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ファッション雑誌『MEN’S NON-NO』の専属モデルで、俳優としても活動している宮沢氷魚(みやざわ・ひお)さん。
宮沢氷魚さんは、朝ドラ『ちむどんどん』で夫婦役で共演した黒島結菜さんとの熱愛報道で、話題となっています。
そんな宮沢氷魚さんの父親は超有名シンガーだそうですね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、宮沢氷魚さんについてご紹介したいと思います。
宮沢氷魚さんの父親は、元THE BOOMのボーカルでシンガーソングライターの宮沢和史(みやざわ・かずふみ)さんです。
父・宮沢和史さんは、1966年に山梨県甲府市で生まれ、現在57歳です。
宮沢和史さんは、明治大学経営学部を卒業後、1986年(当時20歳)に4人組のロックバンド『THE BOOM』を結成しています。
歩行者天国でのライブを積み重ねた後、1988年にCBS・ソニーにオーディションに合格し、翌年の5月21日にシングル『君はTVっ子』、アルバム『A PEACETIME BOOM』でメジャーデビューしています。
宮沢和史さんは、1990年9月リリースの3rdアルバム『JAPANESKA』で初めて沖縄音楽に触れ、1993年6月に、かねてからシングルリリースの要望が高かった『島唄(しまうた)』を発売し、全国的な大ヒットとなっています。
その年の大晦日の『日本レコード大賞』でベストソング賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場しています。
翌年からはブラジル音楽に傾倒し、この頃の代表作が、4ヶ月近くヒットチャートにランクインした『風になりたい』でした。
宮沢和史さんは、1997年初頭にTHE BOOMの活動を一時休止し、ソロ活動に専念しています。
THE BOOMは1999年に活動を再開しますが、宮沢和史さんは2006年に新バンド『GANGA ZUMBA』を結成したため、再びTHE BOOMの活動を休止し、2014年12月に解散しています。
その後、宮沢和史さんは、病気などを理由に歌唱活動の無期限休養を発表していますが、2017年初頭から歌唱活動を少しずつ再会しています。
宮沢氷魚さんは、父親のライブを観てから芸能界に興味を持つようになり、芸能界で先に活躍している父親を目標の人物として尊敬しているそうです。
芸能界が好きではない時期もありました。親は不在が多いし、運動会や授業参観に父がいないのが子ども心にはつらかった。でも、中学3年の時に父のライブへ行ったら『やっぱり格好いいな』と。お客さんの中には、泣いている人も盛り上がっている人もいる。多くの人を感動させる夢のある仕事だと、自分も興味を持ちました。
引用元:nikkei.com
しかし、芸能界に厳しさを知る父・宮沢和史さんは当初反対していましたが、それでも宮沢氷魚さんはアメリカ留学中に履歴書を送りモデルデビューをしています。
初めて『MEN’S NON-NO』に掲載された時には、宮沢和史さん自ら買ってきて、誰よりも喜んでくれたそうです。
『氷魚』の名前の由来は、琵琶湖に生息する「どんな環境の変化でも生きていける」という氷魚(ひうお)という鮎の稚魚だとか。
父・宮沢和史さんが「どんなプレッシャーや環境の変化にも対応できて突き進んでいけるように」と言う思いを込めて命名しています。
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宮沢氷魚さんの母親は、タレントの光岡ディオンさんです。
母・光岡ディオンさんは、1965年に神奈川県で生まれの現在57歳で、アメリカ人と日本人のハーフです。
光岡ディオンさんは、国際基督教大学教養学部語学科を卒業しており、主に歌番組(MTVなど)やCNNニュースのナビゲート役などを中心に活動していました。
また、世界のトップアスリートのインタビューや、大学の英語講師などの実績もあり、バイリンガル・パーソナリティーの先駆け的存在です。
光岡ディオンさんと宮沢和史さんの出会いは、光岡ディオンさんのラジオ番組に宮沢和史さんが出演した時だそうです。
2人が結婚した時には、光岡ディオンさんは妊娠しており、“授かり婚”だったようです。
1994年に結婚した後も、光岡ディオンさんは育児と両立しながら、タレント活動を継続しています。
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宮沢氷魚さんは、幼少期は母親と過ごす時間が多かったと言います。
父は家にいないことが多くて、特にツアー中はずっと帰ってこないので母と二人で過ごす時間が多かったです。母も仕事でいない時もあったので、そういう面では「芸能界は嫌だな」と思っていた時期もありましたね。
引用元:https://www.fashionsnap.com
それでも、「学業をしっかりやっていれば好きなことをやっていいよ」というスタンスだったため、自由にやらせてもらえたと言います。
良い意味で厳しい面もあり、箸の持ち方などのマナーや礼儀は注意されたそうです。
宮沢氷魚さんが芸能事務所に履歴書を送ろうとした時には、母の光岡ディオンさんに相談したと言います。
履歴書を送るとき、お母さんにスカイプで“どうしようかな?”って相談しました。そうしたら「いいんじゃない。頑張りなよ」って言ってくれたので送ったんです。
引用元:https://www.oricon.co.jp
母・光岡ディオンさんが背中を押してくれたからこそ、芸能界入りを果たすことができたようです。
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宮沢氷魚さんは、3人兄弟の長男で、2歳下の弟と4歳下の妹がいます。
★宮沢氷魚さんの結婚相手に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな宮沢氷魚さんを、引き続き注目していきたいと思います。