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東京・新宿区の居宅で老衰のため95歳で亡くなった、創価学会名誉会長の池田大作(いけだ・だいさく)さん。
池田大作さんは、創価学会の最高指導者として、日本最大規模の宗教団体に育て上げ、政治にも積極的に関与し、公明党を創設した人物です。
そんな池田大作さんをサポートする家族はどんな人たちなのか気になりますよね。
そこで今回の記事では、
・池田大作の妻
・池田大作の息子
の3つのポイントに沿って、池田大作さんについてご紹介したいと思います。
池田大作の家族構成は?

池田大作さんの家族構成は、妻と息子3人の5人家族です。
長男:池田博正(いけだ・ひろまさ)さん
次男:池田城久(いけだ・しろひさ)さん
三男:池田尊弘(いけだ・たかひろ)さん
池田大作さんは、1928年(昭和3年)1月2日に、東京・大森で海苔製造業を営む実家に、8人兄弟の5男として生まれました。
父親の子之吉さんは、“強情さま”と呼ばれ筋を通す人柄で、母親の一(いち)さんは、明るく働き者で芯の強い女性だったそうです。
戦争が始まると4人の兄は次々と出兵し、池田大作さんは病に伏した父親の代わりに、懸命に一家を支えていたと言います。
時が経ち、1951年(昭和26年)の夏に、旧知の友人から「妹です」と紹介されたのが、後に妻となる香峯子さんで、翌年、池田大作さんが24歳、香峯子さんが20歳の時に結婚式を挙げています。
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池田大作の妻は大学名誉教授!

池田大作さんの妻・香峯子さんは現在91歳で、アルゼンチンにあるビジャマリア大学の名誉教授を務めています。
妻・香峯子さんは、東京出身で、日蓮正宗の信徒であった名門・白木家の白木薫次の娘として生まれました。
香峯子さんの父・薫次さんは砂糖取引会社の常務で、創価学会の理事を歴任した幹部でした。
創価学会の第2代会長の戸田氏が見守る中、池田大作さんと結婚した香峯子さんは、戸田氏から妻の心構えとして「家計簿をつけること」「どんな不愉快なことがあろうと、朝晩、夫を笑顔で送り迎えすること」の2点をアドバイスされたそうです。
結婚後は、戸田氏の言葉通りに家計簿を記し、いつも笑顔で夫を送り出し、笑顔で迎えた妻・香峯子さんに、池田大作さんは「妻に感謝状をあがるとしたら、『微笑み賞』でしょうか」と話しています。
池田大作さんが第3代会長に就任後は、国内外の出張には香峯子さんも同行し、激務の夫の体調をみながら、海外の宿泊先でお米を炊いたり、お粥を作ることもあったそうです。
池田大作さんは妻・香峯子さんについて「私のとって人生の伴侶であり、看護師であり、秘書であり、母のようでもあり、娘か妹でもあり、何より第一の戦友です」と述べていました。
そんな、妻・香峯子さんは、2007年にサンタマリア大学名誉法学博士号を取得し、2016年12月にビジャマリア大学の名誉教授に就任しています。
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池田大作は息子3人で次男の死因は?

池田大作さんに息子が3人いましたが、次男の城久さんは29歳で亡くなっており、死因は「胃穿孔(いせんこう)」でした。
池田大作さんの長男・博正さんは、東京都出身、1953年4月28日生まれの現在70歳で、創価学会の副理事長に就任しており、創価学会の最高幹部の1人です。

出典元:聖教新聞
博正さんは、慶応義塾大学を卒業後、関西創価学園で教諭として10年間務めており、その後、創価学会本部に勤め、創価学会副会長などを歴任しています。
そして、亡くなった次男の城久さんは、同じく東京都の出身で1955年に生まれ、成蹊中学校・高等学校を経て創価大学を卒業し、創価大の職員を務めていたようです。
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そして、池田大作さんの三男・尊弘さんは、東京都出身で、1958年4月11日生まれの現在65歳で、創価学園副理事長を務めています。
尊弘さんは、慶応義塾大学を卒業後、関西創価小学校と創価学園に勤めており、これまでに、創価学会副会長、創価学会副総東京長、創友会運営委員などを歴任しています。
池田大作さんは多忙な中でも、3人の息子と過ごす時間の少なさを補う工夫をしながら、妻・香峯子さんと共に子育てに取り組んできたそうです。
常に心掛けたことは「子供との約束は守る」ということで、どうしても約束が守れない時は香峯子さんが上手くフォローしてきたと言います。
池田大作さんは妻・香峯子さんと二人三脚で、多忙な中でも暖かい家庭を築いていたようですね。
以上、池田大作さんの家族についてご紹介させていただきました。