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芸能界で再起をはかるため、現在奮闘中の俳優のいしだ壱成(いしだ・いっせい)さん。
いしだ壱成さんが若い頃は、中性的なルックスと演技が注目され、「フェミ男」と呼ばれて若者に支持されていました。
そんないしだ壱成さんの母親はどんな人なのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、いしだ壱成さんの両親について、ご紹介したいと思います。
出典元:グルーオンズ
いしだ壱成さんの母親の名前は、星川まりさんです。
星川まりさんは、1955年生まれで今年67歳で、東京都府中市にお住いのようです。
星川まりさんは活動家と言われており、現在、緑の党で社会運動部長をしています。
緑の党とは、環境主義、多文化主義、反戦などの主義・信条に基づく、緑の政治を目指す政党です。
星川まりさんは緑の党において、脱原発・気候危機・平和・ジェンダーなどをテーマに、活動を行っているようです。
また、星川まりさんの実兄は、作家で翻訳家の星川淳(ほしかわ・じゅん)さんです。
星川淳さんも環境活動家で、2005年から2010年10月までグリーンピース・ジャパンの事務局長も務め、原発、プルトニウム再処理問題、遺伝子組み換え問題、原生林保護問題、調査捕鯨問題に取り組んでいます。
出典元:abt
星川淳さんはインドやアメリカに居住経験があり、1982年からは妻子と共に屋久島へ移住しています。
そんな兄の影響からか、星川まりさんはアメリカをルーツとする、ヒッピー系であるという噂があります。
出典元:Pinterest
60年代のヒッピー
ヒッピーとは、1960年代後半以降にアメリカに登場した、旧来の価値観や性規範に対抗する、カウンターカルチャーの一翼を担った若者のことを指します。
兄の星川淳さんがアメリカに移住していたことがあるので、もしかしたら星川まりさんもアメリカにいたことがあるのかも知れませんね。
星川まりさんはTwitterのアカウントを持っており、ご自身の活動を熱心にされているのが伺えます。
出典元:ザ・テレビジョン
いしだ壱成さんの父親は、俳優の石田純一(いしだ・じゅんいち)さんです。
石田純一さんと元妻の星川まりさんは、1970年代に知り合って結婚し、石田純一さんが20歳だった1974年に、長男・いしだ壱成さんが生まれています。
石田純一さんと元妻の星川まりさんは共に東洋哲学に傾倒しており、その縁で知り合ったそうです。
石田純一さんは結婚当時、早稲田大学商学部に通う学生でしたので、2人は学生結婚でした。
大学在学中に、演出家になることを考えた石田純一さんは、アメリカ留学を決意します。
渡米する前に「子供が欲しい」と星川まりさんが妊娠し、結婚に至ったようです。
しかし、石田純一さんが3年間のアメリカ滞在中に、2人は離婚をしています。
離婚を切り出したのは星川まりさんからで、理由は「石田純一さんの演劇の勉強をする、邪魔になってはいけないという想い」からだったとか。
星川まりさんは、「アメリカに後から行く」と言っていたそうですが、渡米せず「彼氏ができた」と嘘をついて、離婚したそうです。
石田純一さんは帰国後の1978年に大学を中退し、演劇集団『円』の演劇研究所研究生となりました。
2歳の時に両親が離婚したいしだ壱成さんは、星川まりさんに引き取られますが、父方の祖父の石田武さん(元NHKアナウンサー)が、父親代わりを買って出て、溺愛してくれたそうです。
石田純一さんはいしだ壱成さんから聞くまで、そのことを知らなかったとか。
いしだ壱成さんは、「祖父がいたから寂しくなかった」と言います。
石田純一さんは、1991年10月にいしだ壱成さんの存在が明らかになり、『隠し子』として週刊女性にスクープされ、大きく報じられました。
出典元:エキサイト
石田純一さんも記者の取材で、記事の内容におおむね肯定しており、「隠していたというのは語弊がある。最初の結婚や子供がいたことを公表しなかっただけ。」と、事実を認めています。
その翌年に、いしだ壱成さんは、「石田純一の息子・いしだ壱成」として、芸能界デビューをしており、親子の共演も見られるようになりました。
出典元:Instagram@issei_ishida.official
石田純一さんと離婚後、星川まりさんはいしだ壱成さんを連れて、屋久島、八ヶ岳、アメリカのオレゴン州など、各地を転々とするヒッピー的な生活しており、海外を含め50回以上引越しをしたそうです。
屋久島への移住は、「移住はお金がかからない」と、親戚が勧めてくれたと言います。
しかし、移住先はバスで1時間、さらに歩いて1時間のジャングルの奥地に孤立する廃屋で、電気・ガス・水道もなく、朝5時に起きて水をくみ、入浴はドラム缶風呂だったそうです。
出典元:campify
さらに、食事は地元の漁師が食べない魚を食べる、自給自足のサバイバル生活。
トイレは、ジャングルに備えた和式便器を、布で囲んでしのいでいたようです。
2年後には、島内の別の小屋に引越し、やっと電気のある暮らしが出来ましたが、台風で全壊してしまい、東京に戻ることになったそうです。
いしだ壱成さん曰く、「自給自足は忙しい。水くみに行って、火を起こしてお湯を沸かして、それからヤギの乳を搾りにいく」と、当時の多忙さを回想しています。
★いしだ壱成さんの若い頃に関する記事は、こちらをご覧下さい。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうないしだ壱成さんを、引き続き注目していきたいと思います。