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会社経営者の夫と“円満離婚”を公表した、グラビアアイドルの熊田曜子(くまだ・ようこ)さん。
熊田曜子さんは抜群のプロポーションを活かし、グラビアアイドルとして人気を獲得していました。
そんな熊田曜子さんですが若い頃は“ブタゴリラ”と呼ばれていたそうです。
そこで今回の記事では、
・熊田曜子の学歴
・熊田曜子と島田紳助
熊田曜子の若い頃はブタゴリラ!?

熊田曜子さんは若い頃、男子生徒から“ブタゴリラ”というあだ名で呼ばれていたそうです。
高校時代はテニス部に所属していた熊田曜子さんは、毎日しっかり運動していましたが、運動量以上に食べてしまっていたと言います。
朝起きてから寝るまでに1日5食を食べており、朝練後に早弁、授業中にお菓子、昼食はパン一斤、夕食後に大量のアイスクリームを食べる生活を続けたら、体重が60㎏を超え丸顔の肥満体形になったとか。

しかし、熊田曜子さんは「自分はそんなに太ってないと思っていたよ」と明かしています。
男子からは“ブタゴリラ”と呼ばれるようになり、あだ名の元ネタの『キテレツ大百科』のブタゴリラの本名も偶然にも『熊田』でした。

熊田曜子さんは「すごいショック、悲しかったです。顔は笑っているけれど、本心ではものすごく傷ついてました」と振り返っています。
熊田曜子さんがダイエットを決意するきっかけとなったのは、同じ高校の1つ上の先輩で俳優の綾野剛さんでした。

出典元:Twitter
綾野剛さんは陸上部で「フォームがものすごく綺麗でかっこいいし、運動もできたのでスーパースターでした。次元が違い過ぎて雲の上の存在でした」と語り、「自分もちゃんとしなきゃ」とダイエットを決意したそうです。
そして、熊田曜子さんは人生初のダイエットに成功し、高校から15㎏減量に成功した頃に成人式を迎えています。
その時の画像がこちらです。

この時の体重は45㎏くらいで、当時、スナック菓子の『じゃがりこ』にハマり過ぎて、夕食をじゃがりこだけで済ますという無謀なダイエットをしていたそうです。
熊田曜子の学歴は看護学校!

出典元:RBB TODAY
熊田曜子さんの最終学歴は、岐阜市立看護学校を中退しています。
熊田曜子さんは、岐阜市立藍川小学校、岐阜市立藍川北中学校、関市立関商工高等学校商業科を経て、岐阜市立看護学校へ進学しています。
家族構成は、両親と3つ上の兄の4人家族でしたが、両親は離婚しており、兄と共に母親に引き取られ母子家庭で育っています。

出典元:熊田曜子公式ブログ
熊田曜子さんの小学時代は、ピアノやそろばん、習字、学習塾などの習い事をし、毎年学級委員に立候補するなど模範的な生徒でした。
当時は一輪車が得意で、地元の新聞に「天才一輪車少女」と報じられたとか。
中学時代にはソフトボール部に所属し部活に励み、母子家庭のため料理など家事なども手伝っていました。

熊田曜子さんは中学時代に初めて彼氏ができたそうです。
この頃からバストアップのために、『美胸体操』を1日200回もしていたと明かしています。
高校時代にはソフトテニス部に所属しながら、ファミレスなどのアルバイトも経験しています。
この頃には芸能界への憧れを持っていた熊田曜子さんは、高校3年生の時に週刊少年マガジンの『ミスマガジン』に応募し最終選考まで進んでいます。
しかし、母親に猛烈に反対されたため、辞退したそうです。
その後、熊田曜子さんは、岐阜市立看護学校に進学しています。

出典元:Instagram@熊田曜子
芸能界入りの夢を捨てきれなかった熊田曜子さんは、専門学校1年生の時に『2001年秋の特別オーディション』に出場し合格。
母親が海外旅行で留守の間に手続きを済ませ、芸能事務所と契約し芸能界入りを果たしています。
その後、熊田曜子さんは芸能活動のために上京するため、看護学校は半年しか通学しておらず、1年生で中退しています。
熊田曜子さんのデビュー当時のキャッチフレーズは『史上最強の美乳』で、20代の頃はかなりの人気を博し、30歳までに31冊の写真集を出版しています。

熊田曜子さんは2006年(当時26歳)には、ファーストシングル『Always』で歌手デビューも果たしています。
その後は、結婚や出産を経て、2020年にYouTubeチャンネルを開設し、2021年にはTikTokアカウントを開設するなどSNSでの活動も行っています。
熊田曜子は島田紳助と愛人疑惑?

熊田曜子さんは25歳だった2007年6月に、『週刊文春』で元お笑いタレントの島田紳助さんとの密会が報じられています。
記事によると、熊田曜子さんの写真集撮影が沖縄・名護市の「カヌチャベイホテル&ヴィラ」で行われた際、撮影の合間に熊田曜子さんの休憩室を訪ねると、仕事とは何の関係もない島田紳助さんの姿があったそうです。

その場に鉢合わせしたスタッフは「密室で2人っきりだった」と証言したそうですが、双方は同誌を「誤報」と完全に否定。
しかし、その後も東京や大阪で島田紳助さんが所有するマンションで、熊田曜子さんが目撃されるなど噂が尽きなかったそうです。
当時の島田紳助さんは、多数の番組を抱える超売れっ子のタレントだったため、共演するグラビアアイドルたちは親密になるケースが多く、ブレイクと引き換えに自ら「めかけ」を志願する人もいたとも言われています。
中でも熊田曜子さんは、島田紳助さんのお気に入り女性の1人と言われていたとか。
その後、2007年8月放送の『行列のできる法律相談所』に熊田曜子さんが出演し、密会を報じた『週刊文春』の誌面で「グラビアをやらせてもらう」と仰天発言をしています。
当時、同番組の司会を務めていた島田紳助さんは「お前バーター(文春との取引)してんやね」と苦笑いを浮かべると、熊田曜子さんは否定し、2人の関係は藪の中に入ったしまったそうです。
それまで、島田紳助さんは売れっ子司会者として数多くの番組を担当し、芸能界で絶大な権力を持っていました。
そんな島田紳助さんは選りすぐりのタレントを囲っては面倒をみており、ストックされた女性芸能人たちは島田紳助さんの『喜び組』と称されていました。

当時から名前があがっていたのが、熊田曜子さん、ほしのあきさん、森泉さん、小林麻耶さんなどで、彼女たちは島田紳助さんがMCを務める番組によく出演していたそうです。
当時の島田紳助さんに気に入ってもらえれば、芸能生活の安泰は約束されたも同然だったと言われていました。
島田紳助さんは、暴力団関係と黒い交際があったことを理由に、2011年に芸能界を引退していますので、お気に入り女性芸能人たちとも縁が切れたのではないでしょうか。
★熊田曜子さんの元旦那に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな熊田曜子さんを、引き続き注目していきたいと思います。