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東京品川区の自宅マンションの一室に遺体を放置した疑いで逮捕された、作家の高島望容疑者。
この事件の発覚は、高島望容疑者の家賃の滞納が原因で、裁判所の執行官が強制執行で容疑者の自宅に入ったところ、遺体が発見されました。
そんな高島望容疑者の経歴や元妻、さらには白骨死体の身元について、多くの人々が関心を寄せています。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、作家の高島望容疑者について、詳しくご紹介したいと思います。
作家の高島望容疑者には、海部俊樹元首相の秘書をしていた経歴があります。
高島望容疑者は1960年7月3日に島根県に生まれ、中央大学法学部法律学科を卒業後、政治家を目指して松下政経塾の5期生として活動していました。
彼の松下政経塾での研究テーマは「安全保障、危機管理、国際金融」で、5期生の同期には衆議院議員の高市早苗議員や伊藤達也議員らがいます。
また、高島望容疑者はその一方で、1987年にかつての大手消費者金融『武富士』に入社し、取締役人事部長、社長室長を歴任し、1994年に退社しています。
高島望容疑者は当時、政治の勉強をするために、海部俊樹元首相の秘書を務めたこともあり、1995年7月の参院選で地元の島根選挙区から、当時の新進党の公認を受けて出馬しましたが落選。
その2年後に、武富士の武井保雄会長について綴った著書『武富士流金儲けの極意 金貸しの神様 ここにあり』を出版していますが、その後は作家としての活動はないようです。
落選後、高島望容疑者は、かつてメディアでカルト教団と報じられた、政治・宗教団体『ザイン』の特別顧問や、国の安全保障や危機管理の研究活動組織『千年塾』を設立するなど、政治的な活動をしていました。
最近では、東京都品川区の自宅マンションで、白骨化した遺体を遺棄したとして逮捕され、多くの注目を集めています。
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作家の高島望容疑者の元妻は、『武富士』の元会長である武井保雄氏の娘です。
『武富士』は、かつて日本で最大手の消費者金融会社の一つで、1966年に武井保雄氏によって創業され、個人向けの高利貸しを中心に事業を展開し、「サラ金」として広く知られていました。
しかし、2000年代に入ると、過払い金返還請求の増加や経営問題が表面化し、2010年に会社更生法の適用を申請し、その後は他社に事業が引き継がれましたが、2017年に事実上消滅しています。
高島望容疑者は、武富士入社の翌年1988年に武井保雄氏の娘と結婚し、会長から後継者として期待され“帝王学”を学び、取締役人事部長や社長室長を務めました。
しかし、彼は政治家志望だったため1994年に退社し、その後、妻とも離婚して、現在は独身を続けていました。
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作家の高島望容疑者の自宅マンションで発見された白骨遺体について、まだ、身元が特定されていませんが、遺体は成人女性と見られています。
警視庁によると、高島望容疑者は被害者が亡くなっていたことを認識していた見られており、彼は「気が動転して、どうしていいか分からなくなってしまった。現実逃避してしまった。」と供述しているとのことです。
遺体はほぼ完全に白骨化しており、死亡した時期も不明で、警察は司法解剖などして死因や身元の特定を進めています。
高島望容疑者は家賃を滞納しており、12月17日に東京地裁の執行官が自宅に入った際に遺体を発見し、110番通報したことで発覚しました。
警視庁によると、高島望容疑者の自宅はいわゆる“ゴミ屋敷”状態で、彼は洋室に白骨化した遺体を放棄し遺棄したとしています。
高島望容疑者は現在は独身だったことから、発見された白骨遺体は一体誰なのか、今後の捜査の動向を引き続き注目していきたいと思います。