アラン・ドロンの妻は日本人!?出会いは映画撮影所!子供は何人いる?

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世界的な二枚目俳優として知られる、フランスの俳優のアラン・ドロンさん

アラン・ドロンさんは、その端正な顔立ちや仕草などから、日本でも多くの人々を魅了してきました。

そんなアラン・ドロンさんの妻はどんな女性なのか気になりますよね。

そこで今回の記事では、

・アラン・ドロンの妻
・アラン・ドロンと妻の出会い
・アラン・ドロンの子供

の3つのポイントに沿って、アラン・ドロンさんについてご紹介したいと思います。

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アラン・ドロンの妻は日本人!?

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ヒロミ・ロランさんとアラン・ドロンさん
出典元:デイリー新潮

アラン・ドロンさんの妻は事実婚状態であった、日本人女性のヒロミ・ロランさん(67歳)とされています。

アラン・ドロンさんの唯一の元妻は、フランスの女優ナタリー・ドロンさん(故人)ですが、2人は離婚しており、その後、女優ミレーユ・ダルクさん(故人)、次いでオランダ人モデルのロザリー・ファンブレーメン(57歳)と事実婚関係にありました。

しかし、アラン・ドロンさんとロザリーさんは、2001年に関係を解消しています。

ヒロミ・ロランさんは過去17年、アラン・ドロンさんとフランス中部ドゥシーの邸宅で生活を共にしてきました。

そのヒロミ・ロランさんの日本名は不明ですが、1957年に大阪府大阪市で生まれ、府立高校を卒業した後、1年間の準備期間を経て、フランス語を学ぶ目的で、1976年10月にフランスへ渡っています。

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ヒロミ・ロランさんは、最初にソルボンヌ大学のフランス語コースに入学して語学を身に付け、2年後には難関大のパリ第10大学社会学部へ入学

大学で「民族学映画」を学んだのがきっかけで、ヒロミ・ロランさんは映画監督になるのが目標となり、2年間でDEUG(一般教育課程修了証)を取得し、その後、私学の映画学校へ2年間通って映画制作の基礎を学んでいました。

ヒロミ・ロランさんは映画学校卒業後、1985年に見習いとして映画監督業のキャリアをスタートさせ、4年ほどで第2助監督に昇進し、2006年までにテレビを含め30本近い作品に携わっています。

また、プライベートでは、映画界へ入る前に映画や芸能界とは無縁の男性と結婚していましたが、30年ほど前に離婚しています。

ただ、ヒロミ・ロランさんは、映画界でロランの姓で通っていたため、今でも名前を変えずに使っているとのことです。

名前:ヒロミ・ロラン
出身地:大阪府大阪市
生年月日:1957年(67歳)
前職:映画監督業

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アラン・ドロンと妻の出会いは映画撮影所!

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出典元:デイリー新潮

アラン・ドロンさんと事実婚妻のヒロミ・ロランさんの最初の出会いは、1989年12月のブローニュ映画撮影所でした。

アラン・ドロンさんは映画『ダンシング・マシーン』に、プロデューサー兼主演俳優として参加し、ヒロミ・ロランさんは第2助監督を務めていました。

ヒロミ・ロランさんはその時のアラン・ドロンさんの印象を、次のように話しています。

アランは仕事に対して非常に真摯で、この時も準備中のスタッフへあいさつに来てくれました。彼のまなざしは力強く、体に“ビビッ”と火花が走る感覚を覚えたほど。フランス語で言う『クー・ド・フードル』(雷が落ちた)ですね。女性の本能なのか、瞬間的に“あ、これは危ない!”と感じたのを覚えています。(引用元:デイリー新潮)

この時は何もなく、数年が経過した1990年3月に、ヒロミ・ロランさんはアラン・ドロンさんから「週末に撮影所に来るように」と言われたそうです。

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週末は完全に休止する撮影所に指示通りに足を運んだヒロミ・ロランさんは、アラン・ドロンさんの控室へ向かうと彼が待っており、「僕からの誕生日祝いだ」と言ってディープキスを贈られました

しかし、その後ヒロミ・ロランさんは、アラン・ドロンさんのアプローチを何度も断ってきましたが、ある日思いつめた表情のアラン・ドロンさんから「食事に誘いたい。これが最後だ。もし、君が断るなら、今後君と会うことは決してない。」と告げられたそうです。

ヒロミ・ロランさんはこの時初めて誘いをOKして2人で食事をし、店を出てからはアラン・ドロンさんの住むアパルトマン(集合住宅)へ向かいました。

ヒロミ・ロランさんはこの時は「一晩だけのアバンチュールで終わるんだ」と思っていましたが、この日を境に2人の関係は“恋人”へ発展しました。

ところがその後、アラン・ドロンさんと事実婚関係だったモデルのロザリーさんとの関係が続いていたことが発覚し、一旦破局を迎えています。

しかし、2001年にロザリーさんと別れたアラン・ドロンさんは、ヒロミ・ロランさんに頻繁に電話をかけて「仕事を辞めて、ドゥシーに来て欲しい。」と懇願したそうです。

そして、ヒロミ・ロランさんはアラン・ドロンさんと暮らすために、49歳の時に映画監督になる夢を諦め仕事も辞め、以来、17年に及ぶ事実婚を続けて来たとのことです。

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アラン・ドロンの子供は何人いる?

子供は3人

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出典元:フィガロジャポン

アラン・ドロンさんには3人の子供がいます。

◎長男:アントニー・ドロンさん(59歳)
◎長女:アヌーシュカ・ドロンさん(33歳)
◎次男:アラン=ファビアン・ドロンさん(30歳)

長男アントニーさんは、最初の妻であるナタリー・ドロンさんとの子供で、長女アヌーシュカさんと次男アランさんは、事実婚関係だったロザリー・ファン・ブレーメンさんとの子供になります。

そのため、ヒロミ・ロランさんとの間には子供はいません

長男のアントニー・ドロンさんは、フランスの俳優として活躍しており、2006年に結婚して2人の子供を授かりましたが、その後離婚して、シングルファーザーとして2人の娘を養育しています。

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アントニー・ドロンさんとアラン・ドロンさん
出典元:フィガロジャポン

長女のアヌーシュカ・ドロンさんも女優として活動しており、テレビ映画や舞台で父親と共演しています。

彼女は2020年2月にボーイフレンドとの子供を出産しており、2021年にボーイフレンドと結婚しています。

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アヌーシュカ・ドロンさんとアラン・ドロンさん
出典元:デイリー新潮

そして、アラン・ドロンさん次男のアラン=ファビアン・ドロンさんは、モデルや俳優として活動しています。

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出典元:デイリー新潮

彼は2017年から2020年までフランスの女優カプシーヌ・アナヴさんと交際していたとのことです。

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子供らが刑事告訴

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出典元:デイリー新潮

アラン・ドロンさんの子供らが、父親と同居するヒロミ・ロランさんを刑事告訴しています。

アラン・ドロンさんの3人の子供は、2023年7月に連名でヒロミ・ロランさんを、「モラル・ハラスメント」「信書の窃取」などの容疑で刑事告訴した上で、ドゥシーの自宅から追い出しています。

アランドロン家の代理人を務める弁護士は、次のような声明を公表しています。

ヒロミは策略や脅迫を用いて、アラン・ドロンを親戚や友人、家族から孤立させ続けた。彼女はドロンの電話での会話や個人的なメッセージを常に監視している。時にはドロンの代わりにそれらに応答し、彼のふりをして郵便物を横取りすることもあった。ヒロミは子どもだちが、これまでにように定期的に父親に会いに来ることを妨げている。彼女は専横的で、脅迫的な態度で、さらにドロン氏の飼い犬を決して容認できない方法で虐待している。(引用元:デイリー新潮)

これについてヒロミ・ロランさんは「子供たちの主張は全て作り話で、何の根拠もないことばかりです。」と説明しています。

今年1月に検察はヒロミ・ロランさんを不起訴処分にすると発表し、ヒロミ・ロランさんの主張が認められましたが、今でも子供たちはヒロミ・ロランさんを「父の金目当てで近づき、結婚するよう圧力をかけ続けた。」と非難しているそうです。

ヒロミ・ロランさんは「アランと一緒に生きたいと思っただけ。17年間、彼の望んだとおりに仕事を辞めていました。家族、友人、若い頃の夢もすべて犠牲にして、ただ、彼が健康で幸せでいられるよう、愛し続けただけなんですけどね。」と話しています。

名前:アラン・ドロン
出身地:フランス
生年月日:1935年11月8日(88歳没)
身長:178㎝
職業:俳優