成績を残しています。
大学4年生の時は、全日本大学駅伝に出場しておらず、陸上から逃げていたと言います。
大学卒業後、原晋監督は、広島県広島市にある中国電力に入社し、創設1年目の陸上部へ入部しています。
原晋監督は、1993年の全日本実業団駅伝では主将を務め、初出場に貢献しています。
しかし、入社5年目に故障が原因で現役を引退しています。
原晋監督のプロフィール

原晋監督は、広島県三原市糸崎町松浜東の出身で、1967年3月8日生まれの現在54歳です。
原晋監督は小学生の頃から運動神経抜群で、ソフトボールではピッチャーで4番、相撲では主将を務めていました。
小学2年生の時に不慮の事故で足を複雑骨折し、長期入院を経験します。
怪我のリハビリのために、原晋監督は町内でジョギングを始め、雨の日も休まず走っていたと言います。
原晋監督は、「自分で決めた事はやり通す、意志の強い少年だった」と語っています。
原晋監督の経歴は中国電力の出身

原晋監督は、故障で陸上競技を引退した後は、10年間中国電力でサラリーマンとして再スタートし、電気の検針や料金の集金などの業務をしてきました。
その10年間は陸上の世界とは一切縁を切り、テレビも観なければ、監督やコーチなどの関係者とも連絡を取らなかったと言います。
山口県徳山市の支店の下の営業所に営業マンとして配属された原晋監督は、企業用で約1000万円する蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内で一番売上げ、「伝説の営業マン」と呼ばれ、ビジネスマンとして能力を開花しています。
出典元:NIKKEI STYLEキャリア
最後の3年間は新規事業を立ち上げ、当社社員5人だった部署は、現在120人にまで成長していると言います。
原晋監督は、営業畑で培ったビジネス手法を陸上の指導に取り入れ、合理的な指導で選手を束ねてきたそうです。
原晋監督がサラリーマン時代に学んだことは、「目標をクリアする喜び」で、選手にもA4サイズの用紙2枚に、目標達成率と今後の目標の理由を書かせていると言います。
原晋監督の青山学院大学へ来た理由
出典元:4years
原晋監督は、中国電力で営業マンで活躍し、長年陸上と無縁の生活を送っていました。
そんな時、青山学院大学OBで、母校の世羅高等学校の後輩から、「うちの母校が駅伝を強化しようとしているのですが、監督をしてみませんか?」という話をもらったそうです。
長年低迷していた青山学院大学陸上競技部の監督への就任の話は、選手として箱根駅伝出場など華々しい成績や指導歴がなかったものの、2004年に3年の契約をし、監督に就任しています。
しかし、原晋監督は、契約3年目で箱根駅伝出場を逃し、監督辞任のピンチを迎えています。
そこで、ビジネスマン時代に培ったプレゼン力を発揮して、猶予を得ます。
そして、原晋監督が就任して5年目の2009年1月に、青山学院大学は33年ぶりに箱根駅伝に出場を果たし、大きな話題となりました。
青山学院大学の監督に就任した当初は、原晋監督が育った中国電力の練習のやり方をやらせようとしますが、上手くいかなったと言います。
原晋監督は、
チームには各々レベルに合ったステージがある。例えば、箱根だったら出場を目標しているのか、シード権獲得を目指しているのか、優勝をめざしているのか。それを理解したうえで、その半歩先を見据えてやっていくことが大事なんだということです。それに気づくまでには4、5年かかりました。
引用元:SPRTS COMMUNICATIONS
と、指導方法について述べています。
その後、原晋監督は、2015年に青山学院大学史上初の箱根駅伝総合優勝に導きます。
2016年の箱根駅伝では2連覇を達成すると共に、39年ぶりに1区から10区まで一度も首位を譲らない、完全優勝という快挙を成し遂げています。
出典元:中日新聞
さらに、原晋監督は、2017年の箱根駅伝3連覇を達成し、大学3大駅伝である出雲駅伝、全日本大学駅伝の優勝と合わせて、3連覇3冠の同時達成を成し遂げ、史上初の記録を残しています。
2018年の箱根駅伝でも4連覇を達成しており、2019年には箱根駅伝5連覇と、史上初の2回目の3冠を目指しますが、箱根駅伝は2位(復路優勝)に終っています。
そして、原晋監督は、2020年の箱根駅伝で総合優勝を果たし、頂点に返り咲きましたが、2021年は総合4位で2年ぶり6回目の復路優勝をしています。
★原晋監督の嫁については、コチラをご覧下さい。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される原晋監督を、引き続き注目していきたいと思います。