1986年に結成した「B21 SPECIAL」でお笑いデビューしたタレントのヒロミさん。
ヒロミさんは、2023年『24時間テレビ』チャリティーマラソン「おじさん代表」で出場し、話題となっています。
そんなヒロミさんの若い頃はイケメンだったそうですね。
そこで今回の記事では、
・ヒロミの学生時代
・ヒロミが芸能活動休止した理由
の3つのポイントに沿って、ヒロミさんの若い頃についてご紹介したいと思います。
ヒロミの若い頃はイケメン!

ヒロミさんの若い頃は、お笑いトリオ「B21 SPECIAL」のリーダーを務めており、現在の妻である松本伊代さんからも当時「この真ん中の人かっこいい」と言わしめたほどのイケメンでした。
ヒロミさんは若い頃、お笑い芸人を目指しながら、イケメンな容姿をいかして都内のホストクラブに勤務していました。
その時、同僚で同じくイケメンでアイドル志望だったデビット伊藤さんと、ミュージカル役者とダンサー志望だったミスターちんさんに声をかけてお笑いの道へ引き込み、21歳だった1986年に「B21 SPECIAL」を結成しました。
その後、漫才師の星セントさんを師事し、当時もっとも人気が高く、業界関係者が多く訪れたいた六本木のショーパブ『バナナパワー』で評判となり、新人ライブで勝ち抜くなどして名を馳せていきました。
本格的にテレビ界へ進出するために、横山やすしさんが司会を務める『ザ・テレビ演芸』に出演すると、「飛び出せ笑いのニュースター」で10週連続勝ち抜き、第4代目チャンピオンに輝いています。
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ヒロミさん率いる「B21 SPECIAL」は、下積み時代がほぼなく、アイドルのようなイケメンの見た目と、テンポの良いコントが高く評価され、テレビ界で人気を博し、一番忙しかった時期のレギュラー本数は週10本で、月収が6000万円だったこともあるそうです。
さらに、「B21 SPECIAL」は1988年頃からの「お笑い第3世代ブーム」に乗り、ダウンタウンやウッチャンナンチャンに並ぶ、大注目のお笑いグループになっています。

1990年に「ゴールデンアロー賞」芸能新人賞を受賞し、1991年に映画『ふざけろ!』で映画デビューを果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いのヒロミさんたちでしたが、1991年9月放送の『1or8』で大火傷の怪我を負い、生死を彷徨うことに。
その後、ヒロミさんはデビュー当時から所属していた事務所から独立し、個人事務所「ビィーカンパニー」を設立させ、社員の給与を払うためにピンの仕事も引き受け、番組に司会者の抜擢が増えています。
ところが、ヒロミさんは後述するとあることが原因で、一時期芸能界から姿を消しており、その時期はスポーツジムや岩盤浴の経営をしていました。
休業中も連絡を取り合っていた中居正広さんから「いい加減テレビに出たらどうですか?」と復帰を勧められたこともあり、2014年頃からバラエティ番組に本格的に復帰しています。
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ヒロミの学生時代は暴走族!?

ヒロミさんは、中・高校時代は暴走族「八王子スペクター」の一員として、八王子を拠点に活動していました。
大工職人の父親に厳しく育てられたヒロミさんですが、幼少期は恥ずかしがり屋で、人前でいつもフニャフニャしていたことから「コンニャク」と呼ばれていたそうです。
照れ屋で優しい性格だったヒロミさんでしたが、兄が不良だった影響を受けて高校生になると一転し、夜ごとバイクを乗り回す日々を送っていました。
しかし、18歳の夏に友人2人を乗せた車で大事故を起こした結果、内臓破裂の重体で緊急搬送され、医者は家族に「手の施しようがない。諦めて下さい」と宣告したとか。
それでも、家族は「助からなくてもいい。せめて手術をしてください」と頼み込み、脾臓を1つ摘出する長時間の難手術の末に、奇跡的に命を取り留めました。
この事故を機に暴走族を辞め、人生を見つめ直したヒロミさんは、母からも「あなたは長生きしないかも知れないから、好きなことをしなさい」と言われ、お笑い芸人になることを決意したそうです。
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ヒロミの芸能活動休止した理由は?

ヒロミさんは2004年頃から約10年間、芸能活動を休止しています。
それについてインターネットなどでは、ヒロミさんが堺正章さんを「マチャアキ」と呼んだことで、堺正章さんが怒って干されたなどと噂されていました。
実際は、ヒロミさんの放送作家で大親友の吉野晃章(よしの・てるゆき)さんの病死のショックが理由だったそうです。
吉野晃章さんは、とんねるずの木梨憲武さんの高校時代の同級生で、デビューしたてのヒロミさんとも気が合い良き相談相手でした。
ヒロミさんが、年を重ねるうちに周囲から「もっと大人になれないか」とキャラ変を迫られると、若さと勢い任せのキャラクターで突き進んできたヒロミさんは困惑したとか。
そんな時に吉野晃章さんが「それでいいんだよ」と支えてくれ、自分を理解してくれる頼れる親友と一緒に、ヒロミさんは一緒に番組を作っていました。
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そんな吉野晃章さんが2003年に白血病を患い、成功率50%の骨髄移植を決意しますが、骨髄移植後、それが合わず吉野晃章さんは昏睡状態に陥り、2週間後に息を引き取りました。
ヒロミさんは「こうやって、人ひとり友達が亡くなっているのを見て、死ぬほど泣いた。本当に泣いた」と振り返っています。
デビューから常に支えになってくれた吉野晃章さんの死後、ヒロミさんは「気が抜けちゃったような…。これから誰とやるんだ?」と虚無状態になり、芸能界から姿を消しています。
芸能界から離れていた期間、ヒロミさんは加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営に従事し、経営者として仕事をするうちに、人への優しさや労いの気持ちを持てるようになったそうです。
2014年に突如テレビに復帰したヒロミさんは、2018年2月に出演した『ボクらの時代』で「東京五輪のチケットが欲しかったから」と復帰理由を明かしています。
ヒロミさんは「その時、俺、普通の人だったから、芸能界でチケット手に入らないかなぁとか、それで戻りたいって思った。それまで戻りたいと思わなかった」と言います。
さらに、中居正広さんからの「そろそろテレビに出たらどうですか?」という後押しもあって、復帰したそうです。
★ヒロミさんと妻の松本伊代さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなヒロミさんを、引き続き注目していきたいと思います。