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令和3年8月から第53代兵庫県知事を務めている斎藤元彦(さいとう・もとひこ)知事。
その斎藤元彦知事は、県幹部による職員へのパワハラ告発問題を巡り、世間の注目を集めています。
そんな斎藤元彦知事の学歴や経歴が気になりますよね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、斎藤元彦知事についてご紹介したいと思います。
斎藤元彦知事の学歴は、神戸市立若宮小学校を卒業後、愛媛県松山市にある愛光中学校・高等学校を経て、東京大学経済学部を卒業しています。
愛光中学校・高等学校は中高一貫の私立学校で、偏差値が75と国内有数の進学校であり、寮完備による全国規模で生徒を受け入れ、生徒の3分の1が医学部を目指す特徴があります。
同校出身の有名人には、政治・経済・法曹界・学界・マスコミ等、各界に多くの著名人がいます。
斎藤元彦知事は小学校6年生の時に、私立中学入試で第一希望の六甲中学校(偏差値58~63)を受験しましたが不合格となり、愛光中学校へ入学し、6年間親元を離れ寮生活を送っていました。
その寮生活を共にした同級生は「生涯の友」となり、今でも年に数回会っているとのことです。
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斎藤元彦知事は高校卒業後、神戸・三宮の予備校で1年間浪人生活を送ったのち、東京大学経済学部(偏差値67.5~72.5)へ進学しています。
しかし、東大進学後に、平成不況で実家の家計が悪化して仕送りがなくなり、一時は在学継続を諦めかけましたが、育英会の奨学金に救われ卒業することができたそうです。
その時の経験から、斎藤元彦知事はセーフティーネットの重要性に気付き、行政や政治の道に進むことを考え始めたとのことです。
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斎藤元彦知事の経歴は元総務省官僚です。
斎藤元彦知事は東大卒業後、2002年4月に総務省に入省し、総務省での仕事をこなしながら、三重県庁、新潟県佐渡市役所、福島県坂舘村、宮城県庁、そして大阪府庁と様々な自治体で経験を積んできました。
斎藤元彦知事の略歴は次の通りです。
斎藤元彦知事は神戸市須磨区の出身で、総務省に入省し、東日本大震災直後には全村避難となった福島県坂舘村に派遣されています。
斎藤元彦知事は、元総務省都道府県税課理事官や前大阪府財政課長を歴任し、2018年から大阪府に出向していました。
斎藤元彦知事は公務員時代は現場主義を貫き、「住民と一緒に課題を解決する大事さを学んだ。身近な知事を目指したい。」と考えていたとのことです。
そして、斎藤元彦知事は2021年3月25日に、兵庫県議会の自民党会派有志から立候補要請が手渡され、同月末付で大阪府と総務省を退職し、兵庫県知事選挙へ立候補しました。
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兵庫県知事選の際、無所属で立候補した斎藤元彦知事を推薦した政党は、自民党と日本維新の会です。
2021年7月の兵庫県知事選では、退任する井戸敏三知事の後継として、前副知事の金沢和夫氏が立候補を表明し、県議会の最大会派の自民党も金沢氏を支援する方針を決めました。
しかし、自民県議の11人が会派の方針に反発し、斎藤元彦氏に立候補を要請し、自民党の分裂選挙となりました。
斎藤元彦知事は出馬直前まで大阪府の財政課長として、日本維新の会の松井・吉村両知事の維新府政を3年間支えた経緯もあり、日本維新の会が斎藤元彦氏を推薦候補としました。
そこに自民党本部も方針を転換し、斎藤元彦氏を自民党公認の推薦候補としたため、2党推薦での選挙戦となり、日本維新の会からは松井一郎会長や吉村洋文副代表、兵庫県出身の現職官僚の西村康稔氏や丸川珠代氏らも応援に駆け付けました。
投開票の結果、斎藤元彦氏は金沢和夫氏ら4候補を破り初当選し、兵庫県では戦後、歴代最年少の知事となりました。
★斎藤元彦知事の韓国人との噂に関する記事はこちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される斎藤元彦知事を、引き続き注目していきたいと思います。