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1998年1月14日に起きた群馬一家殺害事件。
その殺人の疑いで重要指名手配されているのが小暮洋史(こぐれ・ひろし)容疑者です。
そんな小暮洋史容疑者はどんな生い立ちなのか気になりますよね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、小暮洋史容疑者についてご紹介したいと思います。
小暮洋史容疑者は群馬県前橋市の出身、1969年7月31日生まれの現在54歳で、犯行当時も前橋市に住んでいました。
小暮洋史容疑者は群馬工業高校を卒業しており、高校時代は友達もおらず目立たない存在だったとか。
高校卒業後、前橋市内の運送会社「三山運輸」でトラック運転手として勤務していました。
小暮洋史容疑者の性格は、無表情で無口な上に、後輩の面倒見も悪かったそうですが、仕事は真面目でトラブルなどは一切なかったということです。
そんな小暮洋史容疑者は、商品運搬のために訪れた高崎市内のドラッグストア「イイヅカ薬品」で、同店に勤務していた女性に一目惚れし、その後、約2年間に渡りストーカー行為を行っていました。
小暮洋史容疑者は1998年1月4日の仕事始めに日に会社を辞めており、そして、同年1月14日に知り合った女性の両親と祖母を殺害し、「群馬一家殺人事件」の犯人として重要指名手配されています。
小暮洋史容疑者の特徴は、身長170㎝の痩せ型で顔は面長で、手の匂いを嗅ぐ、爪を噛む癖があるそうです。
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小暮洋史容疑者が逃走に使用した車は黒色の日産シルビアで、ナンバーは「群馬33も8670」でした。
事件後の1998年1月21日深夜には、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で、小暮洋史容疑者のシルビアの通行が確認されていました。
そして、群馬県みどり市笠懸町周辺でのシルビアの目撃情報を最後に、現在まで行方に繋がる有力情報は得られていないそうです。
小暮洋史容疑者の身柄はおろか、逃走車両にシルビアも見つかっていないため、埋めたか海に投棄した可能性も考えられます。
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小暮洋史容疑者の現在の生死については、公的な情報がないため確認することが出来ない状況です。
小暮洋史容疑者の足取りは完全に途絶えたままで、小暮洋史容疑者の銀行口座には預金があったものの全く動きがないそうです。
群馬県警は逃走車ごと自殺を図った可能性も視野に入れ、群馬県内外の沼・湖など約20か所を捜索しましたが、本人も車も見つかっていません。
指名手配犯が捕まらない理由はいくつかあり、次に主な理由を挙げてみました。
理由①については、指名手配犯の公開されている顔画像や似顔絵が実際の容姿と異なる場合、犯人を見つけることが困難になります。
また、時間が経つにつれて老化や整形により顔が変わっている可能性があります。
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理由②については、犯人が事件後に自殺していたり、他の人の殺害されたりして、その遺体が見つからない場合、指名手配犯が見つからない理由となります。
理由③については、指名手配犯が国外に逃亡してしまうと、日本の警察の捜査は行き詰まることが多く、これは海外では日本の指名手配犯を見つけても日本に引き渡す義務がないからのようです。
そして、理由④については、一般的に人込みの中で知り合いとすれ違っても気づかれないことが多く、それがニュースやポスターなどで一瞬しか顔を見たことがない指名手配犯であれば、さらに気づくことは困難になります。
家族を殺害された女性は「もうなくなった命は帰ってこないので、逃げ回ってないで、しっかりと法に裁かれて罪を負ってください」と訴えています。
この事件の今後の動向を引き続き注目していきたいと思います。