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2014年7月に長崎県佐世保市で発生した、佐世保高1同級生殺害事件で逮捕された徳勝もなみ。
徳勝もなみは、クラスメイトだった松尾愛和さんを殺害した上、遺体の一部を切断しており、この残忍な事件は世間に衝撃と波紋を広げました。
その徳勝もなみのその後について気になる人が多いようです。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、徳勝もなみさんについてご紹介したいと思います。
徳勝もなみの少年院の出所は、2024年8月下旬とされています。
日本の少年院法では、犯罪傾向や心身の状況によって収容する少年院が決まり、原則の収容期間は20歳までですが、精神に著しい障害がある場合、最大26歳になるまで収容期間を延長することが可能です。
しかし、法務省によると、実際に23歳を超えて継続したケースはないとみられています。
徳勝もなみは6年前に23歳になるまでの継続が決定され、2021年7月で23歳になるのを前に26歳までの収容継続が認められていました。
徳勝もなみは2014年7月に殺人容疑で逮捕され、翌年7月に家裁が「刑罰による抑止効果はなく、長期間の治療教育が期待できる」と、特性に応じた治療教育が期待できる第3種少年院に送致する保護処分を決定していました。
その理由について裁判長は、徳勝もなみは共感性が欠如した重度の「自閉症スペクトラム障害(ASD)」であり、他者に攻撃的な傾向がある素行障害も併発と指摘していました。
徳勝もなみの医療少年院の収容期間は最大26歳までですが、少年院を出た後も生涯に渡って対応を継続する必要があるとされています。
また、担当の精神科医は「この子を精神科から出すのは危険」と述べ、担当刑事は「この子と2人でいると変な汗をかく」と話しているとのことです。
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徳勝もなみは保護観察処分を受け、現在は第三種少年院(旧・医療少年院)に収容されています。
ただ、徳勝もなみがどこの少年院に収容されているかは、公に知らされていません。
しかし、第三種少年院は日本には2ヵ所しかなく、京都府宇治市にある京都医療少年院か、神奈川県相模原市にある関東医療少年院のみとなっています。
また、確証はありませんが、ネット上では徳勝もなみは京都医療少年院に収容されているとの情報がありました。
徳勝もなみが出所後にどこへ行くのかは不明ですが、家族が身柄を引き取る可能性が高いようです。
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徳勝もなみの家族は、父親・母親・兄の4人家族で、後に父親の再婚により継母がいます。
徳勝もなみの父親の徳勝仁さんは、地元の佐世保市内で有名な弁護士で、県内最大手の法律事務所を経営し、大手通販ショップ「ジャパネットたかた」の顧問弁護士を務めていました。
また、弁護士としてだけでなく、スピードスケート選手としても活躍していました。
徳勝もなみの母親の宏子さんは、東京大学卒業後、地元の放送局に勤務し、市の教育委員も務めるなど教育活動に熱心でしたが、徳勝もなみが中学生の時にすい臓癌で亡くなっています。
そして、徳勝もなみの兄・丈さんは幼少期から優秀で、早稲田大学法学部を卒業し、2022年から早稲田リーガルコモンズ法律事務所で弁護士を務めています。
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このようにエリート一家に育った徳勝もなみですが、2013年10月に実母が亡くなった後から不登校が続き、2014年3月には寝ていた父親を金属バットで殴打し、精神科に通院を始めました。
その医師から「同じ家で寝ていると命の危険がある」と助言された父・仁さんは、同年4月から徳勝もなみを事件現場となるマンションで一人暮らしをさせていました。
さらに、翌5月には父・仁さんは再婚しましたが、7月26日の事件発覚後から世間から大バッシングを受け、事件から約2ヵ月後の2014年10月に、自宅で首をつり自殺をしています。
徳勝もなみの継母・素さんは、資産家の令嬢と言われており、徳勝仁さんとは婚活パーティーで知り合い結婚に至りました。
夫亡き後は「徳勝もなみを支える」と言って、離婚せずに彼女の帰りを待っており、また、息子・丈さんの弁護士になる夢を叶えるために、自分の財産を整理して学費や生活費を1人で工面したそうです。
両親が亡くなった今、出所してくる徳勝もなみの身柄を引き取るのは、継母・素さんか兄・丈さんになるのでしょうね。
いかがでしたでしょうか?
以上、徳勝もなみについてご紹介いたしました。