ロンドンオリンピック銅メダリストの、元バレーボール選手の狩野舞子(かのう・まいこ)さん。
狩野舞子さんは、ジャニーズWESTの桐山照史さんとの真剣交際が報じられ、話題となっています。
そんな狩野舞子さんの若い頃はどんな女性だったのでしょうか?
そこで今回の記事では、
・狩野舞子の引退理由
・狩野舞子の現在の仕事
の3つのポイントに沿って、狩野舞子さんについてご紹介したいと思います。
狩野舞子の若い頃がかわいい!

狩野舞子さんは、東京都三鷹市出身で、1988年生まれの現在34歳です。
両親・姉もバレーボール選手という、バレーボール一家で育っています。
狩野舞子さんは幼稚園の頃から皆より頭一つ大きかったそうで、お遊戯会ではお母さん役しか任されたことがなかったとか。
小学校入学時点で身長は135㎝あり、小学校4年生から三鷹市の「大沢スポーツクラブ」でバレーボールを始め、小学6年ですでに身長174㎝だったそうです。

狩野舞子さんは、私立の八王子実践中学校に進み、東京都代表やアテネオリンピック全日本代表の18名の1人に選ばれており、中学生で選ばれたのは中田久美さん以来24年ぶりでした。

出典元:デイリー新潮
色白の整った顔立ちも相まって、狩野舞子さんは「期待の美少女エース」として実力以上に注目を集めました。

出典元:nubmer.bunshun
しかし、狩野舞子さんは、成長期による骨の成長に筋肉の発達が追い付かず、腰痛に苦しむことになり、代表には選ばれませんでした。
名門・八王子実践高校に入学した時点で、狩野舞子さんの知名度は群を抜いており、1年生から出場した春高バレーでもエースとして活躍し、試合後は多くのカメラや記者に囲まれたとか。
狩野舞子さんは高校時代も、コルセットが手放せないほど腰痛に苦しんでおり、毎日注射を打って練習していたそうです。
そして、狩野舞子さんは、高校3年生だった2006年の春高バレー本大会のポスターに抜擢されています。

ポスターの右には、深谷高校(埼玉)エースの八子大輔選手(現・JTサンダース広島)で、左に八王子実践高校のエース・狩野舞子さんの顔が並んでいます。
この時高体連は「高校生の大会であるにもかかわらず、特定の選手を取り上げるのはどうだろうか」と難色を示したそうですが、スポーツ界を盛り上げるためにと注目度のある2人が採用されたとか。

出典元:number.bunshun
高校卒業後は、姉の狩野美雪さんが在籍していた久光製薬スプリングス(現・久光)に入団し、2009年4月に全日本女子代表メンバーに登録されています。

しかし、狩野舞子さんは、2008年に右アキレス腱断裂、2010年に左アキレス腱断裂の怪我を負っており、2010年7月に久光製薬を退団し、治療に専念することになります。
その後、世界最高峰と言われる2大海外リーグ「セリエA」と「トルコリーグ」へ挑戦し、9年越しの夢を叶えてロンドンオリンピックに出場しています。

狩野舞子さんは、翌シーズンから久光製薬に復帰しセッターに転向しますが、2015年には1年間バレーボールから離れ休養を取り、2015年6月30日に久光製薬が引退を発表。
2016年7月にV・プレミアムリーグに昇格した「PFUブルーキャッツ」でスパイカーとして現役復帰し、2017/2018シーズンにはVチャレンジリーグの準優勝に貢献しています。

そして、狩野舞子さんは、2018年5月の黒鷲旗を最後に、惜しまれながら現役を引退しています。
狩野舞子の引退理由は怪我!?

狩野舞子さんの引退理由は「やりきったから」と本人が明かしています。
狩野舞子さんは2回引退しています。
2015年5月に久光製薬から引退を発表された時には、狩野舞子さんは「バレーボールを楽しいと思えなくなっていた」そうです。
狩野舞子さんは「バレーボールは好きだし、今でも大好き」だと話していますが、「ずっと辛かった」そうです。
ずっと辛かったですね。練習も毎日きついし、試合だって勝つ瞬間まではやっぱり辛いし、勝負を楽しみながらも、やっぱり辛いことのほうが多いんですよ。家族や指導してくれた先生、色んな方々の思いを浮かべて、絶対に結果を残さなきゃダメだって、勝手な自分のプレッシャーに押しつぶされるのもきつかったですね。
引用元:number.bunshun
現役時代はずっと人や何かと競争していて、狩野舞子さんは「競争って上手じゃない」と話しています。

一度久光製薬を辞めてから、イタリアとトルコでプレーし、ロンドンオリンピックを終えてからセッターに転向しますが、技術も経験も、セッターとして求められるタフな精神力はない。
「人を蹴落としてでもやってやる」と思うのではなく、自分の足りない部分ばかり目に留まり、気づけば「バレーボールを楽しい」と思えなくなっていたとか。
そんな狩野舞子さんが現役復帰を決めたのは「中途半端だった」からだと言います。
中途半端だったな、って思ったんです。しんどいと思うことはたくさんあったし、もうバレーボールはいいや、と思ったけれど、ちゃんと振り返ったら私、本当にやりきったのかな、って。だったらもう1回、ちゃんとやって、終わろうかな、って思ったんです。
引用元:Yahooニュース
狩野舞子さんは復帰するにあたり「“バレーを楽しむ、やりきる”というのを一番においてやってきました」と話しています。

復帰した時点で「そんなに長くはないな」と感じていた狩野舞子さんは「短い期間で一生懸命やろう」と考えていたそうです。
そして、2018年のリーグが終わった時、迷いもなく「もういいな」と自然と思えたと語っています。
今後は選手に戻ることはなく、バレーボールをやるなら、競争とか大会ではなく、昔の仲間たちと楽しくやりたいと思っているそうです。
狩野舞子の現在の仕事は何?

狩野舞子さんは、2018年に現役引退後、解説やYouTube配信をはじめ様々なメディアで活躍中です。
狩野舞子さんのこれまでのメディア出演歴は次の通りです。
・フジテレビ『春高バレー』(2019年)解説
・TBS系列『東京VICTORY』『炎の大会TV』『オールドルーキー』
・フジテレビ『ジャンクSPORTS』
・LIONクリニカ インフォマーシャルCM(石川県版・東北版)
・週プレNEWS『さらば平成』インタビュー
・BS朝日『アスリートインフィニティー』
また、狩野舞子さんは、ネット番組『狩野舞子の知るスポ!!』で、自身初となるMCの仕事も務めています。

番組では、様々なスポーツのアスリートをゲストに迎え、テレビで深堀できなかった競技の魅力を紹介しています。
また、狩野舞子さんは、自身のYoouTubeチャンネル『マイコチャンネル★狩野舞子oddicial』を開設し、YouTuberとしても活動しています。

現在(2023年4月時点)、チャンネル開設から3年弱が経ち、動画本数は212本、チャンネル登録者は9.61万人となっています。
動画の内容は、バレーボールやその他のスポーツ、プライベートのことなどを投稿しています。
さらに、狩野舞子さんは2021年12月に『バルシューレアンバサダー』に就任しています。

バルシューレはドイツで生まれたボール遊び教室で、狩野舞子さんはバルシューレ指導者資格を取得しており、バルシューレの普及活動に関する情報を発信しています。
狩野舞子さんはこれまでの経験をいかし、様々な形でスポーツに関わる仕事をしています。
★狩野舞子さんの家族に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな狩野舞子さんを、引き続き注目していきたいと思います。