ロングコートダディは、2009年に結成した、吉本興業所属の芸歴12年目のお笑いコンビです。
ロングコートダディは、M-1グランプリ2022の決勝進出を果たし、その活躍が注目を集めています。
そんなロングコートダディのメンバー、堂前さんと兎さんがどんな人物なのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
・ロングコートダディの堂前と兎の出身高校
・ロングコートダディのコンビの由来
の3つのポイントに沿って、ロングコートダディの堂前と兎について、ご紹介したいと思います。
目次/もくじ
ロングコートダディの堂前と兎の本名年齢は?
堂前の本名年齢とプロフィール

ロングコートダディの堂前さんの本名は「堂前透(どうまえ・とおる)」です。
福井県大飯郡おおい町の出身で、1990年1月16日生まれの、現在31歳です。
ロングコートダディでの堂前さんは、立ち位置は向かって「左」で、ボケ・ツッコミとネタ作りの担当です。
堂前さんは大喜利を得意としており、ピンで活動する時は、堂前タオルの芸名を使っています。
また、特技がイラストを描くことで、単独ライブなどのフライヤーのデザインなどの製作もしています。
堂前さんは、自身のチャームポイントは「猫背」で、コンプレックスは「歪んでしまった顎」と述べています。
そして、堂前さんは、「ジュースごくごく倶楽部」というバンドを組んでおり、ベースを担当しています。
出典元:Twitter@5959club
NSC大阪へ入学した理由は、「受験勉強をしないで済む方法を考えていたら、たまたま案内を目にしたから」だそうです。
堂前さんは、『ハフ』と言う名の猫を飼っており、堂前さんのインスタグラムの投稿は、ほぼ愛ネコ「ハフ」の画像となっています。
兎の本名年齢とプロフィール

ロングコートダディの兎さんの本名は「高橋翔太(たかはし・しょうた)」で、この本名がダサいために、芸名を「桃太郎」と迷った末に、「兎」にしたそうです。
「兎」という名前には、「舞台で一番跳ねるように」という願いが込められています。
兎さんは岡山県岡山市の出身で、1988年8月19日生まれの、現在33歳です。
ロングコートダディでの兎さんは、立ち位置は向かって「右」で、ボケ・ツッコミの担当です。
兎さんは、かなりの天然ボケで有名で、コントのネタも、兎さんの雰囲気をいかしたものが多いです。
兎さんは、自身のチャームポイントは「片目だけの二重瞼」で、コンプレックスは「スタイルと記憶力」と述べています。
兎さんが芸人になろうと思ったのは、「中学時代が楽しすぎたから」だそうです。
もし、芸人になってなかったら、「アザラシの猟師をしてた」と答えています。
ロングコートダディの堂前と兎の出身高校
堂前の出身高校
堂前さんの出身高校は、公表されていませんでしたが、後輩芸人のツイートから、福井県小浜市にある公立の、福井県立若狭高等学校かと思われます。

若狭高等学校の前身は、小浜藩校の「順造館」で、若狭地方で中学教育が始められたことがルーツとなっており、18世紀に創立された歴史ある学校です。
若狭高等学校の偏差値は56となっており、進学を目指す生徒は、京都大学を始め、関西の国公立大学を目指す志向が強いです。
若狭高等学校を卒業した有名人には、NHKおかあさんといっしょ9代目のおにいさんの杉田あきひろさん、元プロ野球選手の川藤幸三さん、伊藤忠商事社長の小林栄三さんら、多くの分野で活躍しています。
堂前さんが高校時代に一番頑張ったのは、「勉強」だったと言います。
しかし、高校3年の12月に、行きたい大学が定まらず、雑誌でNSCの養成所の広告を見て、大学行くよりもしっくりしたので、進路変更して芸の道へ進んだそうです。
兎の出身高校
兎さんの出身高校は、岡山県岡山市北区にあった公立の 岡山県立岡山大安寺高等学校です。

岡山大安寺高等学校は、1962年に岡山五校3校目として設立されましたが、岡山県の教育制度改革により、2015年3月で閉校しています。
当時の偏差値は58となっており、卒業生には元タレントの藤原史織(ぶるぞんちえみ)さんを始め、政界・学術界などで活躍しています。
兎さんの高校時代は、学校へ行ってなかった方で、高校3年間で欠席が100日を超えていたと言います。
朝が弱い兎さんは、4、5限目からフラッと行って体育だけ出席したり、釣りしたくなったら川へ釣りに行ってしまったり、月曜日は『週刊少年ジャンプ』の発売日のため、1限目の教科の単位が足りなかったそうです。
兎さんが一番頑張ってたことは、バンド活動で、高校でギターを習い始め、中学からの友達とバンドを組んで、毎晩楽器屋で集まっていたと言います。
兎さんは、高校卒業後は美容師の専門学校に通っていました。
怪我をして1か月ほど入院している間に、ハサミのセットが盗まれたため、専門学校を辞めてしまったそうです。
その後、バンドをやりながらダラダラ過ごしていたら、姉に叱られてNSCの願書を用意してくれたのがきっかけで、芸の道へ進んでいます。
ロングコートダディのコンビの由来

ロングコートダディの堂前さんと兎さんは、NSC大阪31期の同期で知り合っています。
NSCを卒業後、「面白いとかじゃなくて楽しそう」と思った堂前さんが、兎さんを誘ってコンビが結成されました。
2009年にコンビを結成し、当時は「カレー」というコンビ名でしたが、東京に同じ名前のコンビがあったため「ソテー」となり、さらに「ロングコートダディ」と改名しています。
ロングコートダディの名前の由来は、兎さんがロングコートを着たおじさんを見て思いついたそうです。
ロングコートダディは、2012年9月に一度解散し、2013年1月に再結成をしており、解散も再結成も兎さんが持ち掛けたそうです。
堂前さんは兎さんについて、「誰にも出せない空気感を出せる時がある。ちょっと手放しにくい逸材」と述べています。
また、兎さんは堂前さんについて、「誰でも堂前の面白さは分かる」と述べています。
ロングコートダディの芸風はコントと漫才で、独特のゆるい雰囲気を持ち味にしており、ネタによって堂前さんと兎さんのボケとツッコミ役が変わります。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待されるロングコートダディを、引き続き注目していきたいと思います。