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北海道日本ハムファイターズの20歳左腕の根本悠楓(ねもと・はるか)さん。
根本悠楓さんは、「アジアプロ野球チャンピオンシップ2023」で最年少で侍ジャパンに選ばれ、その活躍に注目が集まっています。
そんな根本悠楓さんの実家やどんな両親に育てられたのか気になりますね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、根本悠楓さんについてご紹介したいと思います。
根本悠楓さんの実家は、北海道南西部に位置する白老町(しらおいちょう)にあり、町内の虎杖浜(こじょうはま)神社から約1㎞の距離にあるそうです。
根本悠楓さんはオフの期間には、この虎杖浜神社で自主トレをしており、小学校高学年のころから神社の階段を走っていたと言います。
同神社は、1979年公開の映画『男はつらいよ 飛んでる寅次郎』のロケ地で、主人公の寅さんが境内でネクタイを啖呵売りするシーンが撮影されたそうです。
また、根本悠楓さんの両親に関する情報が少なく、父親の名前が根本俊之さんということと、家族は両親と2歳下の妹がいることが分かっています。
両親は北海道で根本悠楓さんの試合があると、熱心に観戦に行っているようです。
根本悠楓さんは“おじいちゃんっ子”で、幼少期は白老町に住む祖父母の家を頻繁に訪れ、野球の話をしたり一緒にお風呂に入っていたそうです。
その祖父母の家の隣に水産工場があり、そこの壁にあるシミや汚れを狙って壁当てをしていたそうで、それでコントロールが鍛えられたと話しています。
年末年始には実家のある白老町に帰省しているという根本悠楓さんは、プロ入り後から妹や年下の親戚にはお年玉をあげる立場になり、両親にもプレゼントを贈っているそうです。
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根本悠楓さんの出身中学は白老町立白翔中学校です。
根本悠楓さんは白翔中学時代は軟式野球部に所属し、3年生の時に「第39回全国中学校軟式野球大会」決勝戦で完全試合を達成しています。
根本悠楓さんは、2歳くらいからボールで壁当てをする子供で、小学3年生の時から白老町の少年野球チーム『虎杖浜タイガース』に入って、本格的に野球を始めています。
その頃、全校生徒が60人の小さな小学校でしたが、そのうち10人前後が野球をしていましたが、チームは決して強くなかったと言います。
根本悠楓さんは中学校へ進む際には、地元の白翔中の部活動で軟式野球を選んでおり、「硬式チームが近くに無く、一番近くて40分はかかる苫小牧。だったら部活でいいや」と思ったそうです。
完全試合を達成した数か月後には、「U-15アジア野球選手権大会」に出場し、内山壮真選手(現東京ヤクルトスワローズ)とバッテリーを組み、優勝に貢献しています。
根本悠楓さんは当時、中学生ながら最速136キロで、カーブ、スライダー、ツーシーム、チェンジアップと多彩な変化球を持っており、高校進学の際には注目の的で引く手あまただったそうですよ。
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根本悠楓さんの出身高校は、北海道苫小牧市にある私立校の苫小牧中央高校で、甲子園出場はできませんでした。
根本悠楓さんが同校を選んだ理由について「体験会でいい雰囲気だったことと、地元の選手が多かったこと。祖父母の近くでやりたい気持ちが強かったから」と語っています。
高校時代は1年からベンチ入りし、2年の秋に最速146キロを計測し、3年の夏の北海道大会では準々決勝で、駒大苫小牧高校を相手に15奪三振を記録するも敗れ、甲子園出場の夢は叶いませんでした。
そして、2020年10月のドラフト会議で、地元の北海道日本ハムファイターズから5巡目で指名を受け、同年12月に契約金2000万円、推定年俸520万円で契約を結んでいます。
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プロ1年目は、2021年3月のイースタンリーグ、東京ヤクルトスワローズ戦で公式戦初登板を果たし、その後二軍で実践登板を重ね、ルーキーイヤーは12試合に登板し1勝1敗防御率1.82という成績を残しています。
根本悠楓さんは2022年は春季キャンプを一軍でスタートさせ、福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦でプロ初登板を果たし、この年、一軍では13試合の登板し3勝3敗1ホールド・防御率2.52を記録。
オフの11月25日開催の「NPB AWARDS 2022」で、ファーム優秀選手賞を受賞しています。
そして、根本悠楓さんのプロ3年目は、二軍戦で自己最速150キロを計測し、二軍で14試合に登板し、2勝3敗・防御率3.53を記録し、「アジアプロ野球チャンピオンシップ 2023」で日本代表に選出されました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな根本悠楓さんを、引き続き注目していきたいと思います。