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YouTubeチャンネル『ジョーブログ』で度々登場し、あいりん地区のほぼ全ての飲食店を出入り禁止となっている坂田佳子(さかた・けいこ)さん。
坂田佳子さんは、大阪・西成で『三角公園の歌姫』と呼ばれる、ジャズシンガーです。
そんな坂田佳子さんはどんな生い立ちなのか、気になりますよね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、坂田佳子さんの生い立ちについて、ご紹介したいと思います。
坂田佳子さんは、福井県小浜市の出身で、1962年12月26日生まれの現在59歳です。
坂田佳子さんの実家は、『坂田』と言ったら知らない人はいないほどの名家で、父親は市内でも有名な人物、母親は習字とお琴の先生をしており、毎日着物を着ている上品な淑女だとか。
坂田佳子の幼少期は感受性が強く、「人はなぜ生まれて来て、死ぬのだろうか」と、毎晩考え込んで泣いているような子供だったそうです。
芸術性を世間から評価されるようになり、描いた絵の色彩感覚を評価され、NHK全国コンクールで優勝し、TVで表彰されたんだとか。
しかし、坂田佳子さんは小学校高学年から非行が始まり、学校では手に負えない程毎日暴れていて、当時の担任の先生は未だに心配してくれているようです。
小浜中学時代は、毎晩深夜に家の窓から裸足で抜け出し、当時付き合っていた年上の彼氏の家で明るくなるまで過ごしていたそうです。
父親に見つかった時には、二階の屋根の瓦の上を逃げ回り、頬を叩かれたとか。
名家の父親は、「うちには娘は居ない!」と外で言い、母親からは「こんなお下品な子、誰から生まれてきたのかしら(涙)」と、毎日言われてたそうです。
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若狭東高校に進学した坂田佳子さんは、ラグビー部の“美人”マネージャーをしていましたが、目立つ!生意気!という理由だけで、しょっちゅう呼び出され集団暴行を受けていました。
坂田佳子はモテたらしく、高校時代はコロコロ彼氏を変えていたとかで、校内でもイケメンとされる男子生徒を何人も泣かせてきたのだとか。
高校卒業時には校内No.1イケメンの彼に収まり、卒業と同時に大阪京橋で同棲を始め、坂田佳子さんは水商売を始めています。
そして、街を歩いていた坂田佳子さんは、モデルにスカウトされすぐに契約し、身長が低いにも関わらずショーに出たり、CMやカラオケの画面モデル、テレビなどにも出演していたそうです。
その頃は、やしきたかじんさん、ダウンタウンさん、桂三枝さんらと一緒に仕事をしたこともあるとか。
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大阪での生活は順調かと思われましたが、同棲していた彼氏の浮気が発覚し、即別れたそうです。
そこからの坂田佳子さんの男性遍歴と、真っ黒な人生遍歴は凄まじかったと明かしています。
それまで音楽とは無縁だった坂田佳子さんは、大阪・北新地のジャズバーで初めてジャズの生演奏を聴いてジャズの虜になり、ほぼ独学で学んだそうです。
下積み生活を経て、大阪ナンバの高級ホテル『スイスホテル』の、ラウンジ『Tavola』でのレギュラー出演を獲得した坂田佳子さんは、現在、関西を中心にライブハウスや高級クラブなどで活動。
ジャズ以外にもロック、シャンソン、ポップスなども歌っており、毎週木曜日の夜には、関西初のインターネットラジオ『レディオ・バルーン』という、自身の番組を持っています。
因みに、坂田佳子さんには、『満州けいこ』という別名があります。
その名前の由来について、YouTube動画の中で、明かしていました。
風呂に入るのが嫌いなさかた佳子さんですが、
風呂に入ってない女の、ま〇こはどんな匂いがするんかって、あるえら家チャンネルっていうYouTuberが撮りだしてから、何でか“満州けいこ”って名前になったんや
と話しています。
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坂田佳子さんは、YouTubeチャンネル『ジョーブログ』の動画内で、旦那とは離婚していると明かしています。
坂田佳子さんは過去に22年間結婚していましたが、旦那さんに「もう開放して下さい」と頼まれて、「解放させたらなあかんやん」と思って、離婚したそうです。
また、坂田佳子さんは同動画内で、「半年前までは彼氏がいた」と話しています。
ジョーさんに「彼氏とかおんの?」と聞かれた坂田佳子さんは、「おらへんわ!」と声を張るも、「半年前までおったわ。」と告白し、その場を驚かせます。
その彼氏はお金のないミュージシャンで、坂田佳子さんは彼に惚れた理由は「純粋さだけに惚れた」と語っています。
しかし、その彼氏の置手紙が机の上にあり、“優しくしてくれてありがとう今まで。でももう僕疲れました”と書いてあり、振られたそうです。
坂田佳子さんは、「だって旦那さんでも、面倒みきられへんくらいやもん。そら疲れるで。」と話し、「ジョー試してみるか?あ、婚約者やん」と発言。
これに対してジョーさんは、「アホかほんまwwww」と、完全に拒否しています。
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坂田佳子さんは、同じ動画内で、大阪の西成に来た理由を語っています。
他の県に住んでいた坂田佳子さんは、その時スポンサーがついており、ツアーの時にヒルトンホテルでもどこでも泊まっていいよと、ホテル代を何万円ももらっていたそうです。
しかし、坂田佳子さんはホテルへの拘りはなく、寝れれさえすればいいと思っていて、西成のドヤ(宿)で女一人で泊まっていたとか。
坂田佳子さんにとって西成の街の雰囲気は、ワクワクするとともに落ち着くと言います。
「ドヤを一歩出たら、おっちゃんが寝そべってて、おっちゃんが酒飲んでて、それだけで安心感がある」と、人との触れ合いが楽しいと語っています。
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そして、坂田佳子さんは西成のあいりん地区にある、萩之茶屋南公園(通称:三角公園)で、週末に路上ライブ活動をしています。
路上ライブをして分かったのが、坂田佳子さんの歌を聞いてくれるのは、元受刑者、元シ〇ブ中、現在シ〇ブ中の人が一番多かったとか。
その人たちが坂田佳子さんの歌を聞いて、「もう、二度と刑務所に行きません。行きたくないです」と言って、泣いてくれたそうです。
犯罪を犯し、家族から見放されて身寄りがなくなった人たちのために、坂田佳子さんは「私が、女神様になったらいい」と思ったと言います。
そんな女神様になった坂田佳子さんの元に、三角公園から連絡が入るそうです。
迷惑かけてる人や変な人がいたら、坂田佳子さんが突撃して説教して、人を殴るようなヤツは追い出しているんだとか。
坂田佳子さんは、「これからもずっと路上ダイブを続けていく」と宣言しています。
その理由として、「お金とか儲けるとかではなく、自分の心が喜びを感じた。心が命が歓喜した」からとし、それを感じさせてくれたその人達にも、感謝をしていると話しています。
★坂田佳子さんの糖尿病に関する記事は、こちらをご覧ください。
★ジョーブログのジョーさんに関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな坂田佳子さんを、引き続き注目していきたいと思います。