バスケットボール女子日本代表のヘッドコーチを務めている、恩塚亨(おんづか・とおる)監督。
恩塚亨監督は、就任直後の2021年FIBA女子アジアカップで優勝に導いており、その指導力が注目されています。
そんな恩塚亨監督はどこの学校の出身なのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
・恩塚亨監督の経歴
・恩塚亨監督の結婚・子供
の3つのポイントに沿って、恩塚亨監督について、ご紹介したいと思います。
恩塚亨監督の出身高校と大学!
恩塚亨監督の出身高校
恩塚亨監督の出身高校は、大分県中津市にある県立高校の、大分県立中津南高等学校です。
出典元:スタディピア
中津南高等学校は大分県内で2番目に古い高校で、1893年に私立として中津尋常中学校として創設されました。
中津南高等学校の偏差値は64で、殆んどの生徒が進学を希望し、地元の国公私立大学や短大へ進学をします。
部活動も盛んで、バスケットボール部は全国大会で上位に食い込む活躍を見せています。
中津南高等学校出身の有名人には、みずほファイナンシャルグループ会長の前田晃伸さんや、元サッカー選手の保田道夫さんらがいます。
恩塚亨監督がバスケットボールを始めたのは中学からで、チームは市内にある4チーム中、万年3位という弱小チームでした。
しかし、恩塚亨監督は当時、シュートが決まった時の爽快感と、シュートに至るまでのプロセスの幅広さに、心を鷲掴みにされたそうです。
中津南高等学校へ進学後もバスケットボールに熱中しますが、目立った実績はありませんでした。
高校卒業後の進路を決めるにあたり、隣町の出身で、バスケの強豪校の福岡大学付属大濠高校で活躍していた、1つ上の先輩の進学先が筑波大学と知り、そこから猛勉強を始めたそうです。
恩塚亨監督の出身大学
恩塚亨監督の出身大学は、茨城県つくば市に本部を置く国立大学の、筑波大学体育専門学群です。
出典元:毎日新聞
筑波大学は、1872年に日本で最初に設立された、東京師範学校が前身となっており、1973年に東京教育大学を母体として、筑波大学が発足しています。
筑波大学の偏差値は55~65で、文部科学省が実施している、スーパーグローバル大学事業のトップ型指定校となっています。
筑波大学の男子バスケットボール部は、1927年に東京師範学校バスケットボール部として創部され、「全日本大学バスケットボール選手権大会」に、第1回から出場続けている唯一のチームです。
これまでに、全日本大学バスケットボール選手権大会で、3回の優勝実績があり、唯一の国立大学の優勝となっています。
恩塚亨監督は、選手ではなく、「選手が熱い気持ちで学びながら、成長していける環境を作ることのできるコーチになろう」と思って、大学へ進学しています。
「大学ではほぼバスケしかしていません。」というほど夢中になり、「友達もバスケ部にしかなかった」と話しています。
恩塚亨監督は、大学3年の頃から、コーチングの勉強のため、大学院生の講義に参加したり、近隣の小学生を指導したり、実業団チームの練習も見に行ってたそうです。
恩塚亨監督が指導者になろうと決意させたきっかけは、男子バスケ部の外部コーチとして来た日高哲朗(ひだか・てつろう)氏(現・千葉大学名誉教授)との出逢いだそうです。
出典元:スポーツデリバリー
日高哲朗氏
日高哲朗氏はバスケ部のOBで、国内外のコーチングや戦術論に精通しており、卓越した指導者として知られています。
恩塚亨監督は、日高哲朗氏のようなコーチになろうと憧れたそうです。
日高先生は、まさに僕が求めていたロジカルな説明をしっかりしてくれて、どうプレーすれば成長できるかというマインドの部分も含めて、とても熱い気持ちで教えてくださったんです。ロジックと情熱の両方を兼ね備えた指導は本当に感動的で、こんなコーチに僕もなりたいと憧れました。
引用元:NIKKEI STYLE
そして、恩塚亨監督は、故郷の大分に戻り、日高哲朗氏のような指導者を目指し、教員採用試験を受けますが、不合格となってしまったそうです。
次では、そんな恩塚亨監督の経歴を、見ていきたいと思います。
恩塚亨監督の経歴は教員!?
出典元:BASKETCOUNT
恩塚亨監督は、2002年から7年間、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校の保健体育の教員として、勤務していました。
教員採用試験に不合格となり困っていた時、バスケ部の部長の知人を介して渋谷教育学園の理事長を紹介され、進学校である同校に採用されたそうです。
恩塚亨監督は、1年目から女子バスケットボール部のコーチを務め、熱い指導に生徒たちも一生懸命になり、就任4年目で初めてチームは県大会へ出場しています。
出典元:日本経済新聞
ところが、進学校であったため、保護者からの不評を生むことになったそうです。
みんな上手くはなかったですが、一生懸命やってくれました。ただ、生徒たちが急に熱心にやりだしたので、保護者の方々が、「勉強させるためにこの高校に入ったのに」と不安になってしまい…。
引用元:BASKETCOUNT
「お互いがお互いを必要としていない」という事実に気づいた恩塚亨監督は、情熱をぶつける先を失い、悶々としていた時に、ある人に「自分の人生は自分で作っていくもの」とアドバイスを貰います。
そして、恩塚亨監督は、2006年に東京医療保健大学が創設されるタイミングで、大学に企画書を提出し、女子バスケットボール部を立ち上げています。
さらに、大学教員になるために早稲田大学大学院を修了させ、バスケットボール女子日本代表チームに、データ分析のアナリストととして貢献したいと、自身を売り込んだそうです。
最初はビデオコーディネーターとして受け入れられ、2007年から恩塚亨監督は、正式に女子日本代表のアナリストとなり、2012年まで務めてきました。
出典元:JBA
恩塚亨監督は、2015年のユニバーシアード女子日本代表のアシスタントコーチを務め、2016年のリオオリンピックでは、再びアナリストとして帯同しました。
そして、2017年から2021年まで、トムホーバスヘッドコーチのもと、アシスタントコーチを務め、2021年9月にトムホーバスの後任として、女子日本代表のヘッドコーチに就任しています。
東京医療保健大学の女子バスケットボール部は、創部11年目の2017年にインカレで初優勝を果たし、以降、2020年に4連覇を達成するほど進化を遂げています。
出典元:東京医療保健大学
恩塚亨監督は、2022年4月に女子日本代表のヘッドコーチに専念するため、東京医療保健大学のコーチを退任しています。
恩塚亨監督は結婚や子供はいるの?
出典元:西日本新聞
バスケットボールの指導に人生を捧げてきた恩塚亨監督は、結婚しているのか気になりますね。
調べてみましたが、恩塚亨監督の結婚や子供に関する情報は、公表されていませんでした。
43歳という年齢から推測すると、結婚していれば中学生くらいのお子さんがいそうですね。
恐らく、これまでずっと、バスケットボールに注力してきて、結婚はしていないかも知れません。
新しい情報が分かりましたら、お知らせしたいと思います。
★全日本代表メンバーに関する記事は、こちらをご覧下さい。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される恩塚亨監督を、引き続き注目していきたいと思います。