1試合で19奪三振かつ完全試合を成し遂げ、世界中から注目を集めている、ロッテの佐々木朗希(ささき・ろうき)選手。
佐々木朗希選手は、高校時代に球速163キロを計測しており、当時、『令和の怪物』と称され、また、「高校BIG4」とも呼ばれていましたが、甲子園出場は果たせませんでした。
そんな佐々木朗希選手はこれまでに、どこの学校で野球に取り組んできたのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
・佐々木朗希の大阪桐蔭を断った理由
・佐々木朗希にメジャー注目
の3つのポイントに沿って、佐々木朗希選手について、ご紹介したいと思います。
佐々木朗希の出身中学と高校!
佐々木朗希の出身中学
佐々木朗希選手の出身中学は、岩手県大船渡市立根町にある公立中学の、大船渡市立第一中学校です。
出典元:大船渡市立第一中学校
大船渡市立第一中学校は、1961年(昭和36年)に市立盛中学校と市立立根中学校を統合して、創立されました。
大船渡市立第一中学校では、「ノーチャイムの校内生活」「福祉教育・ボランティア活動」「全校読書活動」「あいさつ運動」など、特色ある教育活動が行われています。
佐々木朗希選手は、陸前高田市立高田小学校の3年生の時に、地元の『高田スポーツ少年団』で野球を始めています。
しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災で、津波により父親と祖父母を亡くし、実家も流されたために、4年生の時に大船渡市に移り住みました。
大船渡市立猪川小学校に転校した佐々木朗希選手は、地元の軟式野球チーム『猪川野球クラブ』に所属しました。
6年生の時には、岩手三陸海岸の少年野球チームの大会「リアスリーグ」で、決勝進出をしています。
その後、第一中学校の軟式野球部に所属しています。
当時の第一中学校のグラウンドには仮設住宅が建ち並び、野球部の練習はその横の空き地で行っていたそうです。
佐々木朗希選手は、中学2年生の時からエースナンバーを背負ってきましたが、3年生になる直前の2016年春に腰に疲労骨折が判明し、その後、半年近くをリハビリに要しています。
佐々木朗希選手は、3年生の時の本大会の出場はできませんでしたが、秋に参加した地域で結成する「オール気仙」で岩手大会で優勝し、東北大会で準優勝、全国大会まで出場しています。
この大会中に佐々木朗希選手は、自己最速の141キロをマークしています。
第一中学校の野球部監督だった志田一茂氏は、当時の佐々木朗希選手について、次のように話しています。
野球脳が賢いとでもいうのかな。たとえば、野球の技術書を読んで、自分もこう投げたいというフォームが見つかったら、マウンドで再現する。その能力が高かった。
引用元:Newポストセブン
続いては、佐々木朗希選手の出身高校について、見てみたいと思います。
佐々木朗希の出身高校
佐々木朗希選手の出身高校は、岩手県大船渡市猪川町にある公立高校の、岩手県立大船渡高等学校です。
出典元:株式会社佐賀組
大船渡高等学校は、1920年(大正9年)に設立された岩手県気仙農学校が前身となっており、1962年(昭和37年)に現在の校名に改称されています。
大船渡高等学校の偏差値は52となっており、全日制と定時制の普通科が設置されています。
大船渡高等学校出身の有名人には、俳優の横道毅さん、写真家の高橋怜子さん、サッカー選手の大谷哲也さんらをはじめ、多くのスポーツ選手がいます。
全国的には無名だった佐々木朗希選手は高校進学時には、県内外の強豪校から声が掛かりましたが、大船渡高等学校へ進学しています。
高校1年生の夏の大会から公式戦デビューを果たし、徐々に球速も伸ばして、高校2年生の秋の大会では、高校2年生史上最速タイの157キロを計測しています。
さらに、佐々木朗希選手は高校3年生になる4月に、高校日本代表候補の研修合宿の紅白戦で、非公式ながら163キロをマークしています。
このスピードは、大谷翔平選手が保持している高校生最速160キロを、3キロも上回り、「令和の怪物」として注目を集めました。
佐々木朗希選手は、3年生の夏の大会ではエースで4番を務め、4回戦の盛岡四戦では、公式戦で大谷翔平選手の記録に並ぶ、160キロを計測しています。
チームは夏の県大会決勝進出を果たしますが、当時の監督が「故障予防のため」という理由で、佐々木朗希選手を出場させず、チームは敗退しており、高校には苦情の電話が殺到したそうです。
出典元:webspotiva
2019年10月1日に佐々木朗希選手は「プロ志願届」を正式に提出し、10月17日のドラフト会議で4球団から1位指名を受けており、ロッテが交渉権を獲得しています。
出典元:朝日新聞
そして、2019年11月30日に入団交渉が行われ、佐々木朗希選手は契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1600万円で契約合意をし、2020年の春季キャンプから一軍に帯同しています。
佐々木朗希が大阪桐蔭を断った理由は?
出典元:webspotiva
佐々木朗希選手は高校進学に際して、花巻東高校や盛岡大付属高校など県内の強豪校の他、超名門の大阪桐蔭高校からも誘いがあったそうです。
また、花巻東高校からは「受験日まで待つ」という、最大限の評価をされています。
佐々木朗希選手が、大阪桐蔭高校のみならず強豪校の誘いを断った理由は、
・公立高校でも甲子園に出れることを証明したい(打倒私立)
・地元の高校から野球で被災地を盛り上げたい
地元の仲間と地元を盛り上げたいという、佐々木朗希選手の「地元愛」が溢れていますね。
大阪桐蔭高校などの強豪校に行けば、甲子園出場も叶ったかもしれませんが、佐々木朗希選手の強い思いが、野球選手としての成長の糧になっていたのだと思います。
佐々木朗希にメジャーが大注目!
出典元:時事ドットコム
佐々木朗希選手は、2022年4月10日のオリックス戦で、日本タイ記録の19奪三振、日本新記録の13者連続奪三振など、球史に残る活躍を披露し、メジャーリーグからも注目が集まっています。
MLBの公式サイトでは、『日本の天才が完全試合で19奪三振』との見出しで特集を組んでおり、「多数のメジャー球団から注目されている」と伝えています。
佐々木朗希選手が記録を出す以前にも、アメリカメディアの『ファンサイデッド(FANSIDED)』でも佐々木朗希選手の剛腕ぶりを紹介しており、「ROUKI SASAKIという名前を覚えておくべきだ」と報じられています。
さらに同記事では、佐々木朗希選手は大船渡高校時代から、「すでに複数のメジャー球団からかなりの注目を浴びていた」としています。
大物代理人であるスコット・ボラス氏もまた佐々木朗希選手について、「お見事だ。誰が1試合19奪三振できるというのだ。信じられない偉業だ。現実離れしている。彼はアメリカでも全国的な注目を浴びた。メジャーリーグの放送でもね」とコメントしています。
出典元:ベースボールチャンネル
菊池雄星選手の代理人を務めたスコット・ボラス氏
佐々木朗希選手自身が、メジャーに進むという意向はしていませんが、原稿のルールでは25歳未満の海外選手は契約が制限されていて、マイナー契約からのスタートになります。
メジャー契約が結べる25歳を故障せず迎えることができれば、総額2億ドル(約250億円)以上の値がつくと言われています。
★佐々木朗希選手と詰め寄り騒動となった白井一行球審に関する記事は、こちらをご覧下さい。
★佐々木朗希選手の家族に関する記事は、こちらをご覧下さい。
★ロッテの松川虎生選手に関する記事は、こちらをご覧下さい。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される佐々木朗希選手を、引き続き注目していきたいと思います。