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現在、タレントやモデルとして活動する一方で、デトックス料理研究家としても活動する大河内志保(おおこうち・しほ)さん。
そんな大河内志保さんの元旦那さんは新庄剛志さんだそうですね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、大河内志保さんと新庄剛志さんについてご紹介したいと思います。
大河内志保さんの元旦那さんはプロ野球監督の新庄剛志さんです。
大河内志保さんと新庄剛志さんが最初に出会ったのは1992年11月のことで、当時21歳だった2人は大河内志保さんがリポーターとして、新庄剛志さんの合宿地を取材したのがきっかけで知り合いました。
その後、番組企画での船上クルージングが2人の距離を縮め、新庄剛志さんが大河内志保さんに一目惚れし、猛プッシュの末交際が始まりました。
新庄剛志さんは「1人前になったら結婚しよう」と、打率2割8分を具体的な目標に定めていたそうです。
しかし、マスコミから追いかけられる日々が相当辛く、新庄剛志さんは「野球に集中できない」と悩み、大河内志保さんに「別れるか、芸能界を辞めるか、どちらかにして欲しい」と告げました。
大河内志保さんは悩んだ末に芸能化引退を決断し、約7年間の交際期間を経て、2000年12月27日に結婚しました。
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大河内志保さんは芸能界を辞めてすぐ、調理師免許を取得し、好き嫌いの多い新庄剛志さんに合わせた献立を考え、出来合いのものは使わず、全て愛情を込めて手作りすることに拘っていたと言います。
新庄剛志さんのMLB時代は二人三脚で挑めていましたが、日ハム移籍後から大河内志保さんは「心の距離を感じるようになった」と言います。
そして、新庄剛志さんの現役最終年となった2006年のキャンプ中、大河内志保さんへ「別れよう」と書いたメールを送り、2007年12月に離婚しました。
メールで別れを告げた新庄剛志さんについて、大河内志保さんは「メールで切り出したのは彼の弱さであり、直接言って傷つけない優しさ」と述べています。
大河内志保さんは別れる時に、新庄剛志さんから「今まで全部志保の言うことを聞いてやってきて、それで成功できたし、感謝してる。でもこれからは自分の意思で人生やっていきたいんだ」と言われたそうです。
離婚後、2人は「連絡は全く取っていない」と言い、大河内志保さんは芸能活動を再開させ、タレントやモデル、フードスタイリストとして活動しています。
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大河内志保さんと新庄剛志さんとの間に子供はいませんでした。
新庄剛志さんは、自身のキャリアや生活スタイルを考慮し、「子供は作らない」と決めていたそうです。
そんな新庄剛志さんの決断を大河内志保さんは尊重しており、新庄剛志さんのライフスタイルを理解し、彼の意向に従うことに同意していました。
2人の間には深い信頼と理解があったため、この決断が大きな問題になることはなかったとのことです。
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大河内志保さんと新庄剛志さんの離婚理由については、いくつかの報道がありますが、新庄剛志さん自身がテレビ番組で語ったところによると、バリ島への移住を決めたことが大きな理由とされています。
新庄剛志さんはスーパースターとしての生活において、自分自身が知られていない世界で自由を感じたいという願望があったそうです。
そんな新庄剛志さんの幸せを尊重した大河内志保さんは離婚に同意し、新庄剛志さんは慰謝料として3億円を支払ったと報じられています。
2007年に離婚した大河内志保さんと新庄剛志さんは、2人とも再婚しておらず独身で、新庄剛志さんは再婚について「僕はしないです」と明言しています。
一方の大河内志保さんは「離婚しても私は彼の味方。応援している1人。」と言い、新庄剛志さんを遠くから見守っているとのことです。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな大河内志保さんを、引き続き注目していきたいと思います。