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MLBのロサンゼルス・エンゼルスに所属している、大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手。
大谷翔平選手は、“二刀流”の選手と知られ、2021年にはアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれる活躍をしています。
そんな大谷翔平選手の両親はどんな人なのでしょうか?
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、大谷翔平選手の両親や兄弟について、ご紹介したいと思います。
大谷翔平選手の家族構成は、父親・母親・兄・姉・本人の5人家族です。
5人家族を支えるご両親の職業を見ていきましょう。
大谷翔平選手の父・徹さんの職業は、岩手県胆沢郡金ケ崎町にある、中学硬式野球チーム『金ケ崎リトルシニア』の監督をしています。
大谷徹さんも元々社会人野球選手で、三菱重工横浜野球部で7年間プレーしており、24歳で現役を引退しています。
引退してから1991年に、大谷徹さんは自動車ボディーメーカー(現・トヨタ自動車東日本)に転職し、1993年に現在の岩手県奥州市に移り住みました。
長男の龍太さんが野球を始めた際、会社の仕事が忙しく協力できなかったのが心残りで、大谷翔平選手が野球を始めた時には熱心に指導することを決意。
小学2年生で大谷翔平選手が「水沢リトル」に加入すると、父・徹さんはコーチを買って出るようになり、後に監督も務めています。
さらに、大谷翔平選手が中学卒業後「一関リトルシニア」に移った際も、同チームのコーチを務め、大谷翔平選手を計7年間指導してきました。
大谷翔平選手が卒団した後も、父・徹さんは少年野球の指導を続け、2014年に有志と共に「金ケ崎リトルシニア」を立ち上げで監督に就任。
2016年に長年勤務した自動車ボディーメーカーを退職し、現在は監督業に専念しています。
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大谷翔平選手の母・加代子さんは、現在、焼肉店のパートをしているそうです。
母・加代子さんは横浜市の出身で、元々、バドミントン選手でした。
小学5年生から始め、中学3年生の時には神奈川県代表メンバーに選ばれており、全国大会へ出場し団体女子の部で準優勝しています。
この時敗れた相手は、後に1992年のバルセロナ五輪に出場した陣内貴美子さんで、その後も何度も対戦したことがあるとか。
卒業後は、インターハイ常連校の神奈川県立横浜立野高校に進み、朝から晩までバドミントンに打ち込み、インターハイにも出場経験があります。
高校卒業後、父・徹さんと同じ会社に就職してバドミントン部に所属しており、国体や五大都市大会などに出場し、功績を残しています。
母・加代子さんは入社1年目に、野球部にいた徹さんと壮行会で知り合い、23歳の時に結婚し、第二子の長女誕生後に、岩手県奥州市に移り住んでいます。
そして、1994年に大谷翔平選手が誕生すると、バドミントンをやっていた加代子さんは、練習日に一緒に連れて行ってバドミントンで遊ばせており、最初から上手だったそうです。
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大谷翔平選手はアスリートとしての能力だけでなく、人柄でもファンを魅了しています。
その大谷翔平選手の人間力は、両親の育て方が影響しているようです。
大谷翔平選手は「今でもそうですが、居心地が良かったですよ」と語るほど、大谷家は雰囲気の良い家庭だそうです。
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父・徹さんは、大谷翔平選手のことを「怒った記憶がない」と明かしています。
2歳違いの姉と翔平選手はよく“姉弟ケンカ”をしていたそうですが、他愛もないケンカで「どっちもダメじゃないかと2人を怒ったことはあるけど、それくらいです。翔平が何かして怒ったことはない」と話しています。
唯一、父・徹さんが大谷翔平選手に怒ったのは、ハリーポッターのノートの表紙が剥がれてしまい、幼い大谷翔平選手が「誰が折ったんだ!」と泣きわめいた時だとか。
徹さんは「そんな小さなことで怒るんじゃない!」と声を荒げたそうで、後にも先にも他に怒ることはなかったと言います。
大谷翔平選手自身も怒られた記憶がないといい、「お父さんから怒られたのは、グラウンドでの野球の時だけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ」と話しています。
大谷翔平選手の両親は、「親がガーっと怒らなければいけなかったことが、本当になかった」と振り返っています。
大谷翔平選手は末っ子ということもあり、兄弟が叱られるをみて学習していたのかも知れませんね。
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大谷翔平選手の両親は、子供たちと過ごす時間をとても大切にしていたそうです。
家にテレビは1台しかなかったため、皆が同じ場所に集まって、一緒にテレビを見るのが習慣になっていたとか。
本音を言えば、子供部屋にテレビを一台ずつ置く余裕もなかったですし、みんなで一緒に同じ時間を過ごしたいと私は思っていたので、テレビは一台にしたところはありましたけどね。
引用元:PRESIDENT ONLINE
こうした家族間にある風通しの良い環境からか、大谷翔平選手や兄姉には中学生によくある“反抗期”がなく、それぞれが自分の部屋に籠ることもなかったそうです。
大谷翔平選手は幼い頃、食が細かったそうです。
母・加代子さんは食が細い息子を心配して、“何とか楽しく食べられる雰囲気を作ろう”と苦心していたとか。
そこで思いついたのがホットプレートで、週末に家族揃ってホットプレートを囲んで食事をすると、会話も弾んで、知らず知らず食の細い大谷翔平選手も、沢山食べれるようになったそうです。
大谷家の“楽しい雰囲気づくり”は食事だけに限らず、両親は「子供の前では絶対に夫婦喧嘩はしない」と決めていたと言います。
みんなで食卓を囲む一家団欒を、何よりも大切にしてきたそうです。
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大谷翔平選手の兄弟は、兄・龍太(りゅうた)さんと姉・結香(ゆうか)さんがいます。
大谷翔平選手は兄・龍太さんとは年がはなれているため、一緒にいることは少なかったそうですが、姉の結香さんとは年齢が近いため、よく姉弟ケンカをしていたそうです。
大谷翔平選手の兄・龍太さんは社会人野球選手で、現在は、トヨタ自動車東日本硬式野球部に所属して外野手をしていましたが、現在は引退してコーチを務めています。
兄・龍太さんは、中学時代は軟式野球部に所属し、高校でも野球を続け、卒業後一般企業で働きながらクラブチームの『水沢駒形野球倶楽部』に所属。
2012年に出身地にトヨタ自動車東日本硬式野球部が発足し、同部に勧誘を受け入部しており、現在に至ります。
弟の大谷翔平選手とは7歳離れているため、一緒に居る時間が少なく、一緒に野球をやることもなかったとか。
それでも兄にとっての弟は可愛い存在で、「家に帰ればただの普通の弟なんですけどね。今ではメジャーリーガーになっちゃったので、テレビで見てると不思議な感じです。家族ではありますけど、いちファンとして応援しています」と話しています。
そんな兄・龍太さんは、2013年に“ミス高知”と噂される美人の女性と結婚し、2016年に長男が誕生しています。
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大谷翔平選手の姉・結香さんは、学生時代はバレーボール選手でした。
姉・結香さんは高校卒業後、岩手の看護大学へ進学し、横浜市内の病院で看護師として勤務していました。
結香さんは2020年1月に結婚しており、お相手は大谷翔平選手の母校である、花巻東高校の野球部部長を務める流石裕之(さすが・ひろゆき)さんです。
姉・結香さんと夫・流石裕之さんの歳の差は11歳あるとか。
都内のホテルで行われた披露宴には、大谷翔平選手はもちろんのこと、日本ハムから栗山監督らも出席し、栗山監督が音頭を取ったそうです。
流石裕之さんは、1981年11月2日生まれの現在41歳で、富士河口湖高校、国士舘大学を経て、現在、花巻東高校の社会科教諭兼野球部部長を務めています。
姉・結香さんは、2021年8月に第1子となる長女が誕生しています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな大谷翔平選手を、引き続き注目していきたいと思います。