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1980年代に活躍した日本の女子プロレスラーのダンプ松本さん。
そのダンプ松本さんは当時、クレーン・ユウさんとヒール軍団『極悪同盟』を結成し、女子プロレス史上最大の悪役として一時代を築いてきました。
そんなダンプ松本さんには壮絶な生い立ちがあるようです。
そこで今回の記事では、
・ダンプ松本の学歴
・ダンプ松本の現在
の3つのポイントに沿って、ダンプ松本さんについてご紹介したいと思います。
ダンプ松本の生い立ちが衝撃!
ダンプ松本さん(本名:松本香)は、1960年11月11日に埼玉県熊谷市で生まれました。
ダンプ松本さんの幼少期は本当に貧しい家庭で育っており、お風呂のない4畳半一間のアパートに父親・母親・妹の4人で暮らしていました。
彼女の父・五郎さんは酒、バクチ、女と遊びの限りを尽くし、お金は家に一切入れず、たまに家に帰って来ては酔っ払って母親に暴力を振るっていたそうです。
一方の母・里子さんが布団の綿を詰める内職で細々と家計を支えてきましたが、食事のおかずはコロッケ1個や、家で育てた人参の天ぷらといった慎ましいものだったと言います。
ダンプ松本さんは、大好きな母親を苦しめる父親を「どうにかしてやりたい」という思いから、強くなることを決意しプロレスラーの道を志すようになりました。
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ダンプ松本の学歴は大宮開成!?
ダンプ松本さんは、熊谷市立富士見中学校を経て、私立大宮開成高校を卒業しています。
中学時代のダンプ松本さんは、バスケットボール部や水泳部に所属し、水泳では毎年県大会まで進出していました。
そして、ダンプ松本さんは中学2年生の時、「全日本女子プロレス」の中継で、当時人気を誇ったマッハ文丈さんを見て、表現しようのない衝撃に襲われたと言います。
その後、中学3年生で進路を考えなければならなくなった時期に、女子プロ入門を担任に訴えますが、なかなか道は開けず、ダンプ松本さんは当時女子校だった大宮開成高校へ進学しました。
高校では「一から始めて最後にレギュラーになれる部を選ぼう」と考えたダンプ松本さんは、アーチェリー部に入部し、インターハイにも出場を果たし、3年時には部長を務めていたそうです。
その頃、「ビューティーペア」が空前のブームを巻き起こしており、ダンプ松本さんは高校の同級生5人と親衛隊を作り、厳しい部活の合間を縫って応援に行っていたと言います。
そんなダンプ松本さんは、高校卒業後は川口市内のベーカリーに住み込みで就職が決まっていましたが、就職を1週間後に控えた1979年4月1日にオーディションに合格し、夢だった女子プロへの一歩を踏み出しました。
ところが、ダンプ松本さんはプロテストにパスできず、一時期は全日本女子プロレスの営業車の運転手をしていたこともあったそうです。
その後、1980年に「全日本女子プロレス」で本名の松本香でプロデビューし、1984年に「極悪同盟」を結成し、「クラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)」との抗争で一躍有名になりました。
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ダンプ松本の現在は引退した?
ダンプ松本さんは1988年に現役を引退しましたが、タレント活動を経て、2003年に現役復帰し、現在は自主興行「極悪祭」を開催しています。
ダンプ松本さんは、1988年1月4日に後楽園ホールでの試合後、突然引退を発表しました。
引退の理由としては、「全日本女子プロレス」との関係悪化や、ヒール役としての活動が自分や家族に危険が及ぶ可能性があったこと、そして、芸能事務所へ移籍を考えていたことが挙げられています。
その後、ダンプ松本さんは、本物のヒールを復活させるために「極悪俱楽部」を結成し、現在も現役で活動を続けています。
現在63歳のダンプ松本さんですが、「自分は一日でも長く続けるだけ。ジャガー横田さんが引退したら引退しようと思っていたけど、『引退しない』というので、まだまだ続けます。」と話しています。
★かつてライバル関係だった長与千種さんとライオネス飛鳥さんの若い頃に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなダンプ松本さんを、引き続き注目していきたいと思います。