鈴木猛史の妻が美人で息子が1人!どんな事故だった?現在の仕事は?

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北京パラリンピックのアルペンスキーに出場する鈴木猛史さん

鈴木猛史さんは、これまでに冬季パラリンピックで3つのメダルを獲得しており、直前のパラアルメンスキー・ジャパンパラ大会の回転男子座位で優勝しており、今大会でもメダル獲得が期待されている選手です。

そんな鈴木猛史さんをメンタルからサポートするのは美人の妻と一人息子です。

そこで今回の記事では、

・鈴木猛史の妻・息子
・鈴木猛史の事故
・鈴木猛史の仕事

の3つのポイントに沿って、鈴木猛史さんについて、ご紹介したいと思います。

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鈴木猛史の妻が美人で息子が1人!

鈴木猛史さんは、2016年6月に結婚しています。

鈴木猛史さんの妻は響子さんで、元NHK福島放送局のキャスターで、旧姓は「荒響子(あら・きょうこ)」さんです。


出典元:Instagram@kyokoasu

現在は、仙台のフリーアナウンサーをしており、NHKラジオ第一「マイあさ!」の宮城県リポーターを務める他、司会やMC映像ナレーション子どもたちへの絵本の朗読などで活動しています。

お仕事の時は、旧姓で活動していらっしゃるようですね。

鈴木猛史さんと響子さんの馴れ初めは、響子さんがまだNHK福島放送局のキャスターだった時、福島県出身の鈴木猛史さんが、ソチパラリンピックの男子回転座位で金メダルを獲得しています。

パラリンピックから帰国後、鈴木猛史さんが、響子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組に凱旋出演した際に、意気投合したことがきっかけだそうです。

2016年6月に結婚した鈴木猛史さんには、2年後に息子の愛士(まなと)くんが誕生しています。


出典元:毎日新聞

鈴木猛史さんは、家族の存在が一番のモチベーションと話しています。

妻にメダルを見せたい、息子にとってかっこいいお父さんでいなくちゃいけないということがモチベーションになっています。

独身の時はレースのスタート時に応援してくれる人たちの顔が浮かんだんですが、今は息子や妻の顔を思い出し、ここで逃げたらかっこ悪いと自分に言い聞かせています。

引用元:ブリジストン

北京パラリンピックで優勝して、是非、響子さんと愛士くんに金メダルを見せてあげたいですね。

続いては、鈴木猛史さんはどんな事故に遭ったのかを、見ていきたいと思います。

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鈴木猛史はどんな事故だった?

交通事故で切断


出典元:Instagram@takeshi_suzuki0501

鈴木猛史さんは、小学2年生の時に、交通事故に遭い、両大腿部を切断しています。

鈴木猛史さんは、福島県耶麻郡猪苗代町の出身で、祖父母と両親、2人の妹の7人家族の長男として、活発な幼少期を過ごしていたそうです。

幼い頃から運動が好きで、スイミングやスキーをしていたとか。

そんな鈴木猛史さんに突然の悲劇が襲い掛かったのが、小学2年生の春休み直前の3月13日でした。

学校から帰宅途中、いつもは乗らないバスに何故か友人と乗り、バスから降りた後、バスの前から飛び出してしまい、陰になって見えなかったトラックに轢かれてしまいました。

鈴木猛史さんは、何故バスに乗ったのか?何故飛び出したのか?自分でも理解できないと言います。

トラックに轢かれた後、引きずられ、砂埃とタイヤの焦げた匂いが酷く、視界が開けたら睡魔と喉の渇きが一気に襲い掛かってきたそうです。

眠い、眠い」と連呼する鈴木猛史さんに、近所のおばさんが「寝ちゃダメよ」と声をかけ、救急車の中でも母親にずっと「喉が渇いた」と言い続けていたとか。

病院で麻酔を打たれ、目が覚めた時には既に片足が切断され、大丈夫と思われたもう片方の足も切断せざる終えない状態となり、両足を失うことになりました。

鈴木猛史さん当時のことを、次のように話しています。

はじめは混乱しましたが、ショックを受けた記憶はありません。ただ、小さな子どもに『あの人足がないよ』と言われたり、周りから特別視されることが耐えられなかった。

仕方のないことですが、自分だけがそれを聞くならまだしも、親に聞かせるほど辛いことはなかったですよ。

引用元:WEDGE INFINITY
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学校生活

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Stefan SchranzによるPixabayからの画像

退院後はバリアフリーではなかったため、養護学校への転校を勧められますが、友人らの励ましの声や学校や先生の働きかけで元の小学校に復学しています。

学校側も「障害者として扱いません」ということで、同級生と同じことを一緒にやらされ、マラソン・サッカー・ドッジボールもやってきたと言います。

体力測定では、反復横跳びや立ち幅跳びも、車いすから降りてやらされたとか。

鈴木猛史さんは、「皆と一緒にやってきたという経験が、その後の自分に生きてくるんです」と話しています。

チェアスキーとの出逢い


出典元:日本経済新聞

鈴木猛史さんは、小学3年生の時に、チェアスキーに出逢います。

学校でのスキー教室に参加する時、見学をするのではなく、友達と同じように何かできる方法はないかと、母親が義肢装具士に相談したところ、チェアスキーがあると教えてくれたそうです。

鈴木猛史さんは、当時のことを次のように回想しています。

チェアスキーを初めて写真でみたときにスキー板が1本しかないので、これじゃすぐに転んじゃう、あぶない、なんて思ったんです。でも実際に乗ってみると楽しくて。

引用元:WEDGE INFINITY
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何より、学校の友達と一緒にスキーに行けて、ゲレンデの食堂で一緒にカレーライスを食べれたことがとても嬉しかったそうです。

そんな鈴木猛史さんがパラリンピックを意識し始めたのは、小学4年生の時に、1998年の長野パラリンピックをテレビで観た時だと言います。

チェアスキー出場していた志鷹選手と大日方選手が、パラアルペンスキーで金メダルを獲得し、表彰台に上った姿に感動し、世界の大舞台でメダリストになりたいという夢を持ったそうです。

メダリストからの喝


出典元:パラサポWEB

当時は急斜面が怖くていつも泣いていた鈴木猛史さんは、講演で猪苗代町に来た金メダリストの志鷹選手と会って話す機会があり、「急斜面は怖くないのですか?」と質問します。

すると、志鷹選手が「怖いならやめてしまえ!」と厳しい言葉が返ってきました。

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志鷹選手

その言葉で負けず嫌いの性格の鈴木猛史さんは、「次のスキー教室で絶対に滑ってやる!やめるもんか」と奮起し、滑る事ができたと言います。

キャリアを積んでも、100キロ以上のスピードで難しいコースを滑るのはやはり怖く、そんな時は志鷹選手の言葉を思い出すとか。

鈴木猛史さんは、志鷹選手のあの言葉で強くなれたと話しています。

名前:鈴木 猛史(すずき・たけし)
出身地:福島県耶麻郡猪苗代町
生年月日:1988年5月1日(33歳)
最終学歴:駿河台大学
所属:KYB株式会社
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鈴木猛史の現在の仕事は?


出典元:Instagram@takeshi_suzuki0501

鈴木猛史さんは、福島県立猪苗代高等学校卒業後、駿河台大学文化情報学部へ進学し、大学卒業後は同大学の職員として勤務しながら、競技を続けて来ました。

そして、2015年7月31日付で駿河台大学を退職し、同年8月1日からカバヤ工業(現・KYB)に入社し、経営企画本部広報部に所属しており、ヘッドスポンサーもカヤバとなっています。

KYB株式会社は、東京都港区に本社を置き、自動車部品・鉄道車両部品・航空機部品などや油圧システム装置を製造する日本の企業です。

KYB株式会社は1990年代初頭から、チェアスキーのショックアブソーバーの開発・改良に関わっています。

1998年の長野パラリンピックのアルペン競技強化の為、開発プロジェクトが立ち上がり、日本障がい者スキー連盟アルペンスキーナショナルチームと連携して、チェアスキー用ショックアブソーバー開発を行っています。

2015年からは社会活動の一環として、チェアスキー支援活動を強化し、日本障がい者スキー連盟への協賛をしており、ワールドカップなどでは技術サポートも行っています。

鈴木猛史さんの社内での詳しい仕事内容は分かりませんが、エンジニアと協力して、チェアスキーの製品開発や改良に協力しているのではと思います。


出典元:KYB株式会社

鈴木猛史さんはインタビューで「KYBの社員になって良かったことは何ですか?」の質問に、次のように答えています。

スキーに集中できるようになったことが大きいですね。所属先を変えていなかったら、ここまで戦えなかったと思います。トレーニングだけでなく、用具のことも考えなくてはならないのです。今はいい環境になりました。今後の大きな大会では、応援してくれた人たちのためにもいい成績を残したいと思います。

引用元:レスポンス

★北京パラリンピックのアルペンスキーの他の選手については、コチラの記事をご覧下さい。

いかがでしたでしょうか?

今後も益々の活躍が期待される鈴木猛史さんを、引き続き注目していきたいと思います。

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