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1990年代後半にジャニーズJr.として活動していた二本樹顕理(にほんぎ・あきまさ)さん。
二本樹顕理さんは、ジャニーズ事務所の故・ジャニー喜多川前社長の性加害を国会で証言し、注目が集まっています。
そんな二本樹顕理さんの若い頃はどんな少年だったのでしょうか?
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、二本樹顕理さんについてご紹介したいと思います。
二本樹顕理さんは、神奈川県横浜市の出身で、1983年8月22日生まれの現在39歳です。
二本樹顕理さんは、小学4年生から5年生の半ばまで、父親の仕事の関係でオーストラリアに滞在しており、英語が得意な少年だったそうです。
マイケル・ジャクソンが好きで、母親と来日公演を見た時「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と憧れを抱いていました。
そんな二本樹顕理さんは11歳頃から劇団に所属し、中学生になってから歌って踊れるアーティストを養成しているジャニーズ事務所へ、自分で履歴書を送っています。
そして、1996年夏にジャニーズ事務所から連絡が入り、母親付き添いでオーディションを受けました。
それから1ヵ月も経たないうちに、男性の声で「ここに来て」と日時と場所を伝えられたそうです。
そこはKinki Kidsの横浜アリーナのコンサート会場で、二本樹顕理さんもいきなり出ることになり、初めて合格と知り、1996年8月1日に正式にジャニーズ事務所へ入所しています。
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ジャニーズJr.時代の二本樹顕理さんの経歴は次の通りです。
華々しい活躍をしていた二本樹顕理さんですが、入所からわずか2年で退所しています。
その後は、再び父親の仕事の関係でアメリカのロサンゼルスへ移住し、16歳からアメリカのポップロックバンド『No Curfew』にリードギタリストとして加入。
MTVやミュージックフェスなどに出演し、主にヨーロッパで大規模なプロモーション活動を行い、メジャーデビューした経験があります。
当時のバンドのメンバーには、グラミー賞アーティスト「Thundercast」の名義で知られるStephen Bruner氏や、SantanaバンドのリードシンガーだったAlex Ligertwood氏の息子のBrandon Ligerdwood氏がいました。
2001年のバンド解散後は、ボストンのバークリー音楽院パフォーマンス科で学び、大学在学中にクリスチャンとなってゴスペルミュージックと出会い、以降はゴスペルを伝えるために、ゴスペル・ミュージシャンとして演奏することに注力してきました。
しかし、二本樹顕理さんは2004年に大学を中退し、日本へ帰国しています。
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二本樹顕理さんのジャニーズJr.時代の同期はかなり豪華なメンバーなので、ご紹介したいと思います。
●生田斗真(いくた・とうま) 入所日:1996年2月2月11日
●松本潤(まつもと・じゅん) 入所日:1996年5月17日
●二宮和也(にのみや・かずや) 入所日:1996年6月19日
●相葉雅紀(あいば・まさき) 入所日:1996年8月15日
●山下智久(やました・ともひさ) 入所日:1996年9月6日
●丸山隆平(まるやま・りゅうへい) 入所日:1996年9月22日
●横山裕(よこやま・ゆう) 入所日:1996年12月25日
●村上信五(むらかみ・しんご) 入所日:1996年12月25日
二本樹顕理さんの同期は他にもたくさんいますが、今でも活躍している人を中心にご紹介しました。
本当にそうそうたるメンバーですね。
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二本樹顕理さんは、現在、大阪府豊中市で「ギター/ウクレレスクール」を経営しています。
二本樹顕理さんのスクールでは、受講生1人1人のレベルに合わせたカリキュラムで、基礎から応用までしっかりと学べ、好きな曲や好きなジャンルが演奏できるようになります。
さらに、バンドアンサンブルからソロ演奏、レコーディングなど、幅広いステージで活躍できるミュージシャンになれるようにコーチングしてくれるそうです。
二本樹顕理さんのスクールのWEBサイトを貼っておきますので、興味のなる方はぜひ習ってみてはいかがでしょうか。
二本樹顕理さん宅のレッスンスペース以外にも出張レッスンを行っており、スタジオやカラオケボックスなどでもレッスンをしてくれ、オンラインレッスンなども提供しています。
★同じく故・ジャニー喜多川さんの性被害を顔出しで公表した橋田康さんとカウアン岡本さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな二本樹顕理さんを、引き続き注目していきたいと思います。