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花巻東高等学校の怪物スラッガーの、佐々木麟太郎選手。
佐々木麟太郎選手は、高校通算本塁打記録を140本に伸ばし、今年の高校生で最も本塁打を放っており、その活躍が注目されていますね。
その佐々木麟太郎選手とはどんな人物なのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、佐々木麟太郎選手について、ご紹介したいと思います。
出典元:Twitter
佐々木麟太郎選手は、岩手県北上市の出身で、2005年4月18日生まれの現在16歳です。
家族は、両親と妹の4人家族です。
「麟太郎」という名前は、咸臨丸(かんりんまる)で日本で初めて太平洋を渡った、勝海舟の幼少期の名前に由来しており、父親が名付けたそうです。
身長183㎝で体重117㎏の体格を生かした、力強い打撃が持ち味です。
佐々木麟太郎選手は、幼少期から野球を始めており、4歳の時、菊池雄星選手を擁した花巻東高校が準優勝した試合を現地で観戦し、「雄星さんたちの代を観て、野球を極めたいと思った」そうです。
そして、佐々木麟太郎選手は、北上市立江釣子小学校の1年生の時から、江釣子ジュニアスポーツ少年団に所属し、当時から「花巻東のユニフォームを着て実際にプレーをして、日本一になることをイメージしていた」と言います。
中学時代は、エンゼルスの大谷翔平選手の父・大谷徹さんが監督を務める、金ヶ崎リトルシニアでプレーをしています。
出典元:gooニュース
金ヶ崎リトルシニアの大谷徹監督
花巻東高校入学後は、1年生の春からベンチ入りをしており、1年生ながら高校通算50本塁打と大活躍をしています。
そして、佐々木麟太郎選手は昨年秋の東北大会では、3番打者として初優勝に貢献し、全国デビューとなった神宮大会では、初打席で本塁打を放ち、その存在感が注目を集めています。
佐々木麟太郎選手はインタビューで、「本塁打は一つの持ち味。岩手から日本一の目標を達成するためにも、3番打者として責任を果たしたい。」と話しています。
佐々木麟太郎選手は、2021年12月上旬に、血管の障害で肩や腕に痺れや痛みを生じる、「胸郭出口症候群」を手術しています。
手術後はリハビリを重ね、2022年1月29日には選抜高校野球大会への出場が決まり、3月18日からの初の甲子園では、完全復活の姿が見せてくれるでしょう。
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佐々木麟太郎選手の出身中学は、岩手県北上市にある公立中学の、北上市立江釣子中学校です。
出典元:江釣子中学校
先述の通り、佐々木麟太郎選手は、中学時代は学校の野球部ではなく、岩手県胆澤郡金ヶ崎町にある、中学硬式野球チームの「金ヶ崎リトルシニア」でプレーをしています。
金ヶ崎リトルシニアは、2014年4月に設立されており、主に野球を通じて礼儀作法の習得を基本に、野球および学業に一生懸命取り組む姿勢を大切に、指導が行われています。
佐々木麟太郎選手は中学時代に、オンラインで開催された野球セミナーで、元巨人の高橋由伸さんから指導を受けたことがあります。
出典元:niftyニュース
高橋由伸さん
そのセミナーで佐々木麟太郎選手は、「スイングを少しコンパクトにしながら、強いインパクトや強いスイングを求めること」を指導されたそうで、高橋由伸さんの指導は、現在も生かされていると言います。
中学時代の主な成績は、2019年ボーイズ東日本選抜大会でベスト4に入っています。
佐々木麟太郎選手は大食漢で寿司は50貫以上食べ、中学時代には一度の食事で、白ご飯を丼3杯とラーメン3杯食べたり、5号の炊飯器のご飯を一人で平らげたこともあるそうです。
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佐々木麟太郎選手の父親は、所属している花巻東高校野球部監督の、佐々木洋(ささき・ひろし)さんです。
佐々木洋監督は、岩田県北上市の出身で、1975年7月25日生まれの現在46歳です。
佐々木洋監督は農家の家に生まれ、幼少期からプロ野球選手を目指して、野球に打ち込んで来ましたが、甲子園出場の経験はありません。
高校卒業後は国士舘大学へ進学し、大学卒業後は教育実習を行った縁から、横浜隼人高等学校でコーチを務めています。
そして、佐々木洋監督は、2000年に岩手県の花巻東高校の教員として赴任し、2002年に野球部の監督に就任しています。
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就任3年目の2005年の夏の甲子園で初出場を果たし、2009年には菊池雄星選手を擁し、春の選抜で準優勝し、夏はベスト4に進出しています。
出典元:日刊スポーツ
2009年花巻東高校 準優勝時
佐々木洋監督は、2021年に菊池雄星選手と大谷翔平選手と共に、日本スポーツ学会大賞を受賞しており、メジャーリーガーを育てた名指導者として知られています。
佐々木洋監督は、佐々木麟太郎選手に、何度も全寮制の他校の野球部を勧めており、「指導者として何が正解なのか。公平に公正に指導ができるのか」と、息子が同校に入学する事に悩んだそうです。
しかし、佐々木麟太郎選手の意志は固く、次のように話しています。
(菊池)雄星選手、大谷(翔平)選手の野球を見て育ち、ここのチームで野球をしたいというのが小さい頃からの明確な目標でした。野球だけではなく人として成長できる環境だと思って、他の学校は考えられませんでした。それを監督さんに伝え、チームに入れて頂くことができました。一度しかない人生です。ここでプレーして、人生の糧にしたいと思っています。ここで野球できることに本当に感謝しています。
引用元:NUMBER web
佐々木洋監督は、「監督と選手として、区切りをつけてやっている。花巻東で日本一を取れるようにやっていきたい。」と抱負を述べています。
★佐々木麟太郎さんの兄弟に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される佐々木麟太郎選手を、引き続き注目していきたいと思います。