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ホストクラブブランド「L’s collection(エルコレ)」のプロデューサーを務める、“軍神”こと心湊一希(みなと・いつき)さん。
心湊一希さんは、ABEMAの人気番組『愛のハイエナ』の企画「山本裕典、ホストになる。」で、俳優・山本裕典さんを指導し、その熱血指導が話題になりました。
そんな心湊一希さんの生い立ちや前職、そして、彼のホスト時代について、多くの人々が関心を示しています。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、軍神こと心湊一希さんについて詳しくご紹介したいと思います。
ホスト業界で“軍神”と称される心湊一希さんですが、その生い立ちは驚くほど壮絶で波乱に満ちたものでした。
心湊一希さんは千葉県の出身で、1982年8月29日に、父親は22歳で母親は32歳という歳の差のある両親のもとに生まれました。
父親は東大を首席で卒業し、モデルをしていた母親と知り合って結婚したとのこと。
しかし、父親は「まだ子供は欲しくなかった」という理由で、彼が生まれると同時に失踪し、母親に育てられることになります。
心湊一希さんの幼少期は、母方の祖父母に預けられ育ちましたが、4歳の時に祖父母が相次いで亡くなったため、再び母親と暮らすことに。
彼が5歳の時に母親がフィリピン人男性と再婚しましたが、この男性は麻薬の売人かつ覚せい剤中毒者であることが発覚し、心湊一希さんは虐待を受けるようになります。
母親の再婚の翌年1988年、彼が6歳の時に、フィリピンのスラム街「スモーキーマウンテン」に預けられ、極めて劣悪な環境で生活を送り、目の前で人が射殺されるなど、命の危険を感じる日々だったという。
心湊一希さんは後から、警察の人に「君は取引のための人質のような状態だった」と教えてもらったそうです。
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軍神こと心湊一希さんの前職は、営業職や起業家としての経験を積んでいました。
彼の前職について以下のようにまとめてみました。
【営業職時代】
心湊一希さんは24歳から4年間、以下の業界で営業職を経験しています。
・大手引っ越し会社
・商社
・不動産業
彼は営業成績が優秀で、業界内で高い評価を得ていました。
【起業家としての活動】
心湊一希さんは営業職を経て、IT系・内装関係・物流系の会社を立ち上げています。
そして、彼は起業から3年後に、「新たなことを始めたい」と考え、ホストという職業に魅力を感じ、34歳で転身しました。
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“軍神”の異名が示す通り、心湊一希さんはホスト界のカリスマとして君臨し、彼のホスト時代の軌跡は多くの人々に衝撃を与えました。
心湊一希さんはもともと営業職や起業家として成功を収めていましたが、その中で、知人女性から「喋りが面白いし、絶対向いてるからホストをやってみたら?」と勧められたのが、転身のきっかけの一つでした。
さらに、彼は今まで営業として色んな物やサービスを売ってきましたが、「自分という商品で勝負したい」という思いが芽生えたこともきっかけとなっています。
心湊一希さんは、AI普及によって多くの職業が消滅する可能性がある中で、ホスト業界は人間の感情やコミュニケーションが重要視されるため、代替えされにくい職業だと考えたという。
そして、彼は34歳という年齢や、飲酒が出来ないというハードルを乗り越え、11店舗目の面接でようやく採用され、ホストとしてのキャリアをスタートさせました。
心湊一希さんは2017年1月に、groupedandyの「DOLCE1」でホストデビューし、1年目にして年間売上1億円を叩き出したのを皮切りに、その後も3年連続で1億円を超える売上を記録。
彼はキャリア2年目で代表に就任し、3年目で「Club Latte」に移籍し、自己最高の月間5500万円を達成し、プレイヤーを引退してからは、ホストクラブブランド「L’s collection」のプロデューサーに就任しました。
そして、心湊一希さんは2022年3月からは、ホスト未経験者を集めたホスト育成型店舗「Lillion」のプロデューサーとして活動を始め、その実績と指導力が評価され“軍神”と称されるようになりました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな心湊一希さんを、引き続き注目していきたいと思います。