“ポジティブクリエイター”という肩書を持つ、春木開(はるき・かい)さん。
春木開さんはかつては『キャバ王』と呼ばれ、キャバクラで遊んでお金をもらう仕事をしていると、話題になりました。
そんな春木開さんとはどのような人物なのか、気になりますよね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、春木開さんについて、ご紹介したいと思います。
春木開さんは、岡山県岡山市の出身で、1988年6月28日生まれの現在34歳です。
職業は、「ポジティブクリエイター」の肩書で知られる実業家で、YouTubeチャンネル『春木開のKAITUBE』(登録者数37.3万人)を運営する、YouTuberとしても活動しています。
そんな春木開さんは以前『キャバ王』として活動し、今は『キャバチェラー』に昇格したそうです。
キャバ王時代は、「キャバクラで遊ぶことで、お金をもうらう仕事」をしていました。
春木開さんは、キャバクラでシャンパンを沢山飲んで、逆にギャラをもらっていたそうです。
実は、春木開さんは、『ドラゴンシャンパン』というシャンパンのプロデューサーで、フランスの畑を購入し、シャンパンの仕入れから販売までやっています。
春木開さんのシャンパンは、一般的なシャンパンに比べて糖質を3分の1に抑えれることから、毎日お酒を飲むキャバ嬢の間でウケるそうです。
そのシャンパンを全国のキャバクラに置いてもらい、春木開さんは『ドラゴンシャンパン』のPRを兼ねて、ゲストとして全国のキャバクラを周っていました。
春木開さんは、海外を含め全国30か所で開いた『WHITE PARTY』がバズり、「どうせパーティーで沢山開けるなら、シャンパンも自分たちで作ってしまおう」と、『DRAGON&TIGER』のプロデュースを手掛けています。
そのボトルに描かれている“龍”が縁起が良いと喜ばれ、春木開さん及びドラゴンシャンパンと一緒に撮った写真をSNSにアップすることが、人気キャバ嬢の証になっていたとか。
その人気キャバ嬢を目当てに来た客が、シャンパンを入れるという流れができ、店側にも春木開さんにもメリットとなったそうです。
そんな春木開さんは現在、ネイルサロン、スワロフスキーショップ、大型レストランバー、高級スパ経営、美容クリニック経営など、数々の事業を展開しています。
春木開さんは今後は、「ドバイに住んで何かやりたい」と話していました。
★春木開さんの彼女に関する記事は、こちらをご覧ください。
春木開さんの幼少期は、「めちゃめちゃ貧乏家系」だったそうです。
春木開さんの家庭は、公務員で月給15万円の父親に、専業主婦の母親と、弟が1人いますが、当時の1日の食費は家族4人で1000円だったそうです。
唯一、テストで良い点を取った時と、体調悪くて寝込んだ時だけ、マクドナルドを買ってもらえたため、マクドナルドを食べたさのあまりに仮病を使って、それが母親にバレてそれすら買ってもらえなくなったとか。
それでも誕生日だけは回転寿司に連れて行ってもらったという春木開さんは、大人になるまで回らない寿司があることを知らなかったと言います。
また、友達が犬や猫などのペットを飼い出すと、親に「ペット飼って欲しい」と言って、唯一飼ってもらったのがザリガニで、ザリとガニと名付けますが、共食いして死んでしまったそうです。
そんな春木開さんが高校に入ってコンビニでアルバイトを始めると、当時は賞味期限切れの廃棄物を持って帰れたため、それが食卓を支えていたとか。
しかし、春木開さんが高校3年生の時に、家庭内不和から父親が家を出て行ってしまい、春木家はもっと貧しくなってしまい、専業主婦だった母親も働きに出たそうです。
「お金が全てじゃないけど、全てにお金がいる」と思った春木開さんは、「俺はお金を稼ごう!俺は社長になろう」と、一番偏差値の高い経営学部がある、神戸大学を受験することを決意します。
受験するにもお金が必要なため、春木開さんは時給650円のセブンイレブンと、夜はドン・キホーテのゲームセンターでアルバイトをして、塾や問題集を買って大学受験をしたとか。
神戸大学に合格した春木開さんは独り暮らしを始めますが、学費も家賃も食費も全部自分の負担になるため、もっと貧しくなったと言います。
その頃は、家賃4万円で4畳の部屋に住み、食べてたご飯は米とゴマで、冬は隙間風で寒く、夏はめちゃくちゃ暑いけど、クーラーを入れるお金がなかったとか。
アルバイトを頑張った日に、今日ぐらいはクーラーを入れようとしたら、風ではなく大量のゴキブリが出てきたそうです。
その時は流石に、「何で俺だけ。何でみんな裕福なのに。何で俺だけ。」と凹みますが、今は人にはないハングリー精神を身に着けることができたため、その環境を親に感謝していると言います。
しかし、春木開さんの大学時代は、友達ができず、皆が学食でご飯を食べている時に、春木開さんは1人でトイレでおにぎりを食べ、通学用の原付のブレーキが壊れても修理するお金がなく、足をブレーキ替わりにしていたとか。
さらに、居酒屋でバイトをして、お客さんが残したカマンベールポテトやピザを食べていたほど貧しかったそうです。
それでも、「社長になるための試練だから」と、大学には真面目に通っていましたが、経営学部で学べることは経営に関する税務や簿記とかばかりで、「このまま勉強していて社長になれるのか?」と思ったとか。
春木開さんが大学の教授に相談すると、「つべこべ言わず単位を取りなさい!」と言われ、「単位を取って社長になれるの?」とさらに不安に陥ります。
そんな辛い大学生活を送っていたある日、アルバイトで遅くなり終電を逃したため、3駅分歩いていた春木開さんは、「おい、兄ちゃん。いい仕事あるんやけど、興味ないか?」と声を掛けられます。
その仕事はキャバクラに女の子を紹介するスカウトマンで、ご飯をご馳走になってしまった春木開さんは断ることができず、その仕事を引き受けます。
しかし、いざスカウトを始めるとほぼ無視されるか、汚い言葉を吐かれるため辛くなり、2時間経って辞めようとしたら、監視していた人に「今こんなことで逃げてたら、お前の目標達成できへんぞ」と説教されます。
それに対して春木開さんは「頑張ります!」となって、そこからキャバ嬢のスカウトの仕事を始めることになり、月に100万円ほど稼げるようになったそうです。
大学3年生で就活を始めると、周りの人から「自由なのは今だけ」「好きなことは今のうちにしておいけ」と言われ、春木開さんは就職に対して抱いていたイメージが違うなと思ったとか。
そこで「起業しよう!」と思った春木開さんは、4年生で大学を中退し、起業を反対する親や彼女とも縁を切り、全てを失って頑張ろうと思って起業を決意しています。
春木開さんの年収は1億円以上はあるようで、過去の最高月収は1000万円だとか。
春木開さんのYouTube動画では、度々、「年収1億円の人」の習慣やメニューの頼み方などが紹介されています。
「年収1億円の人の習慣」では、
と語り、「電話じゃないと気持ちが伝わらない、コミュニケーションの場合もあるから、その棲み分けだけはしないといけないから、そこは大切にしとけよ!」とアドバイスしています。
また、「年収1億円の人のメニューの頼み方」では、