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格闘技イベント「ブレイキングダウン」のバンタム級王者の井原良太郎さん。
井原良太郎さんは、足立区喧嘩自慢からの成り上がりで、初代ブレイキングダウンバンタム級王座決定トーナメントで優勝し、注目を集めました。
そんな井原良太郎さんの過去が気になる人が多いようです。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、足立区の井原良太郎さんについてご紹介したいと思います。
井原良太郎さんは、東京都足立区の出身で、年齢は28才で、現在の職業は分かりませんでした。
井原良太郎さんは以前、YouTuber・ヒカルさんの『下剋上~人生最後の一攫千金~』に登場していました。
この『下剋上』とは、多額の借金があるなど様々な事情を抱えた参加者が、賞金1000万円をかけて挑むリアルカイジ番組です。
その動画の中で井原良太郎さんは「親、知人、兄弟、ありとあらゆる人間を騙して借金抱えて、約3000万円くらいやってます。手を差し伸べてくれる人はいません。孤独の状態です。」と、借金が3000万円あることを告白してます。
その次に、井原良太郎さんは、同じくヒカルさん主催の格闘技イベント『バトルミリオネア』にも出場しており、ブレイキングダウンでブレークした、足立区の先輩のメガネ社長と対戦しています。
格闘技経験ゼロながらも、ブレイキングダウンで3戦3勝の負けなしのメガネ社長に対して、足立区出身の喧嘩自慢として井原良太郎さんが喧嘩を売る形で対戦が決まりました。
井原良太郎さんは、手数でメガネ社長を上回り、1Rで2度のダウンを奪いKO勝ちを収めています。
井原良太郎さんは試合後リング上で「ヒカルさん、バトルミリオネアをもっと盛り上げたい。ブレイキングダウンに殴り込みに行きたい。一緒に行って欲しい」と叫んでいました。
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その後、井原良太郎さんは、ブレイキングダウン8のオーディションに参加していますが、公開されている動画の方では、井原良太郎さんの姿は見ることができませんでした。
そして、ブレイキングダウン10の「喧嘩自慢地区対抗戦」の足立区オーディションに参加した、井原良太郎さんはスパーリングでダウンを2度奪う実力が評価され、足立区のフェザー級代表に選ばれました。
ブレイキングダウン10の「喧嘩自慢地区対抗戦」のオーディションでは、準決勝として足立区と大宮が激突しました。
井原良太郎さんは、大宮代表の“喧嘩快楽マシーン”と称されるメカ君と対戦し、立ち技ルールにも関わらず倒れた相手にそのまま殴りかかり、試合は一時中断しています。
朝倉未来さんが自ら止めに入って1分間仕切り直しとなり、再会後、井原良太郎さんは壮絶な殴り合いを制しKO勝利を収めると、朝倉未来さんから「あいつ面白いですね」と高評価でした。
最終的に大宮が3勝2敗で決勝進出となり、敗れた足立区の井原良太郎さんは涙を流して悔しがっていました。
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ブレイキングダウンの井原良太郎さんの経歴は、元建設会社の経営者です。
調べてみると、井原良太郎さんの会社は、東京都足立区の「MRコーポレーション株式会社」というところで、2015年に設立されています。
事業内容は、土木工事、石工事業、太陽光パネル工事、舗装工事、水道施設工事など工事業全般を扱っていました。
井原良太郎さんは1年目から年商1億円をあげていましたが、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、資材が入らず仕事もなくなり、従業員の給料が払えず会社は分裂してしまいました。
先述の通り、井原良太郎さんは3000万円の借金があるとのことで、この事業が継続されているのかは分かりませんでした。
そんな井原良太郎のInstagramで《最近、もんじゃ竹の子に居ます。毎日明るく元気に営業しています》という投稿があるので、こちらでアルバイトをしているのかも知れません。
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井原良太郎さんは、YouTubeチャンネル『街録ch』に出演した際、自身の生い立ちについて語っていました。
井原良太郎さんは生まれも育ちも東京・足立区で、両親は2歳の頃に離婚しており、井原良太郎さんと2歳年下の弟は父親に引き取られています。
井原良太郎さんの父親はグレーゾーンの仕事をしており、家に居ることが少なかったため、井原良太郎さんと弟はお金だけもらってコンビニのご飯を食べながら、2人で生きてきたと言います。
井原良太郎さんは、子供の頃から運動神経も良く目立つ存在で、中学2年までクラブチームに所属する野球少年だったとか。
しかし、その後、遊ぶ方が楽しくなった井原良太郎さんは、野球を辞めて非行の道に進み、ひったくりやグループの下の子に金庫泥棒をやらせるリーダーでした。
そんな井原良太郎さんは、過去に喧嘩して傷害で捕まったことがあり、1ヵ月間鑑別所に入れられた経験があります。
井原良太郎さんは高校へは進学せず中卒で、16歳で親元を離れて一人暮らしをして、父親がしていたテキ屋の仕事などを手伝っていました。
そして、17歳の頃に「違う稼ぎ方をしないと」と思った井原良太郎さんは、19歳で太陽光パネルを設置する建設業を自分でやるようになり、24歳頃までは順風満帆でした。
しかし、もう一人の共同経営者とお金のことで揉め、会社が分裂してしまい、井原良太郎さんは会社を去り、先述の3000万円の借金が残り、今も地道に返済しているとのことです。
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ブレイキングダウンの井原良太郎さんの格闘技歴はMMAであると、『バトルミリオネア』のオーディションで明かしており、期間は長くないですが3戦3勝だそうです。
調べてみると、井原良太郎さんは総合格闘技ジム「BRAVE GYM」に所属していることが分かりました。
BRAVE GYMは、シドニー五輪レスリング日本代表の宮田和幸さんが代表を務めており、DEEPフェザー級王者の芦田崇宏さんや、DEEPライト級王者の武田光司さん、三浦孝太さんなど有力選手が所属しています。
しかし、井原良太郎さんは「練習はしていない」と断言しており、ジムには月に数回ほど行く程度のようです。
ブレイキングダウン8のオーディションでは、ボクシング5年・伝統派空手5年の参加者とスパーリングをして負けていますが、足立区オーディションではダウンを2回とり、「喧嘩自慢地区対抗戦」準決勝でもダウンを奪う強さを見せています。
井原良太郎さんはスパーリングでの強さが認められ、ブレイキングダウン初代バンタム級トーナメントに参戦し、決勝でダンチメン・あつきさんに1RKO勝ちし、初代ブレイキングダウンバンタム級王者に輝いています。
さらに、ブレイキングダウン12で冨澤大智さんと対戦し、延長の末、判定5-0で勝利を収め、初防衛に成功しました。
★井原良太郎さんの投資トラブルに関する記事はこちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
これからも引き続き、井原良太郎さんの活躍に注目していきたいと思います。