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元皇族で、上皇明仁さまと上皇后美智子さまの長女の黒田清子(くろだ・さやこ)さん。
黒田清子さんは、2005年に黒田慶樹(よしき)さんと結婚し、皇籍を離脱しました。
そんな黒田清子さんの夫・黒田慶樹さんの現在や2人の馴れ初め、そして、子供がいない理由について、多くの人々が関心を寄せています。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、黒田清子さんと夫の黒田慶樹さんについて、詳しくご紹介したいと思います。
黒田清子さんの夫の黒田慶樹さんは現在、東京都の建設局の担当部長を務めています。
黒田慶樹さんの役職は、東京都職員の中でも上位2~3%に当たり、基本給は月50万円ほどで、管理職手当や賞与を加えると年収1000万円以上といわれています。
黒田慶樹さんは1965年4月17日に東京都に生まれの現在59歳で、学習院初等科から学習院大学法学部まで進学し、1988年に卒業しました。
大学卒業後は三井銀行(のちのさくら銀行)に入行しましたが、1996年に退職し、翌年東京都庁に入庁。
黒田慶樹さんは東京都庁では、都市計画や都市整備分野で働き、様々な役職を歴任しました。
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そして、2005年に黒田清子さんと結婚しましたが、皇女の結婚相手として、皇族や旧華族出身者でない史上初の人物となり、皇室を離脱した黒田清子さんと、皇室との親密な関係を保ちながら生活しています。
2人は2006年に夫婦で約1億円ほどの物件を共同購入し、15年ほどでローンを完済させるなど、堅実な生活を送っています。
また、黒田清子さんは、2017年から伊勢神宮の祭主として、東京と三重県伊勢市を頻繁に往復する生活を送っているため、夫の黒田慶樹さんは彼女を献身的にサポートしてきました。
黒田慶樹さんは穏やかな仕事ぶりで、部下や後輩からも慕われており、また、定年後には黒田清子さんと一緒にカワセミなどの鳥類の研究旅行を楽しむ計画があるようです。
ところが、黒田慶樹さんは2026年3月に定年退職する予定でしたが、東京都の人事制度が変わり、慶樹さんの年次の職員は定年が62歳となったため、2028年3月の退職まで、都庁のいずれかの部署で働くことになったとのことです。
★黒田慶樹さんの家系に関する記事は、こちらをご覧ください。
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黒田清子さんと夫・黒田慶樹さんの馴れ初めは、慶樹さんの学習院初等科からの同級生で、清子さんの次兄である秋篠宮文仁親王殿下を通じて知り合ったことがきっかけでした。
黒田慶樹さんは大学卒業後も秋篠宮家と交流があり、秋篠宮邸での友人らの集まりにも招かれており、その集まりの中で、2003年1月に以前から顔見知りであった清子内親王と再会しました。
当時のそれぞれの印象について、黒田清子さんは「温かい笑顔が心に残った」と話し、黒田慶樹さんは「細かい心配りがあり、心のやすらぎのようなものを感じた」と述べています。
その後、2人はメールや手紙を用いて交際を深め、2年以上の交際期間を経て、2004年初頭に黒田慶樹さんが秋篠宮邸で「私と結婚してくださいませんか。」とプロポーズ。
黒田清子さんはその場で「お受けする旨を申し上げた」ということです。
そして、2人の結婚式は、2005年11月15日に東京の帝国ホテルで行われ、伊勢神宮の大宮司が斎主を務め、天皇・皇后はじめとする皇族や親族が出席し、厳かな雰囲気の中で執り行われました。
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黒田清子さんと夫・黒田慶樹さんには、子供がいない理由については、様々な憶測が飛び交っています。
2人に子供がいない理由については公には明らかにされていませんが、いくつかの憶測には以下のようなものが挙げられています。
1.年齢的な要因:結婚当時、黒田清子さんは36歳、黒田慶樹さんは40歳だったため、年齢的に子供を授かるのが難しかったのではないかという意見があります。
2.健康上の問題:黒田清子さんが、婦人科系の病気を抱えていたのではないかという憶測もありますが、これも確かな情報はありませんでした。
3.夫婦の選択:2人が子供を望まず、夫婦だけの生活を送ることを選択した可能性も考えられます。
4.別居の噂:黒田清子さんが伊勢神宮の祭主として三重県に住み、2人は別居しているのではないかという噂もありますが、これは公務であり夫婦仲が悪いわけではありません。
黒田清子さんと黒田慶樹さんに子供がいない理由は、年齢的な要因や健康上の問題、または夫婦のプライバシーに関わる事情が考えられますが、確かな情報はありませんでした。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな黒田清子さんを、引き続き注目していきたいと思います。