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2022年度後期のNHK連続テレビ小説『舞い上がれ』に出演する、関ジャニ∞の横山裕(よこやま・ゆう)さん。
横山裕さんは、福原遥さんが演じるヒロインの兄・岩倉悠人役に抜擢されました。
そんな横山裕さんの生い立ちは、苦労の多いとても大変な人生だったそうです。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、横山裕さんの生い立ちについて、ご紹介したいと思います
横山裕さんは、大阪府大阪市此花区出身、1981年5月9日生まれの現在41歳で、男3人兄弟の長男です。
横山裕さんが3歳の時に両親が離婚し、5歳の時に母親が再婚しますが、義父に馴染めなかったため、団地の2階上にすむ祖父母の家で、一時期暮していました。
横山裕さんが小学5年生の時に祖父の体調が悪くなり、祖父母、両親、2人の弟と7人で一つ屋根の下で暮しますが、義父とは上手くいかなかったようです。
中学2年生の時、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送り、中学3年からジャニーズに所属しています。
しかし、中学卒業後は実家を離れて建設会社に就職し、がれき類を片づけたり、足場を組んだりする肉体労働をしていました。
そのため、ジャニーズJr.の仕事でテレビ局入りする際は、他の子は制服姿だったのに対し、横山裕さんは建設現場帰りのニッカポッカ姿で通っていたとか。
さすがにスタッフから「ニッカポッカはまずいよ。ジャニーズは夢を売る仕事だから。今までのジャニーズのセオリーでそれはダメ」と、たしなめられたため、駅のトイレで私服に着替えていたそうです。
横山裕さんは建設会社でも一生懸命働いていたため、上司にも気に入られ、ジャニーズの仕事が軌道に乗り、建設会社を退職する際には、「芸能界でアカンかったら、いつでも戻って来いよ」と暖かく送り出してくれたといいます。
横山裕さんさんその建設会社について、「仲のいい同じ年の子もいて楽しかった。とても居心地のいい職場でした」と語っています。
横山裕さんは23歳の時、関ジャニ∞としてデビューし、2015年には同じメンバーの大倉忠義さんと共に、高等学校卒業程度認定試験に合格しています。
先述の通り、横山裕さんの実の父親と母親は、3歳の時に離婚をし、5歳の時に母親は再婚しています。
その再婚相手の名前が『横山さん』という人で、義父の名前が現在の名前になったそうです。
ある日、義父から突然「今日からお父さんと呼びなさい」と言われた横山裕さんは、衝撃的で全然呼ぶことができず、「はよ呼べ」と頭をどつかれたといいます。
母親と義父は初めは幸せにしていましたが、母親はよく泣いていて、義父の怒号がよく聞こえてきたとか。
母親は仕事を掛け持ちして働き、横山裕さんも2人の弟を養うために、中学卒業後、建設会社へ就職しています。
横山裕さんが建設会社で働いていた頃、母親がガンを告知されたことがきっかけで、母親と義父の関係がギクシャクしてしまい、両親は離婚をしています。
離婚後、弟たちは誰が面倒をみるのか?となり、児童養護施設に預けています。
横山裕さんの義父は存命ですが、横山裕さんは「口にするのも怖い。ずっと避けている。横山のおっさんとはずっと何年も会っていない。ちょっとまだ許せていない部分もある」と話していました。
しかし、NHKスペシャル『令和家族 幸せ探す人たち』に出演した横山裕さんは、番組で家族と離れて里親と暮らす少年を取材したことで、心境の変化が現れたそうです。
俺も2人目のお父さん(義父)とケンカして会ってないし、『オカンに謝ってほしい』と思ったことがある。でもオトン(義父)もつらい思いをしているはず。俺に謝ったらオトンも気持ちが楽になるのでは。謝らせてあげたほうがいいのかなって。
引用元:FLASH
そしsて、横山裕さんは、「何かをやる時って覚悟がいる。向き合いたいなと思う」と、今後、義父との関係を見直す可能性もあることを示唆していました。
横山裕さんが29歳だった2010年5月16日に、母親は虚血性心疾患のために急死しています。
横山裕さんの母親は、地元のスーパーマーケットに買い物に行った際、店内で倒れ、すぐに救急車で病院に搬送されています。
しかし、病院の到着した際には既に心停止状態で、懸命な治療が施されましたが、後に死亡が確認されました。
当時、横山裕さんは全国ソロツアー中で、突然の母親の訃報に大きなショックを受けたものの、「仕事に穴は開けられない」と、予定通りに出演しています。
クライマックスでは毎回、母への思いを歌にした自作の『オニギシ』を歌っていますが、この日は途中で涙が溢れて、歌えなかったそうです。
『オニギシ』は横山裕さんが幼い頃、おにぎりと言えず「オニギシ」と言っていたことを歌ったもので、女で一つで育ててくれた母親への思いが込められているとか。
翌日参加予定だった青森での『関ジャニ∞のジャニ勉』のロケは、安田章大さんと丸山隆平さんに任せて、横山裕さんは母親の元へ駆けつけています。
その日の夜に行われた通夜に参列し、18日の告別式には関ジャニ∞のメンバーも全員参列しています。
横山裕さんは、翌19日から大阪での『関ジャニ∞のジャニ勉』の収録から、仕事に復帰しています。
横山裕さんには腹違いの、6歳下の弟・勤(つとむ)さんと、8歳下の弟・充(みつる)さんがいます。
両親が離婚した後、横山裕さんは2人の弟を、児童養護施設に預けていました。
母親が亡くなった際、横山裕さんは、「弟たちが一人前になるまで面倒を見る」と宣言しています。
そんな中、母親が亡くなった時、涙も見せず一番気丈に振舞っていた勤さんが、葬儀の1週間後に倒れています。
その時、横山裕さんの元に電話をかけてきて、「病院の先生が、おかん死んだって、意味分からんこと言っている」と、言い始めたそうです。
母親の死がショックで記憶が飛んでしまったようで、勤さんは『解離性健忘症』と診断され、2年間記憶喪失になっていました。
母親の死後、横山裕さんは生まれ育った大阪市に家を借り、勤さんと充さんを呼び寄せ、3人で一緒に暮らし始めます。
新しい世界を弟たちに見せてあげようと、色々な人に会わせたり、旅行に行ったりしたそうです。
多忙であまり家にいれなかった横山裕さんですが、帰った時には一緒にスーパーマーケットに行き、「好きなの選べ」と言って、食材を一杯買い込んでいたといいます。
勤さんの記憶喪失は徐々に回復し、出会いを見つけて、現在は結婚して幸せに暮らしているそうです。
勤さんは、「結婚式はお金がかかるからしない」と言い、お嫁さんも「結婚式はあげなくてもい、一緒に幸せでいれればそれでいい」と話していました。
しかし、横山裕さんが偶然ゼクシィを見つけると、たくさんチェックがされていたとか。
結局、横山裕さんが費用を用意してあげて、結婚式をすることができたそうです。
また、充さんは向上心が芽生え税理士という目標を持ち、大学へ通うための学費も横山裕さんが全額出しています。
卒業後も充さんは、国家資格である税理士試験に向けて、必死で勉強し見事に合格し、現在は税理士となっています。
横山裕さんの稼いだお金の管理は、弟の充さんに任せているそうですね。
横山裕さんは波乱万丈な人生を送ってきましたが、今は仕事も順調で幸せな時を過ごしているようですね。
★NHK連続テレビ小説『舞い上がれ!』で妹役を演じる福原遥さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな横山裕さんを、引き続き注目していきたいと思います。