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今年、ドラフト3位でオリックス・バッファローズに入団した齋藤響介(さいとう・きょうすけ)さん。
齋藤響介さんは、プロ初登板初先発で150キロを計測し、期待のルーキーとして注目を集めています。
そんな齋藤響介さんはこれまでどこの学校で野球に取り組んできたのでしょうか?
そこで今回の記事では、
・齋藤響介の高校時代
・齋藤響介の二軍成績・年俸
の3つのポイントに沿って、齋藤響介さんについてご紹介したいと思います。
齋藤響介の出身中学はどこ?

齋藤響介さんの出身中学は、岩手県滝沢市にある滝沢市立滝沢中学校です。
齋藤響介さんは、岩手県滝沢市の出身で、滝沢小学校の3年生の時から少年野球チームの『竹の子スポーツ少年団』で野球を始めています。
滝沢中学時代は軟式野球部に所属していましたが、地区予選にも勝てないチームだったそうです。
しかし、齋藤響介さんは、Kボールの地区選抜で頭角を現すと、5番手投手くらいの候補で岩手県選抜に選ばれています。
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学校の部活動に参加する中学3年生は、早ければ夏前には引退することになり、成長期にも関わらず、高校入学までの半年以上の実践ブランクができるため、Kボールを使った全国大会が提唱されたそうです。
齋藤響介さんはKボールに馴染むと、最後の大会では岩手県のエースになり、全国大会で準優勝に輝いています。
齋藤響介さんは、当時、「Kボールが無ければ、多分、夏休みはずっとゲームとかやってたのかなと思います」と話しています。
齋藤響介さんの中学の頃のプロフィールを見ると、将来の夢は「大工」だったようです。
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齋藤響介の高校時代は甲子園出場なし!

齋藤響介さんは岩手県盛岡市にある私立の盛岡中央高校の出身で、高校時代は甲子園出場の夢は叶いませんでした。
齋藤響介さんは1年夏からベンチ入りし、1年秋から公式戦に登板しています。
中学時代の最速は135キロでしたが、入学当初は硬式球の影響で120キロ台まで落ちましたが、トレーニングを重ねたことで1年の冬には143キロを記録しています。
齋藤響介さんは2年夏から背番号1を着け、岩手県大会でベスト8に進出しますが、同年秋は学校内で新型コロナの感染者が出たため、1回戦で出場辞退となってしまいました。

3年生の夏の岩手県大会では、2回戦の花巻東戦で自己最速の152キロをマークし、決勝まで勝ち進みましたが一関学院に敗れ、3年間甲子園出場はできませんでした。
そして、2022年のドラフト会議でオリックス・バッファローズからドラフト3位指名され、入団しています。
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齋藤響介の二軍成績と年俸は?

齋藤響介さんの今季の二軍成績は、11試合に登板し、1勝2敗、防御率2.25、WHIP0.92の成績を残しており、年俸は500万円でした。
齋藤響介さんはドラフト会議でオリックス・バッファローズから3位指名を受けた際、「嬉しい気持ちでいっぱい。先発で投げて、2桁勝利をしたい。僕はずっと山本由伸投手を目標にしてきた」と語っていました。
また、仮契約時には「自分はフィールディングや牽制も得意ですが、一番の持ち味は強気のピッチングスタイル。」と意気込み、プロ1年目は体作りのためにトレーニングに励むとしていました。
齋藤響介さんが初めて一軍に昇格したのは、2023年8月19日の日本ハム戦でしたが、登板の機会がないまま8月21日に登録抹消になっています。
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その時、齋藤響介さんは先輩投手のルーティンなどを見て「早く自分もその舞台に上がりたいという気持ちが強くなりました」と話していました。
そして、齋藤響介さんは9月26日の埼玉西武ライオンズ戦で一軍初登板・初先発し、本拠地の京セラドームでの一軍デビューを果たし、4回73球2安打4死球3奪三振無失点でマウンドを降りました。

齋藤響介さんはこの日について「ものすごく緊張しました。初登板なのに、負けたら終わりみたいな感覚でした。(高校野球の)夏の大会くらい、心臓がバクバクして…。」と話していました。
齋藤響介さんのデビュー戦の映像を見て、視聴者からは《球界を代表する投手になって欲しい》《糸を引くようなストレート》《明らかに体出来てないのにこの投球は将来ヤバい》などの声が上がっていました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな齋藤響介さんを、引き続き注目していきたいと思います。