*アフィリエイト広告を利用しています。
『北の国から』を生み出した脚本家・倉本聰さんが、2026年9月18日に91歳で亡くなりました。倉本財団が発表した死因は多臓器不全です。
晩年には肺の不調を本人が語る一方、富良野で観客と交流し、創作への思いを伝え続けていました。
この記事では、病気について確認できる範囲と晩年の活動を時系列で整理します。家族・子供に関する公表情報や、長年愛されてきた代表作も振り返り、倉本さんが遺した歩みをたどります。
倉本聰さんの死因・病気と晩年

倉本聰さんの死因は多臓器不全です。倉本財団は、2026年9月18日に自宅で亡くなったと発表しました。91歳でした。
亡くなる約2カ月前には、肺の不調を本人が取材で語っています。ただし、病名や死因との関係は明らかにされていません。晩年の倉本さんはどんな日々を過ごしていたのでしょうか。公式発表と直近の記録から、体調と富良野での活動をたどります。
死因は多臓器不全|亡くなった日と場所
倉本聰さんは2026年9月18日の夕方、多臓器不全のため自宅で亡くなりました。享年91です。倉本さんが理事長を務めた倉本財団の公式発表で明らかになりました。
訃報が公表されたのは9月28日です。「18日」と「28日」は、それぞれ亡くなった日と発表日を指します。亡くなった場所について、財団は「自宅」と発表していますが、最期の詳しい様子には触れていません。
葬儀は家族の意向により、近親者だけで執り行われました。作品を愛した人たちとの「お別れの会」は、11月3日に富良野演劇工場で予定されています。参加方法などの詳細は、決まり次第、公式サイトで案内されるとのことです。
死因として公表されたのは多臓器不全です。一方、どのような病気を患っていたのか、亡くなるまでに体調がどう変化したのかについては、公式発表からは分かりません。次に、倉本さん自身が夏の取材で語ったことを確認します。
2026年夏に語った肺の不調と体調
倉本聰さんは2026年7月、肺に不調があることを取材で明かしていました。7月27日、北海道富良野市にある森の中のアトリエで、『週刊文春』のインタビューに応じています。
取材記事によると、当日は鼻に酸素吸入のチューブを着け、ときおり息苦しそうな様子を見せていました。それでも倉本さんは、『北の国から』の着想や、長年暮らしてきた富良野の自然について語っています。体調への負担がうかがえる場面と、自分の考えを伝える姿の両方が記録されていました。
では、肺の病名は何だったのでしょうか。確認できる取材記事と財団の発表には、具体的な病名や治療経過は示されていません。酸素吸入をしていたことから病名を推測したり、肺の不調が多臓器不全に直結したと判断したりすることはできません。
晩年の倉本さんを知る手がかりは、体調についての取材だけではありません。その翌月には、富良野で長く続けてきた催しが大きな節目を迎えました。
富良野で続けた活動と観客との交流

倉本聰さんは晩年も、富良野で作品を受け取ってくれる人たちとの交流を続けていました。富良野演劇工場で2017年から開かれていた「倉本聰プライベートライブラリー」は、2026年8月29日に第90回を迎えます。この回をもって、本人の意向により催しは一区切りとなりました。
倉本財団が公開した参加者へのメッセージで、倉本さんは作品づくりを支えたスタッフや観客への感謝を伝えています。さらに、プライベートライブラリーに参加した人たちの名前を、建立中だった自身の墓碑に刻みたいという思いも語りました。観客を作品づくりの一員として捉えていたことが伝わります。
- 2025年11月:富良野演劇工場の25周年を記念する石碑を寄贈し、除幕式に参加
- 2026年7月27日:富良野のアトリエで取材に応じ、肺の不調を語る
- 2026年8月29日:プライベートライブラリーが第90回を迎え、一区切りとなる
第90回は、公式サイトで様子を確認できる晩年の催しです。生前最後の公の場だったかどうかは確認されていません。富良野で創作を続けてきた倉本さんにとって、観客へ直接感謝を伝える節目となりました。
倉本聰さんの家族・子供とプロフィール

『北の国から』などで、親子や家族の姿を描いてきた倉本聰さん。ご本人は、どのような家族と歩んできたのでしょうか。
妻は俳優の平木久子さんです。倉本さんは父や母との思い出も取材で語っています。一方、子供については、異なる時期の本人の発言をそのまま一つの家族構成にまとめることができません。公表された言葉を確かめながら、プロフィールとあわせて紹介します。
妻や家族について公表されていること

倉本聰さんの妻は、俳優の平木久子さんです。2024年の『家庭画報』のインタビューでは、倉本さんのプロフィールに平木さんが妻として紹介されています。
『週刊女性PRIME』の人物取材によると、倉本さんが富良野へ移った後、東京で舞台俳優として活動していた平木さんも富良野で暮らし始めました。倉本さんにとって富良野は、作品を生み出す場所であり、家族と過ごす場所でもあったのです。
倉本さんが育った家族については、公式プロフィールに記されています。父は山谷太郎さん、母は綾子さん。倉本さんは三男二女の次男として、東京・代々木に生まれました。
父の思い出を語った朝日新聞のインタビューでは、親から受け継ぐものはお金だけではないと振り返っています。自分が物語を書くようになって、父が残した精神的なものの大きさに気づいたといいます。家族を描く作品の背景には、こうした倉本さん自身の経験もありました。
子供について確認できる情報はある?
倉本聰さんの子供については、本人が取材で言及していますが、公開情報だけで親子関係の詳細までは確認できません。
2022年に掲載された朝日新聞のインタビューでは、倉本さんは「僕には子どもはいません」と話しています。そして、富良野塾の塾生や『北の国から』の子役たちと接する際、父親のような役割を求められることがあったと語りました。
一方、2024年の『家庭画報』のインタビューでは、家庭での自身の振る舞いを話す中で「娘」に触れています。二つの発言がそれぞれ誰を、どのような関係として指すのかについて、確認した記事には説明がありません。
そのため、子供の人数や親子関係を決めつけることはできません。ただ、倉本さんが父から受けた影響を大切にし、自らも塾生や若い俳優たちと長く向き合ってきたことは、本人の言葉から伝わってきます。
倉本聰さんのプロフィール
倉本聰さんは東京出身の脚本家・劇作家・演出家です。東京大学卒業後、ニッポン放送を経て脚本家として独立。1977年に富良野へ移り、作品づくりに加えて俳優や脚本家の育成にも取り組みました。
- 氏名:倉本聰(くらもと・そう)
- 本名:山谷馨(やまや・かおる)
- 生年月日:1934年12月31日生まれ。戸籍上は1935年1月1日
- 年齢:享年91
- 出身地:東京都・代々木
- 身長:公式プロフィールに記載なし
- 体重:公式プロフィールに記載なし
- 学歴:東京大学文学部美学科卒業
- 職業:脚本家・劇作家・演出家
- 所属・活動:倉本財団理事長。富良野塾を開設し、富良野GROUPを主宰
- 家族について確認できること:妻は俳優の平木久子さん。子供の詳しい関係は確認できず
生年月日に二つの日付があるのは、公式プロフィールが実際の誕生日を1934年12月31日、戸籍上の日付を1935年1月1日と説明しているためです。「1935年生まれ」と紹介される場合があるのも、この違いによるものです。
代表作『北の国から』が始まったのは、富良野への移住から4年後の1981年。倉本さんの経歴をたどると、富良野での暮らしが創作の大きな転機になったことが分かります。
倉本聰さんの代表作と創作の歩み

倉本聰さんの代表作には、『北の国から』『優しい時間』『風のガーデン』などがあります。いずれも富良野を舞台にしていますが、描かれる家族や物語はそれぞれ異なります。
長い年月をともに過ごす親子、離れて暮らす父と息子、残された時間の中で向き合う家族。倉本さんは富良野の風景の中で、人と人との関係をさまざまな角度から描きました。2024年には映画『海の沈黙』も公開されています。代表作を順にたどり、創作の広がりを見ていきましょう。
『北の国から』が描いた富良野の家族

『北の国から』は、父・黒板五郎と子供の純、螢が富良野で暮らす姿を描いた、倉本聰さんの代表作です。1981年にフジテレビ系で放送が始まりました。五郎を田中邦衛さん、純を吉岡秀隆さん、螢を中嶋朋子さんが演じています。
東京から移り住んだ一家を待っていたのは、美しい景色だけではありません。慣れない生活や自然の厳しさの中で、親子は戸惑い、ときには気持ちをすれ違わせながら暮らしていきます。その日々を重ねる姿が、物語の中心にあります。
連続ドラマは全24回。その後も1983年の『’83冬』から『2002遺言』まで、8本のスペシャル版が放送されました。視聴者は20年以上にわたり、純と螢の成長、そして五郎との関係の変化を見守ることになります。
倉本さんは作品だけでなく、富良野という場所も視聴者の記憶に残しました。放送開始から長い年月がたった現在も、ロケ地を訪れる人がいます。家族の物語と実際の土地が結びついていることも、『北の国から』ならではの魅力です。
『優しい時間』『風のガーデン』などの作品

倉本聰さんは『北の国から』の後も、富良野で異なる家族の物語を描きました。2005年放送の『優しい時間』では、喫茶店「森の時計」を営む父・勇吉と、離れて暮らす息子・拓郎の関係が軸になります。勇吉を寺尾聰さん、拓郎を二宮和也さんが演じました。
2008年放送の『風のガーデン』は、死を目前にした医師が、絶縁していた家族のもとへ戻る物語です。中井貴一さん演じる主人公を通して、限られた時間を家族とどう過ごすのかが描かれます。
この作品では、舞台となる庭園を富良野に実際に造成しました。倉本さんは花選びに関わり、劇中で語られる独自の花言葉も考案しています。花が咲く時期に合わせて撮影を進めるなど、風景そのものが物語を支えました。
フジテレビは『北の国から』『優しい時間』『風のガーデン』を「富良野三部作」と紹介しています。ただし、三作は一つの家族を追う続編ではありません。年月を重ねる家族、離れた親子、再会を願う家族と、作品ごとに違う関係が描かれています。
映画『海の沈黙』に込めた思い

2024年公開の映画『海の沈黙』では、倉本聰さんが長年考え続けてきた「美とは何か」という問いを物語にしました。倉本さんが原作・脚本を担当し、若松節朗さんが監督、本木雅弘さんが主演を務めています。
物語の発端は、有名画家の展覧会で贋作が見つかる事件です。一枚の絵をめぐる出来事から、芸術の価値を誰が、何を根拠に決めるのかという問いが浮かび上がります。
倉本さんは『家庭画報』のインタビューで、着想につながった出来事として「永仁の壺事件」を挙げました。評価されていた美術品の来歴が変わると、人々の見方まで一変する。そのことへの疑問を、約60年にわたって持ち続けていたと語っています。
大学で美学を学んだ倉本さんにとって、映画にしたかったテーマの一つでした。取材では、ほかにも書きたいものがあると話しています。富良野で家族を見つめたドラマとは題材が違っても、人の判断や思いの奥にあるものを問い続ける姿勢が感じられます。
出典:映画『海の沈黙』作品情報、『家庭画報』倉本聰さんインタビュー
いかがでしたでしょうか?
倉本聰さんは晩年まで富良野を拠点に、創作への思いを伝え続けました。
『北の国から』をはじめとする作品には、人や家族、自然を見つめるまなざしが息づいています。
心に残る物語を届けてくれた倉本さんのご冥福をお祈りします。