原晋監督の嫁は青学の寮母!プロフィールや馴れ初めと子供について

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青山学院大学陸上部の原晋監督は、2018年に箱根駅伝4連覇という、偉業を成し遂げています。

その影には、1人の女性の存在が大きく影響しています。

その女性は、原晋監督の嫁で、青山学院大学陸上部の寮母を務め、選手の寮生活のサポートを担っています。

そこで今回の記事では、

・原晋監督の嫁は青学の寮母
・原晋監督と嫁の馴れ初め
・原晋監督と嫁の子どもについて
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原晋監督の嫁は青学の寮母!

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原晋監督の嫁は、現在、青山学院大学陸上部町田寮の寮母をしている、原美穂(はら・みほ)さんです。

原美穂さんのプロフィールと、何故、寮母になったかの経緯などを、ご紹介したいと思います。

原晋監督の嫁のプロフィール

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原晋監督の嫁・原美穂さんは、広島県広島市出身で、1967年生まれの現在54才です。

原美穂さんは、ある日突然、原晋監督から「青山学院大学の陸上部の監督になるから、会社を辞めて上京したい。」と言われたそうです。

原晋監督が中国電力の陸上部をやめた後に知り合った為、原美穂さんは原晋監督が陸上をやっていた事すら知らなかったと言います。

原美穂さんは、信じられなくて「本当に好きだったの?」と聞き返したそうです。

原美穂さんは当時のことを次のように話しています。

昔走っていてどういう競技で、どのような選手だったという話も全く聞いたことがなく、寝耳に水でした。最初はふざけているのかなっていう感じで(笑)

引用元:ごはんだもん!げんきだもん!

そう語る原美穂さんが寮母になった経緯を、次でご紹介したいと思います。

寮母になった経緯


出典元:ごはんだもん!げんきだもん!

その当時の原晋監督は、一か所に留まれないタイプで、勤めていた中国電力でも色々な事業に挑戦し、成果を上げ、新規事業に引っ張られていた時期でした。

原美穂さんは、「また新しいことをやりたいだけじゃないの?」という感じで、収入が減っても困るので、直ぐには賛成できませんでした。

原晋監督はそれでも行きたいと意志が強く、反対してもダメだと思った原美穂さんは、「気が済むまでやってダメだったら何でもする、というなら好きにして」と言ったそうです。

広島に家を買ったばかりだった為、原美穂さんは、「2人共に上京して職を失うのは危険だから、広島に残ってやりたい仕事を続ける」とそう返事をしました。

ところが、青山学院大学から、「陸上部強化の為に寮を作り、管理してくれる人が欲しいので、一緒に来て欲しい」と説得されます。

そうして、原美穂さんは、「東京で何をするかも分からない仕事で、離れて過ごしていても良いことにはならない」と思い、一緒に上京して来ました。

「学生の走りのことは監督が、学生の生活のことは私が」となり、寮生活をする学生のサポートが始ま志ました。

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寮母の仕事とは?


出典元:女子SPA!

原美穂さんは寮生活の経験がなく、「寮母って何するの?」からスタートしたそうです。

大学側に尋ねても、それまで前例がないため、「とにかく寮にいて、宅急便を受け取ってくれればいい」ということで、それ以外に特別な指示がなかったとか。

原美穂さんは、宅急便の受け取りだけでは、時間が余るので、当初は日中外で仕事をしようかと思っていたと言います。

ところが、身近で学生たちと暮らすうちに、何が必要か何が足りないかが少しずつ分かってきて、それどころじゃないと思ってきたそうです。

寮が出来た時の選手たちの暮らしは、大学三大駅伝を飾るアスリートを目指している風ではなかったと言います。


出典元:クラブサンスター

原美穂さんは当時について、次のように話をしています。

学校側がアスリート向けに用意した食事が毎回のように大量に残り、明らかに好きなものだけを食べていること、夜、遊びに出かけて日付が変わってから寮に帰ってきて、朝練に遅刻する学生がいることなどがわかってきたのです。

引用元:女子SPA!

そこで、原美穂さんは寮長や主務などと話し合って、「決まった食事の時間にする」「ビュッフェ形式をやめ、配膳形式にする」など、生活スタイルを変えて来ました。

色んなことを経験しながら、原美穂さんは寮母として、

・学生の生活と健康管理
・学生の相談相手
・設備の維持管理
・備品の買い出し
・電話番

といった、学生の生活面でのサポートを担っています。

原晋監督と嫁の馴れ初め

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原晋監督の嫁・原美穂さんの話によると、2人の出会いは、原監督が陸上を辞めてからだそうです。

原晋監督は、中国電力の陸上部に5年間所属していましたが、怪我に苦しみ「クビになって」、心の闇を抱えていたと言います。

そんな頃に嫁の原美穂さんに出会い、「救ってくれた恩が今もある」と言います。

実は、原晋監督は、最初、原美穂さんではなく、キューティーハニー似の友人の方を狙っていたとか。

その女性に電話を掛けたところ、たまたま友人の部屋にいた原美穂さんが出て、電話で話したのがきっかけだったそうです。

そして、その電話で「今週空いてる?」と原美穂さんを誘ったことから交際が始まり、その後1年経たずして結婚をしています。

原晋監督は、「奥さんがいなかったら、今の青学大はない」と、青山学院大学の躍進を支えてきた原美穂さんの存在の大きさを語っています。

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原晋監督と嫁の子供について


出典元:ORICON NEWS

原晋監督と嫁の原美穂さんとの間には、子どもはいません

原晋監督がサラリーマン時代に結婚し、その後、上京して青山学院大学陸上部の監督と寮母となっています。

長らく低迷していた青山学院大学陸上部の再建と、ゼロから始まった寮生活で、選手たちを自分達の子どものように、成長を見守ってきたのでしょうね。

原晋監督と原美穂さんには、沢山の子どもがいて、大変でしょうが、嬉しいこともいっぱいあると思います。

いかがでしたでしょうか?

今後も活躍が期待される原晋監督と原美穂さんを、引き続き注目していきたいと思います。