第105回全国高校野球選手権記念大会で快勝を続けている、鹿児島県代表の神村学園。
神村学園の左腕・黒木陽琉(くろぎ・はる)選手は、3試合連続で救援しており、その活躍に注目が集まっています。
そんな黒木陽琉選手は中学時代はどこで野球に取り組んでいたのでしょうか?
そこで今回の記事では、
・黒木陽琉の2段モーション疑惑
・黒木陽琉のドラフト
の3つのポイントに沿って、黒木陽琉選手についてご紹介したいと思います。
黒木陽琉の中学はどこ?

黒木陽琉選手の出身中学は、宮崎県延岡市にある延岡市立西階(にししな)中学校です。
黒木陽琉選手は、延岡市立南方小学校の1年の時から軟式野球を始め、西階中学時代は延岡市を拠点とする硬式野球チーム「延岡ボーイズ」に所属していました。
延岡ボーイズ時代の黒木陽琉選手の成績は情報がありませんでしたが、「強いチームで甲子園に」との思いから神村学園へ進学しました。
黒木陽琉選手は、神村学園入学早々の1年の6月に、左肘の靱帯と神経を損傷して入院し、医者から「高校野球はもうできないかもしれません」と宣告され、選手生命の危機に立っていました。
黒木陽琉選手は「努力次第ではまた野球はできる」と自身を奮い立たせ、約3ヵ月間の過酷なリハビリに励んできました。
しかし、完治しても2年の秋はベンチ入りできなかった時、小田監督の「継続することが力に変わる」という言葉を信じ、メンバー落ちした翌日から、早朝3時から40分間のランニングを自ら課したそうです。
その努力が実り、3年春の県大会からベンチ入りし、3年夏の予選で夏の大会デビューを果たし、エースの松永選手との二本柱で優勝し、甲子園出場を果たしました。
神村学園の小田監督は、背番号10を付ける黒木陽琉選手について「マウンド度胸が持ち味で、エース級」と信頼を寄せており「10番にしているのは、伸びしろがあるから、満足しないように」と期待しています。
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黒木陽琉の2段モーション疑惑!?

黒木陽琉選手は、2回戦の市立和歌山戦の試合で「二段モーション疑惑」が指摘されたそうです。
2番手として登板した黒木陽琉選手は、6回に1死、一、二塁のピンチを招いていた時、「ボーク」のジャッジを受けています。
それまでにも、一塁と二塁の塁審からも重ねて注意を受けていたとか。
黒木陽琉選手は、二塁塁審から「フォームを直さないと、次の試合ではどうなるかちょっと分からないよ」と厳しく指摘されたと言います。
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そこで、黒木陽琉選手は、3回戦へ向けてフォームの修正を余儀なくされ、小田監督も話し合って、一連の動きの「流れ」を重視する微修正を加えたそうです。
迎えた3回戦では驚いたことに、球審が二段モーションを指摘した井狩審判だったとか。
それに気づいた瞬間、黒木陽琉選手は「もう、終わった…。」と思ったと言います。
より慎重になった黒木陽琉選手は、試合中、塁審がピッチャーズプレートの土を払いに来る度に、「僕のフォームどうですか?」と確認したそうです。
結局この日はボークも取られず、黒木陽琉選手はノーヒットで終了しています。
黒木陽琉選手はこの日について「審判の方とも一回一回コミュニケーションを取りながら、スムーズに投げたのが良かったのかな。審判の方、結構優しく言ってくれますんで」と話していました。
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黒木陽琉はドラフト急浮上の注目選手!

黒木陽琉選手は、今秋の高校生ドラフト候補生として、この夏から急激に評価が上がっています。
ソフトバンクの永井スカウト部長は「黒木君も非常に球が速いですし、面白いですね。いいピッチャーですよ」と評価しています。
黒木陽琉選手は、常時140キロ~146キロの速球を安定して投げ、クロスに食い込む140キロ中盤の速球が魅力で、右打者、左打者でもしっかり制球でき、コーナーいっぱいに決めることもできます。
120キロ台のスライダーや、120キロ前後のカーブ、120キロ台で沈むフォークなど多彩な変化球が操れ、いずれも打者の手元で大きく変化するため、高確率で三振を奪うことが出来ます。
黒木陽琉選手の平均球速、変化球の精度は、今年の高校生の上位に入るとされており、この夏一気に存在感を増しています。
いかがでしたでしょうか?
今後も活躍が期待される黒木陽琉選手を、引き続き注目していきたいと思います。