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ドラマや映画、CMなど幅広い活動を行っている俳優の仲野太賀(なかの・たいが)さん。
仲野太賀さんは優れた演技力を持ち、幅広い役柄をこなす実力派俳優として、その能力と魅力が多くの人々に支持されています。
そんな仲野太賀さんの父親もまた有名俳優だそうですね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、仲野太賀さんの父親についてご紹介したいと思います。
仲野太賀さんの父親は俳優の中野英雄(なかの・ひでお)さんで、1992年のドラマ『愛という名のもとに』のチョロ役で出演し、人気を集めました。
同作で中野英雄さんが演じたチョロは、証券会社勤務の青年でしたが、会社で上司からパワハラを受け、フィリピン人ホステスに入れあげ、最後には自殺をしてしまうという役でした。
このドラマは、平均視聴率約25%、最終回では32.6%という高視聴率を記録しており、中野英雄さんの代表作の一つで、多くの視聴者に感銘を与えた作品でした。
そんな中野英雄さんは京都府生まれの東京育ちで、1964年12月22日生まれの現在59歳です。
1985年から芸能界入りし、最初は柳葉敏郎さんの付き人を務め、その後は俳優としてドラマ・映画・CMなどに出演し、また、映画プロデューサー、アパレルブランドプロデューサーとしても活動しています。
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仲野太賀さんの父・中野英雄さんは一世風靡セピアのメンバーではなく、母体である「劇男一世風靡セ」のツアーマネージャーで、柳葉敏郎さんの付き人として一世風靡セピアに参加していました。
一世風靡セピアは、1980年代に活躍した硬派な男たちによる、路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」から誕生したユニットで、柳葉敏郎さんや哀川翔さんなど人気俳優が所属していました。
中野英雄さんが劇男一世風靡に入ったきっかけは、若い頃に地元で哀川翔さんと喧嘩になったことからで、その喧嘩で哀川翔さんに頭突き一発で秒殺されたそうです。
その後、中野英雄さんが「行くところないよ」と言うと、哀川翔さんが「じゃあ、劇男一世風靡に来いよ」と勧誘を受け芸能界入りしました。
そんな中野英雄さんは若い頃に暴走族「阿佐ヶ谷MAD SPECIAL」に所属し、中学時代からパンチパーマにして喧嘩に明け暮れる生活を送り、宇梶剛士さん率いる「ブラックエンペラー」とは敵対関係だったとか。
ある日、たまたま前を通りかかった哀川翔さんに、「汚ねえ頭」とからかったことで喧嘩になり、頭突き一発でノックアウトされ、その出来事がきっかけで仲良くなったことから、劇男一世風靡に加入したそうです。
その哀川翔さんにはかつて、原宿の竹下通りで「300人対100人」の伝説的な大乱闘を起こしており、哀川翔さん側が300人で敵対する暴走族が100人で、合計400人が入り乱れたと言います。
その哀川翔さん側の300人の内、中野英雄さんの暴走族が150人いたそうで、哀川翔さん軍団と中野英雄さん軍団が二方向から挟み撃ちを仕掛け、相手の暴走族を圧倒したというエピソードがあります。
中野英雄さんの若い頃のエピソードは、俳優としてのイメージとは異なる一面を見せています。
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仲野太賀さんの父・中野英雄さんが激やせしたことから、一部では病気ではないかとの噂が広まったようです。
しかし、中野英雄さんが病気であるとの情報はありませんでした。
中野英雄さんが激やせした理由はダイエットだそうで、北野武監督の映画「アウトレイジ」に出演するための役作りでダイエットした結果、体重が大幅に減少したそうです。
この映画は山王会という巨大な暴力団の内部抗争を描いた作品で、中野英雄さんはその一員の「木村」という役を演じています。
この役作りのために、中野英雄さんは夕食をキャベツだけにし、10キロ以上のウォーキングとジムでのトレーニングの結果、30キロ近くのダイエットに成功したと言います。
この激やせにより健康状態が心配された中野英雄さんですが、重い病気であるとの情報はなく、現在も俳優として活躍しています。
★仲野太賀さんの結婚相手に関する記事は、こちらをご覧ください
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな仲野大賀さんの父・中野英雄さんを、引き続き注目していきたいと思います。