*アフィリエイト広告を利用しています。
シリアの歴史において長期間にわたり影響力を持ち続けてきたアサド政権。
そのアサド政権による長年にわたる独裁体制が、シリアの反体制派の攻撃を受け、2024年12月7日に崩壊に至りました。
そんなアサド政権はどんなものだったのか、崩壊した理由やシリアの今後について、多くの人々が関心を示しています。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、アサド政権とはについて簡単に説明していきたい思います。
アサド政権とはシリアの政治体制を指しています。
アサド政権は、1970年から30年にわたり独裁的な政権運営を続けてきた父親の死去に伴い、2000年に34歳で大統領になったバシャール・アサド大統領が、強権的な政治を続けて来ました。
アサド政権の特徴は次の通りです。
1.独裁体制:アサド政権は強権的な独裁体制を維持し、反体制派や異議を唱える者に対して厳しい弾圧を行ってきました。
2.内戦と人権侵害:2011年に民主化運動「アラブの春」の影響を受けて、シリア国内で反政府デモが発生し、アサド政権がこれを武力弾圧したことをきっかけに、反政府勢力との激しい内戦に発展。
この内戦により多くの人々が犠牲となり、難民が発生しました。
3.国際的な孤立:アサド政権は国際社会からの非難を受け、経済政策や外交的孤立が進みました。
4.経済問題:内戦による経済的な打撃も大きく、シリア経済は深刻な状況に陥り、インフラの破壊や失業率の増加、物価の高騰が問題となりました。
このようにアサド政権は、シリアの政治、経済、社会に大きな影響を与え続けてきましたが、2024年12月7日に崩壊しました。
★アサド大統領の家族に関する記事は、こちらをご覧ください。
《広告の下にコンテンツが続きます》
アサド政権が崩壊した理由は、シリアの反政府勢力が首都ダマスカスを制圧したためで、この動きにより、アサド大統領は国外に逃亡したのが直接のきっかけです。
反政府勢力はこれまでアサド政権軍に劣勢でしたが、11月末から突然進撃を始め、ついにアサド政権を崩壊に追い込みました。
一気に状況が進んだ背景には、アサド政権を支えるイランやロシアの支援が弱まったことにあります。
ロシアはウクライナとの戦いにかかりっきりで、最近はシリアへの支援が弱まっていました。
さらに、イランはシリアの隣のレバノンに拠点を置く組織「ヒズボラ」を使って軍事支援を行っていましたが、最近、ヒズボラはイスラエルとの戦いで壊滅的なダメージを負いました。
そのタイミングでシリアの反政府勢力は好機とみて攻勢を強化し、一気にアサド政権を倒したということです。
《広告の下にコンテンツが続きます》
アサド政権の崩壊により、シリアの今後は不透明であり、いくつかのシナリオが考えられます。
1.民主化の可能性:一部の専門家は、アサド政権の崩壊がシリアの民主化への道を開く可能性があると見ています。
反政府勢力が新たな政府を樹立し、民主的な選挙を実施することで、シリアが自由で公正な社会に向かうことが期待されています。
2.混乱と不安定:一方で、政権崩壊後の権力の空白が、新たな混乱を招く可能性もあります。
反政府勢力の中は色んな勢力に分かれており、アサド政権を倒すまでは目的が一緒でしたが、今後は主導権争いのため内戦が再熱するリスクがあり、特に宗教的・民族的対立が激化する恐れがあります。
3.国際的な影響:シリアの不安定化は周辺国や国際社会へも影響を及ぼす可能性があります。
難民問題やテロリズムの拡大が懸念されており、国際社会はシリアの安定に向けた支援を強化する必要があります。
ロシアやアメリカの今後の関与の可能性については、ロシアはアサド政権と一緒になって反体制派と戦っていたため手を出しにくい状況です。
アメリカについても、現在、首都ダマスカス入っている反政府勢力が、アルカイダ系組織ということで、余り付き合いたくないということで、大国が介入しにくい状況となっているとのことです。
シリアの未来は、国内外で多くの要因に左右されるため、予測が難しい状況のようです。