鈴木孝幸選手は、アテネオリンピック、北京オリンピック、ロンドンオリンピックのメダリストで、リオオリンピックでも入賞している、ベテランの水泳選手です。
その鈴木孝幸選手には、両親に育児放棄をされて、里子として育てられた生い立ちがあるようです。
そこで今回の記事では、
・鈴木孝幸選手の小松洋さんとの生い立ちが壮絶!
のポイントに沿って、鈴木孝幸選手と小松洋さんとの生い立ちをご紹介していきたいと思います。
鈴木孝幸の両親は育児放棄したの?
鈴木孝幸選手は、1987年1月23日に、静岡県浜松市北区に生まれました。
先天性四肢欠損の障害をもっており、右腕の肘から先がなく、左手は指が二本と短い指が一本あり、右足は根本付近から無く、左足は膝上から無い姿で生まれてきました。
自分が生んだ子どもの姿にショックを受けた両親は、育児を放棄し、鈴木孝幸選手を一人病院に置き去りにして、姿を消してしまいました。
当時、保育園の園長をしていた母方の祖母である小松洋さんが、鈴木孝幸選手を引き取っています。
鈴木孝幸選手のご両親が、現在、どうされているのかの情報は有りませんでした。
次では、鈴木孝幸選手の小松洋さんとの生い立ちを見ていきたいと思います。
鈴木孝幸の小松洋との生い立ちが壮絶!
鈴木孝幸選手の祖母であり、園長である小松洋さんは、孫の鈴木孝幸選手を「養子」ではなく「里子」として、「鈴木」という違う名前のままで育ててきました。
小松洋さんがわざと違う姓で育てた理由は、小松洋さんがいなくなった後も、鈴木孝幸選手が「将来自立して生きていくことを目標とする」ためだったそうです。
小松洋さんは、「水泳が一番自立心を養えるスポーツ」だと考え、幼稚園に入る前から鈴木孝幸選手は水泳を始めています。
小松洋さんは、鈴木孝幸選手を育てていくために園長を辞め、小学校へ入学する時のことを考えて、自動車普通免許も取得しています。
学校への送迎は小松洋さんがしてきましたが、それまでも「普通の子並に育ててきた」ので、小学校も受け入れのために、階段・トイレ・椅子・机など一切の設備の変更はしなかったそうです。
鈴木孝幸選手は、大きな障害があるにもかかわらず、小さな頃からやんちゃで負けず嫌いだったそうです。
小松洋さんは、運動会では、両手に靴を履かせ、何の気後れもせず健常者の子どもと一緒に、色々な競技に参加する鈴木孝幸選手の姿を、ホームビデオの収めていらっしゃいました。
また、小学校の卒業式で転倒してしまい、なかなか立ち上がれなかった鈴木孝幸選手を、冷静にビデオで撮影をされています。
一生懸命に辛抱しながら耐えてきたのは、鈴木孝幸選手一人だけではなく、小松洋さんもまた、信念と辛抱強さで鈴木孝幸選手を育て上げて来られました。
鈴木孝幸選手は18歳の時に、自己推薦制度で早稲田大学教育学部に入学と共に水泳部に所属します。
毎日怠る事のない練習の結果、2008年の北京パラリンピックでは、50m平泳ぎで金メダルを獲得し、祖母・小松洋さんへの恩返しとなりました。
鈴木孝幸選手が20歳を迎えると里子制度は終了となり、小松洋さんは役所に里子の終了届を出しています。
大学卒業後は、2009年に株式会社ゴールドウィンに入社し、スピード事業部に勤務しています。
その後も鈴木孝幸選手は、ロンドンオリンピックで50m平泳ぎで銅メダル、150m個人メドレーでも銅メダルを獲得する、功績を残しています。
小松洋さんは、現在は87歳となりましたが、元気にお過ごしのご様子が、鈴木孝幸選手のインスタグラムに投稿されていました。
鈴木孝幸選手の小松洋さんとのこれまでの生い立ちには、本当に想像を絶するいくつもの戦いがあったかと思うと、その努力が実って欲しいという気持ちでいっぱいです。
(参考情報:自立へのストローク)
いかがでしたでしょうか?
今回の記事では、鈴木孝幸選手のご両親や、小松洋さんとの生い立ちについてご紹介してきました。
今後も活躍が期待される鈴木孝幸選手を、引き続き注目していきたいと思います。