2016年以来、5年ぶりに日本代表監督に復帰した、眞鍋政義(まなべ・まさよし)監督。
眞鍋政義監督は、出身地のプロバレーチーム『ヴィクトリーナ姫路』の、取締役球団オーナーも務めています。
そんな眞鍋政義監督の若い頃は、オリンピック出場やイタリア・セリエAでも活躍した、日本を代表する名セッターとして知られています。
そこで今回の記事では、
・眞鍋政義の代表監督の成績
・古賀紗理那を主将にした理由
の3つのポイントに沿って、眞鍋政義監督について、ご紹介したいと思います。
眞鍋政義の若い頃はセリエA!
眞鍋政義の学生時代
出典元:Athlete Fan
眞鍋政義監督の若い頃は、オリンピック出場経験を持ち、イタリア・セリエAのイベコ・パレルモでも活躍した、日本を代表する名セッターとして長く活躍し、2005年に現役を引退しています。
眞鍋政義監督は少年時代は野球選手に憧れ、姫路市立白鷺中学校では野球部に所属していました。
しかし、途中で野球に興味を失ってしまっていた所、担任の先生の勧めでバレーボール部に転部したそうです。
眞鍋政義監督は中学時代は、エーススパイカーとして活躍し、大阪商業大学高校へ進学後から、セッターへ転向しています。
1年生の時からレギュラーセッターとして活躍した眞鍋政義監督は、インターハイ優勝に大きく貢献しています。
高校卒業後は大阪商業大学へ進学し、西日本インカレ・関西リーグ完全優勝(1年から4年まで全て優勝)という快挙を成し遂げています。
眞鍋政義監督は、1985年の神戸ユニバーシアードに出場し、その後、全日本代表に初めて選出され、1985年のワールドカップに出場しています。
眞鍋政義の実業団時代
出典元:大阪商業大学
眞鍋政義監督は1986年に新日本製鐵に入社すると、1年目からレギュラーセッターとして活躍し、新人王を獲得するなど、新日鐵黄金時代の中心選手として活躍してきました。
1985年から2003年まで日本代表となり、1988年のソウルオリンピックを始め、多くの国際大会に出場しています。
眞鍋政義監督は、1993年からは新日鐵の選手兼監督に就任しており、第3回と第4回のVリーグでリーグ連覇に導いています。
1999年(当時36歳)に新日鐵を退社した眞鍋政義監督は、イタリア・セリエAのパレルモに移籍し1年間プレーしていましたが、翌年に帰国し、旭化成に入団しています。
2002年に松下電器へ移籍しますが、2004年に旭化成に復帰し、選手を続けながら、社会人特別選抜で大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科に入学しています。
眞鍋政義監督は、2005年に論文『バレーボールのセッターのトス回しについてのゲーム分析的研究』を作成し、修士号を取得しています。
2005年に現役引退後は、女子の久光製薬スプリングスの監督に就任し、2009年から女子日本代表の指揮を取っています。
眞鍋政義の代表監督の成績は?
出典元:文春オンライン
眞鍋政義監督は、2009年から全日本女子代表チームの監督を務め、2016年のリオデジャネイロオリンピック後に代表監督を退任しましたが、2021年に5年ぶりに再び日本代表監督に就任しています。
眞鍋政義監督は、2009年の新体制発足当初から、指導担当の分野を細分化し、4人のコーチに任せる方式を採用し、継続してきました。
2010年の世界選手権では、試合中にipadを手にしながら、選手に支持する姿が話題となり、自ら掲げる「IDバレー」でチームを采配し、同大会32年ぶりに銅メダルを獲得しています。
出典元:obInformation
眞鍋政義監督は、試合中に刻々と変わる様々なデータを見ながら、スパイクの調子のいい選手にボールを集めたり、レシーブが苦手な相手の選手を攻めたりするなど、具体的な指示を送っていたそうです。
2012年のロンドンオリンピックでは、相手のデータ分析をかく乱するために、選手12人中の10人の背番号を変更し、五輪で28年ぶりとなる銅メダルを獲得しています。
JVA(日本バレーボール協会)はロンドンオリンピック後、次の全日本監督を改めて公募で決める予定でしたが、女子は撤回され、2012年10月に眞鍋政義監督の、代表監督再任が決定しています。
2014年の『バレーボール・ワールドグランプリ』では、コート上の6人が複数の役割を担う、新戦術『Hybrid 6(ハイブリッド6)』を披露し、同大会で初の銀メダルを獲得しています。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、「前回よりもいい色のメダル獲得」を目指しますが、準々決勝でアメリカに敗れました。
オリンピック後、眞鍋政義監督は、バレーボール女子日本代表の次期監督候補の一人に推薦されますが、辞退して退任となっています。
そして、2021年に再び日本代表監督に就任した眞鍋政義監督は、次のようにコメントしています。
東京オリンピックで10位という成績にかなりの危機感を抱いている。もし(2024年の)パリ大会に出場できなかったら、バレーボールがマイナーなスポーツになる“緊急事態”であることで、手を挙げさせて頂いた。
引用元:文春オンライン
眞鍋政義監督はこの5年間、故郷の女子プロチーム『ヴィクトリーナ姫路』のオーナーを務めており、「日本でバレーボールを実力、人気とも一番のスポーツにしたい」との思いを、一層強くしたと言います。
そして、「私で良ければ、人生を懸けるくらいの覚悟で」全力を尽くすとコメントしています。
眞鍋政義が古賀紗理那を主将にした理由
出典元:日本経済新聞
眞鍋政義監督は、2022年3月31日に今年度の日本代表女子登録選手39人を発表し、主将は東京オリンピックで負傷して涙を飲んだ、古賀紗理那(こが・さりな/NEC所属)選手を選びました。
出典元:Yahooニュース
起用の理由を次のようにコメントしています。
就任時から、彼女しかいないと思っていた。五輪の初戦でケガをして(大会期間中に)復活し、素晴らしい数字を残した。主将は誰にでも務まるものではない。リオデジャネイロ五輪直前まで一緒にやり、五輪代表から外れた悔しい経験もしている。
引用元:THE DIGEST
古賀紗理那選手とストレートに直接話をし、翌日には「頑張ります」と言ってくれたそうです。
日本女子代表チームは、世界トップ16チームが参戦している、『バレーボール・ネイションズリーグ』の第1周のアメリカ大会では、4戦全勝しており、東京五輪金メダルで世界ランク1位のアメリカに3-0のストレートで勝利する、活躍を見せています。
★眞鍋政義監督が代表メンバーに呼び寄せた宮部藍梨選手に関する記事は、こちらをご覧下さい。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される眞鍋政義監督を、引き続き注目していきたいと思います。