MMAの「超新星」と言われている、LDH所属の中村倫也(なかむら・りんや)さん。
中村倫也さんは、レスリングでU-23世界選手権で優勝した経歴をお持ちです。
そんな中村倫也さんの父親は、修斗と深い繋がりがある人物だそうです。
そこで今回の記事では、
・中村倫也(LDH)の兄弟
・中村倫也(LDH)のMMAの強さ
の3つのポイントに沿って、LDHの中村倫也さんについて、ご紹介したいと思います。
中村倫也(LDH)の父親と修斗の関係!
出典元:Tokyo Headline
LDHの中村倫也さんの父親の名前は中村晃三さんで、2015年にお亡くなりになっています。
父・中村晃三さんは、「修斗(しゅうと)」の親会社だった龍車グループの会長を務めていました。
修斗は、1983年に新日本プロレスを退団した元タイガーマスクの佐山聡さんが、「タイガージム(後にスーパータイガージムに改称)」を開設したことから始まりました。
出典元:Pinterest
元タイガーマスクの佐山聡さん
佐山聡さんは、「スーパータイガージム」での指導をベースにした、競技としての格闘技「シューティング(現・修斗)」の普及活動に励み、協会設立やプロ化を実現してきました。
しかし、修斗は設立当初から経営状態が良くなく、佐山聡さんは競技を確立させるために借金をしていたそうです。
そこで龍車グループが修斗の親会社となり、大宮にあった龍車グループの温泉施設『大宮健康センター ゆの郷』の横に、修斗のジム『PUREBRED大宮』を作ることができたそうです。
1999年まで日本修斗協会が主催していた、トーナメント大会の『VALE TUDO JAPAN(ヴァーリ・トゥード・ジャパン)』も、龍車グループのバックアップが無ければ、開催できなかったと言われています。
龍車グループにお世話になった格闘技家は沢山おり、中でもカナダの総合格闘家のカーロス・ニュートン氏の面倒を見ていたことがあり、部屋を提供したり、滞在期間の世話をしていたとか。
出典元:Quora
カーロス・ニュートン氏
カーロス氏がUFCウェルター級チャンピオンになった時、チャンピオンベルトを中村晃三さんに見せに来ており、中村倫也さんがベルトを腰に巻いて写真を撮ったそうです。
日本の総合格闘技の源となった修斗は、1996年に佐山聡さんがフロントとのトラブルで離脱しており、離脱の詳細は不明とされていますが、次の3つの要因が上げられています。
・バーリ・トゥード・ジャパン96で、朝日昇やエッセン井上らが負け、指導力が問われた。
・佐山聡さんがプロレスのリングに上がったこと。
修斗は、1996年に「インターナショナル修斗コミッション」を発足させ、1999年に興行運営会社として株式会社サステインを設立し、以降、同社がプロ修斗興行を主催してきました。
そして、2012年に一般社団法人化しています。
中村倫也(LDH)の兄弟も格闘家⁉
出典元:日本レスリング協会公式サイト
LDHの中村倫也さんには弟がおり、名前は中村剛士(なかむら・つよし)さんで、現在24歳です。
弟の剛士さんは、大学時代までレスリングの選手でした。
剛士さんは専修大学時代に、2017年の「全日本大学選手権」の65kg級に出場し、優勝するほどの実力の持ち主です。
また、花咲徳栄高校時代には、2014年の「JOC杯カデット」の69kg級で優勝、中学時代にも2012年に、「全国中学選抜選手権」と「全国中学生選手権」で、全国王者に輝く経験しています。
中村倫也さん曰く、「剛士のポテンシャルは、僕以上のものがある」と高く評価しています。
しかし、高校時代から大学までは怪我に悩まされ、大学時代には靱帯を計3本断裂したそうです。
大会中に負傷し、泣く泣く途中棄権となることも珍しくなく、一時は「トレーナーとかの裏方でチームを支えようか」という思いもあったとか。
それでも剛士さんがくじけなかったのは、治療先の先生が言ってくれた言葉に励まされたそうです。
先生からは、「どの選手にも壁にぶち当たる時期があって、そこを乗り越えられた選手が上に上がっていく。今はそういう時期だよ。ジャンプするにもしゃがむというのが絶対に必要で、お前は今しゃがんでいる最中だから」と言われ、心の支えにしてきたそうです。
この思いを糧に剛士さんは現在、レスリングは引退してスポーツトレーナーの勉強をし、トレーニングやレスリングの指導を行っています。
20年間行ったレスリングを引退して 2020年6月、
— トレーナーのたんぱく剛士(中村剛士) (@tanpakutsuyoshi) June 28, 2021
「トレーナーになる!」
と決意して猛勉強を開始しました!
運動処方を通して、
身体機能を改善して運動能力や競技力向上させる。そして、
「怪我をしない体の使い方、体作り」
をクライアントに届けられる様に日々猛烈に勉強しています。↓
剛志さんは、講座やセミナーなども開催し、情報発信も行っているそうです。
さらに剛士さんは、東京・新宿で『剛士Curry』というカレー屋を経営しており、無添加・低アレルゲン・高栄養の健康になるカレーを提供しています。

『剛志Curry』のカレーは完売するほど、好評のようですよ。
中村倫也(LDH)はMMAでは強い?
中村倫也のMMAの強さは?
出典元:ゴング格闘技
中村倫也さんは、2020年4月1日にSNSで、「総合格闘技の世界で大暴れするため、より一層死に物狂いで努力します」と、レスリングの引退と、MMAへの転向を発表しています。
以降、中村倫也さんは、2021年5月のLDHの所属選手契約を勝ち取るオーディションに参加し、最終審査の試合でプロ格闘家の新井拓巳さんを、わずか42秒左フックで破り、契約継続を勝ち取っています。
そして、2021年7月のプロデビュー戦を修斗で、論田愛空陸(ろんだ・あくり)さんと対戦し、2RハイキックでKO勝ちをしています。
出典元:デイリースポーツ
中村倫也 vs 論田愛空陸
2022年1月の『PRPFESSIONAL SHOOTO 2022』開幕戦で、修斗バンタム級ランキング9位の野尻定由さんと対戦し、パウンドでTKO勝ちをおさめ、現在2戦2勝となっています。
LDH maetial arts代表取締役CEOの高谷裕之氏は、「中村には期待したくなるポテンシャルがある」とし、次のように評価しています。
レスリングで世界を獲っている。UFCもレスリング出身の選手が多い。そこでも引けを取らないような実績を持っている。あとはグラップリングと打撃を仕上げていけばと思います。
引用元:Encount

中村倫也の格闘技歴
出典元:THE DIGEST
中村倫也さんは、5歳の頃からレスリングを始めています。
父・晃三さんが総合格闘技ジム「PUREBRED大宮」を主催しており、そこで元世界チャンピオンの山本美憂(やまもと・みゆう)さんが立ち上げた、レスリング教室で習っていました。
そこで、山本美憂さんの長男・山本アーセンさんとは同期だったとか。
中村倫也さんは小学生時代、将来は総合格闘技に進む予定で、レスリングに取り組んでましたが、小学5年と6年の時には全国少年少女大会で2連覇をおさめています。
中学3年生の時にも、全国中学生選手権42kg級で優勝し、レスリングに専念することを決意し、花咲徳栄高校へ進学しています。
高校以降の中村倫也さんの主な戦歴は、次の通りです。
・2011年 JOC杯カデットの部(50㎏級) 優勝
・2011年 世界カデット選手権 (50kg級) 優勝
・2012年 インターハイ(55㎏級)個人戦3位・団体戦優勝
・2012年 国体 少年の部(55kg級) 優勝
【専修大学時代】
・2013年 JOC杯ジュニアの部(55kg級) 優勝
・2014年 ペコト・シラコフ&イワン・イリエフ国際大会(60kg級) 2位
・2014年 全日本学生選手権(57kg級) 優勝
・2014年 全日本大学選手権(57㎏級) 優勝
・2015年 JOC杯ジュニアの部(60kg級) 3位
・2015年 全日本選抜選手権(57kg級) 3位
・2015年 スペイン・グランプリ(57kg級) 2位
・2015年 全日本選手権(57㎏級) 3位
・2016年 全日本選抜選手権(57kg級) 優勝
【博報堂DYスポーツ時代】
・2017年 全日本選抜選手権(61kg級) 優勝
・2017年 世界選手権(61kg級) 5位
・2017年 U-23世界選手権(61㎏級) 優勝(61kg級の初代世界王者)
・2018年 全日本選手権(61㎏級) 3位
・2019年 全日本選手権(61㎏) 2位
そして、幼い頃からの憧れであり夢だった、総合格闘技へ転向を表明しています。
★同じくLDH所属の宇佐美正パトリックさんに関する記事は、こちらをご覧下さい。
今後も益々の活躍が期待される中村倫也さんを、引き続き注目していきたいと思います。