アイドルグループのおニャン子クラブの元メンバーだった、タレントの生稲晃子さん。
生稲晃子さんが、夏の参議院選挙に東京地区から出馬を表明し、話題となっていますね。
そんな生稲晃子さんは、学生時代からとても優秀だったそうです。
そこで今回の記事では、
・生稲晃子の経歴
・生稲晃子のガンと出馬
の3つのポイントに沿って、生稲晃子さんについて、ご紹介したいと思います。
目次/もくじ
生稲晃子の出身高校と大学!
生稲晃子の出身高校
生稲晃子の出身高校は、東京都武蔵野市吉祥寺東町にある私立の、吉祥女子高等学校です。
出典元:武田塾
吉祥女子高等学校は、帝国書院を創設した守屋荒美雄氏が、1938年に設立した「帝国第一高等女子校」が前身となっており、1948年の現在の校名となっています。
2007年から併設の吉祥女子中学校と、完全中高一貫校となり、現在は高校では生徒の募集はありません。
吉祥女子高等学校の偏差値は61~64となっており、8割以上の卒業生が、難関国公立大や難関私立大などの4年制大学へ進学しています。
吉祥女子高等学校出身の有名人には、タレントの釈由美子さんや戸島花さん、元アナウンサーの久代萌美さんなどがいます。
生稲晃子さんは小金井市立緑中学校を経て、吉祥女子高等学校へ入学しました。
高校は芸能活動禁止でしたが、生稲晃子さんは高校1年生の時から、ホリプロ系のモデル事務所に所属し、CM出演やモデルとして芸能活動を始めています。
生稲晃子さんは、成績が非常に優秀だったため、高校から「トップの成績を維持すること」と「大学を受験すること」を条件に、特別に芸能活動を許可されたそうです。
しかし、成績は優秀でしたが、芸能活動をしていたことで、大学入試に際して学校の推薦がもらえなかったため、高校3年生の時は、おニャン子クラブの活動を休止して、大学受験に専念しています。
★生稲晃子さんの若い頃に関する記事は、こちらをご覧下さい。
続いては、生稲晃子さんの出身大学を、見ていきたいと思います。
生稲晃子の出身大学
生稲晃子さんの出身大学は、東京都多摩市南野にある私立の、恵泉女学園短期大学英文学科(現・恵泉女学園大学)です。
出典元:キャリタス進学
恵泉女学園短期大学は、1950年にリベラルアーツ(教養教育)主義の大学として、女性教育者の河合道(かわい・みち)氏によって設立されました。
2002年に恵泉女学園園芸短期大学と改称しますが、恵泉女学園一体化のため、2005年12月に廃止となっています。
恵泉女学園短期大学出身の有名人は、タレントの国分佐智子さんがいます。
生稲晃子さんは、1987年4月に恵泉女学園短期大学へ入学しています。
もともと芸能活動を長く続ける気はなかった生稲晃子さんは、将来的には学校教諭になる事を考えてたそうで、大学進学後も意欲的に講義を受けていました。
大学受験後から始まった、ユニット『うしろ髪ひかれ隊』のメンバーに、工藤静香さんと斉藤満喜子さんとともに抜擢され、1987年9月のおニャン子クラブ解散後も、うしろ髪ひかれ隊として活動を続けていました。
翌年の1988年4月をもって、うしろ髪ひかれ隊の活動が終了し、その後、生稲晃子さんは、「麦わらでダンス」でソロデビューした他、ドラマやバラエティ番組に多数出演してきました。
続いては、生稲晃子さんの経歴を、見ていきたいと思います。
生稲晃子の経歴はカウンセラーも⁉
出典元:Instagram@akiko_ikuina
生稲晃子さんは、2003年にCM制作会社のプロデューサーの佐山智洋さんと結婚し、2006年3月に第1子を出産しています。
2006年からは芸能事務所の『株式会社ポートレーブ』に所属し、家事と子育てに支障のない範囲で、女優やレポーターの仕事を続けてきました。
さらに、夫婦で鉄板焼き屋を経営しており、生稲晃子さんも時間がある時は、店に立つこともあるそうです。
出典元:Instagram@akiko_ikuina
公私ともに多忙な生稲晃子さんですが、2010年に「ハートフルライフカウンセラー学院」で、心理学とカウンセリングを学んでいます。
そして、日本推進カウンセラー協会認定の、「心理学カウンセラー」と「メンタルトレーナー」としても活動をしています。

生稲晃子さんは、カウンセラーを目指した理由を、次のように話しています。
心豊かな生活を、一人でも多くの人と共有したい!そのためにも、悩みに苦しみ、耐えている人の力に少しでもなれたらという強い思いから、カウンセラーを目指しました。
引用元:ハートフルライフカウンセラー学院
さらに、生稲晃子さんは2020年に、日本推進カウンセラー協会認定の、認知行動療法士の資格も取得しています。
(引用元:ハートフルライフカウンセラー学院)
生稲晃子さんは、現在は一旦休止していますが、ハートフルライフカウンセラー学院の講師として、メールを活用した、メールカウンセラーとして活動しているそうです。
生稲晃子さんは、学んだ認知行動療法を活用することで、乳がんに罹り折れそうになった自分自身の心を、プラスの方向に向けれるようになったと話しています。
続いては、生稲晃子さんの乳がんと出馬について、見ていきたいと思います。
生稲晃子はがん治療から出馬へ
乳がんの闘病生活
引用元:デイリー
生稲晃子さんは、2011年3月に受けた人間ドックで「乳がん」が発覚し、5月に腫瘍の部分を摘出する乳房温存手術を受けています。
乳がんのことは、家族と身近な関係者だけに打ち明けただけで、仕事も休まなかったそうです。
放射線治療と薬による治療を受けますが、2012年に1回目の再発し、がんのできた部分を摘出する再手術を受けています。
2013年秋に2回目の再発が判明し、生稲晃子さんは、「そんなに悪い人生を送ってきたのだろうか」「今後のことを考えると気が変になりそうだ」と考え、絶望感が湧き起こったそうです。
そして、2013年12月には、右胸の全摘出手術を受けています。
生稲晃子さんは当時のことを、次のように振り返っています。
娘のために命を優先しなければ、私のところに生まれてきてくれた娘が成人するまでは、責任を持ってそばにいてあげたい、死ぬわけにはいかない、生きていなければ。
引用元:ハートフルライフカウンセラー学院
娘の成人する姿を想像することで、頑張る気持ちを持つことができたそうです。
その後、2015年に生稲晃子さんは、「右乳房再建手術」を受けています。
乳房再建手術に取り組んでいた2年間は、とても痛く辛かったそうです。
しかし、生稲晃子さんは、
乳房再建がうまくいけが、乳がんで乳房を切除した方々に、時間がかかっても再建できると教えてあげられる。そして、再建への勇気を与えてあげることができる。
引用元:ハートフルライフカウンセラー学院
と、気持ちを奮い立たせたそうです。
そして、2015年11月に乳がんであることを、初めて公表しています。
生稲晃子さんは、1800日にもおよぶ闘病生活の全容を、著書『右胸にありがとうそしてさようなら』(光文社・2016年)で綴っています。
参院選出馬の理由
出典元:日刊スポーツ
生稲晃子さんは、参院選への出馬を発表した際、出馬理由を次のように述べています。
これまで36年間ファンの皆様に温かく支えられてきた。課題を解決するために国会議員となり、病気と仕事、子育てを両立してきた自分の経験を政策などに反映したいと思い、出馬を決意しました。
引用元:スポーツ報知
生稲晃子さんは、2016年に乳がんの治療を受けた経験を踏まえ、当時の安倍政権肝いりの『働き方改革実現会議』の有識者メンバーを務めています。
会議に参加した生稲晃子さんは、がん患者の仕事の両立をめぐり、主治医・会社・産業医・心理カウンセラーによる、「トライアングル型」のサポートの重要性を提言しています。
また、生稲晃子さんは2020年からは、厚生省のがん対策推進企業アクション女性会議『Working Ribbon』の、オフィシャルサポーターも務めています。
そんな生稲晃子さんを強く推したのは、参議院自民幹事長で安倍元首相の側近である、世耕弘成(せこう・ひろしげ)氏だとか。
出典元:ニュースイット
世耕弘成氏
生稲晃子さんが現在所属する、『プロダクション尾木』の尾木徹社長が、経済産業省が所管する『日本音楽事業者協会』の会長を務めていたことから、当時、経産相だった世耕弘成氏が生稲晃子さんを引き入れたそうです。
しかし、タレント候補ということで批判も少なくないようですが、生稲晃子さんは「おニャン子クラブは、一生懸命大スターまで上り詰めたグループなので、良くないイメージで見られるのはつらい。だからこそ頑張りたい。出るからには当選したい」とコメントしています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される生稲晃子さんを、引き続き注目していきたいと思います。