西谷浩一監督は社会科の教師!出身高校と大学は?スカウトが本業!?

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常に優勝候補と言われる名門・大阪桐蔭高校の指揮をとる、西谷浩一(にしたに・こういち)監督

西谷浩一監督は、これまでに3度の春夏連覇を達成しており、監督としては史上初の記録を持つ名監督です。

そんな西谷浩一監督は、大阪桐蔭高校の社会科の教師という経歴があります。

そこで今回の記事では、

・西谷浩一監督は教師
・西谷浩一監督の出身高校・大学
・西谷浩一監督のスカウト

の3つのポイントに沿って、西谷浩一監督について、ご紹介したいと思います。

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西谷浩一監督は社会科の教師!


出典元:BASEBALL KING

西谷浩一監督は、大阪桐蔭高校の社会科の教師をしています。

2018年に第100回夏の甲子園で優勝した後、西谷浩一監督がABCラジオ『伊藤史隆のラジオノオト』に出演しています。

インタビュー前に伊藤史隆氏と西谷浩一監督が名刺交換をした際、名刺には『大阪桐蔭高校 社会科教諭 西谷浩一』と、記載されていたそうです。

この日は大阪桐蔭高校でインタビューをしており、西谷浩一監督は授業の空き時間に対応したそうで、紺色のスーツ水色のお洒落なネクタイ姿だったとか。

非常勤講師ではなく正職員で、普通に週何時間も授業を受け持っており、授業が終わってから野球部を見るというルーティンだと言います。

甲子園常連の高校野球の監督には社会科の先生が多く、横浜高校の元監督の渡部元智さんや、帝京高校の前田三夫さん、明徳義塾高校の馬淵史郎さんらも、社会科の教師をしています。

野球部の監督に社会科の教師が多い傾向として、「生徒に質問されることが少なく、野球に専念できるから」とか、「歴史を学ぶことで、戦国大名の人材掌握術など、野球に生かせる場合がある」などと言われています。

名前:西谷 浩一(にしたに・こういち)
出身地:兵庫県宝塚市
生年月日:1969年9月12日(52歳)
身長/体重:194㎝・125kg?
指導歴:報徳学園高校・大阪桐蔭高校
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西谷浩一監督の出身高校と大学は?

西谷浩一監督の出身高校

西谷浩一監督の出身高校は、兵庫県西宮市にある私立高校の、報徳学園高等学校です。


出典元:minkou

報徳学園高等学校は、1911年に開校しており、100周年を超える伝統を持つ男子校です。

報徳学園高等学校の偏差値は46~61で、「普通科選抜特進コース」「普通科特進コース」「普通科進学コース」が設けられています。

部活動も盛んで全国的に有名な部が多く、特に硬式野球部は甲子園に春20回出場し優勝2回夏14回出場し優勝1回の成績を残しています。

報徳学園高等学校出身の有名人には、俳優の森山未來さんや、歌手のもんたよりのりさんらをはじめ、多くのプロ野球選手やスポーツ選手を輩出しています。

西谷浩一監督は、小学校2年生から少年野球を始め、小学4年生からキャッチャーをしています。

小学5年生の時、夏の甲子園で地元の報徳学園が、エースで4番の金村義明選手の活躍で全国制覇をしたのを見て、「あのユニフォームを着て、甲子園に行きたい」と思ったそうです。


出典元:週刊ベースボール
報徳学園時代の金村義明選手

そして、1985年に報徳学園へ入学しますが、西谷浩一監督の高校時代は、2年生の秋の近畿大会出場だけが戦績らしい成績で、高校3年の夏は下級生の不祥事で大会の出場を辞退しています。

西谷浩一監督の出身大学

西谷浩一監督の出身大学は、大阪府吹田市山手町にある私立大学の、関西大学経済学部です。


出典元:マナビズム

関西大学は、1886年に設立された関西法律学校が前身となっており、1992年に大学へ昇格しています。

関西大学経済学部の偏差値は57.5となっており、大学には5キャンパス・13学部・12研究科・3大学院が設けられ、約3万人の学生がおり、西日本最大級の大学となっています。

西谷浩一監督は、一浪して関西大学経済学部へ入学しています。

当時、スポーツメーカーSSKの営業マンで、報徳学園野球部を担当していた、後の大阪桐蔭高校の初代監督を務めた長澤和雄さんから、「野球を続けるなら関西大の練習に参加してみるか」と言われたのきっかけだそうです。

関西大の練習に参加した西谷浩一監督は、「ここで野球がしたい!」と思いますが、当時、関西大にはスポーツ推薦枠がなく、普通に受験を受けてから入学しています。

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関西大の硬式野球部では、2年の秋から控えのキャッチャーとしてベンチ入りし、3年の春に19年ぶりのリーグ優勝と、全日本大学野球選手権大会での準優勝に大きく貢献しています。

西谷浩一監督は、4年生の時は主にブルペン捕手ながらキャプテンを務め、当時100人以上の部員をまとめていたそうです。

西谷浩一監督は、関西大を卒業後、母校の報徳学園でコーチを務めた後に、先述の長澤和雄さんに誘われ、1993年春に大阪桐蔭高校へ移り、1998年11月に監督に就任

2001年に一度コーチに退きますが、翌年にまた監督に就任しています。


出典元:スポニチ

西谷浩一監督は、大阪桐蔭高校の監督就任後、夏の選手権大会は優勝4回、春夏通算7回の優勝は、歴代最多を記録しており、春の選抜大会の優勝3回は歴代タイの記録となっています。

さらに、西谷浩一監督は、春夏の甲子園連覇の3度達成は、監督として史上初の記録となっています。

2019年には、ジャパンコーチアワード最優秀コーチ賞を受賞しています。

西谷浩一監督は、2021年には春の甲子園、夏の甲子園、国体、神宮大会で優勝し、史上8校目となる4大大会制覇を達成しています。

西谷浩一監督はスカウトが本業!?


出典元:Yahooニュース

大阪桐蔭高校の社会科の教師であり、野球部の監督でもある西谷浩一監督は、スカウト活動も日本一と言われています。

獲得したい中学生が居たら『ドラフト1位』と呼んで、熱心に勧誘しているそうです。

学校から認められているスカウト活動の時間は、西谷浩一監督の授業がない、土曜日の午前中とされ、午後からは練習があるため、ノックが始まる午後2時にはグラウンドに戻ります。

ですが、実際は気に入った選手がいたら、何度も通うとか。

中田翔選手(現・巨人)をスカウトした時は、広島に50回も通って口説いており、金曜日の終電で広島へ移動してホテルに宿泊し、翌朝早朝から中田翔選手を見た後、午前11発の新幹線で大阪に戻っていたそうです。


出典元:日刊スポーツ
大阪桐蔭高校時代の中田翔選手

また、ほぼ慶応義塾に決まっていた根尾昴選手(現・中日)の時には、実家のある岐阜県内のホテルに連泊し、実家に通い続けたとか。

そして、『是非、うちの練習を見学して欲しい』と直談判したのが決めてとなり、根尾昴選手は大阪桐蔭高校へ進学しています。

西谷浩一監督は、以前から練習よりもスカウト活動の方が熱心と言われ、練習を休む日も少なくなかったそうです。

最近では、コーチが代役でスカウトに行っているようですが、最終判断は西谷浩一監督の判断に任されています。

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また、西谷浩一監督は選手の適性を見抜くことが得意で、高校入学後に投手にさせるか野手に専念させるかを、西谷浩一監督が現地まで赴き、選手を直接見て判断するそうです。

つまり、中学野球の日本代表の投手として活躍した選手でも、野手の方が可能性が広がると判断すれば、野手として勧誘すると言います。

全国の中学球児の憧れの的となっている大阪桐蔭高校の監督が、「わざわざ自分に会いに来てくれた」と、選手は感動するそうですよ。

★大阪桐蔭高校の選手に関する記事は、こちらをご覧ください。

いかがでしたでしょうか?

今後も益々の活躍が期待される西谷浩一監督を、引き続き注目していきたいと思います。

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