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アウトロー系のYouTuberとして活動している所沢のタイソンさん。
所沢のタイソンさんは「総合格闘技王者を失神させた喧嘩師」と呼ばれ、注目を集めています。
そんな所沢のタイソンさんとはいったい何者なのでしょうか?
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、所沢のタイソンさんについてご紹介したいと思います。
所沢のタイソンさんの本名は久保広海さんで、埼玉県所沢市の出身で、1982年11月10日生まれの40歳です。
職業は建築の防水業をしていましたが、現在は、自身のアパレルブランドを立ち上げたりYouTuberとして活動しています。
所沢のタイソンさんは、幼少期はごく普通の家庭に育ちますが、幼稚園の頃から喧嘩に明け暮れ、小学校時代には既に名前が通っていたとか。
中学校は1年生の時しか行っておらず、仲間とつるんで原付盗んだり喝上げしたり、喧嘩の強いヤツがいると聞けば乗り込んでぶっ飛ばすなど、悪い事ばかりしていたと言います。
中学校の卒業証書ももらっておらず、最終学歴は“小卒”だそうです。
“所沢のタイソン”というあだ名がついたきっかけは、池袋で先輩と深刻な話をしている時に、外国人が薬を売りに来て、あまりにしつこいため一発殴ったら、4~5メートル吹っ飛んだとか。
それで「お前のパンチすごいな。マイク・タイソンみたいだな」と言われたことからだそうです。
所沢のタイソンさんは、暴走族や組織に属したことはなく、20~30代は建設関係の仕事に就きながらも街で大暴れしていたとか。
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所沢のタイソンさんには2つ年上の兄がいましたが、兄は薬に手を出し薬漬けになってしまい自〇しており、兄の彼女もその10日後に後追い自〇しており、その事後処理が大変で精神的に追い詰められたそうです。
そんな所沢のタイソンさんは元“半グレ”のリーダーで、悪事を働いて月3000万円も稼いだことがあると明かしています。
そんな所沢のタイソンさんが喧嘩から足を洗ったのは、ある未解決の事件があり「もう、ちょっとやべえな」と思い色々人生も考えて、真面目に一から働こうと思って切り替えたそうです。
そして、所沢のタイソンさんは、ハローワークに行って求人を探して仕事をみつけ、真面目に働くようになったと言います。
2021年3月には自身のYouTubeチャンネルを立ち上げ、自身の半生を振り返る『所沢のタイソン』を出版し、大手通販サイトのランキング上位に入るほど、話題となっていました。
所沢のタイソンさんは「昔から喧嘩ばかりして暴れてたんですけど、本を出してからはそういう気持ちが全くなくなりました」と言い、“ちゃんとやらなきゃ”という責任感が生まれたと語っています。
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所沢のタイソンさんはこれまでに様々な逸話を語ってきましたが、それが“嘘”という噂があるようです。
所沢のタイソンさんが出版した本では、他のアウトローのことも書かれており、そっち側のファンから「タイソンが書いているのはフカシだ!」と言われ、“フカソン”というあだ名がついたとか。
所沢のタイソンさんの逸話は、次のような内容でした。
それでは、所沢のタイソンさんの嘘について見ていきたいと思います。
所沢のタイソンさんは、「関東連合のメンバーと4回もタイマンをはった」という話をしたことがあります。
しかし、この話を真っ向から否定しているのが、最終的に関東連合のトップとなった西山友紀さんです。
西山友紀さんは、親交のある瓜田純士さんのYouTube動画に出演した際「タイソンとは関東連合の誰とも面識がない」と告発しているため、所沢のタイソンさんが嘘をついている可能性が高いです。
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所沢のタイソンさんは、木村兄弟の弟の木村孔次朗さんとクラブで喧嘩し、ボコボコにしたという逸話があります。
木村兄弟とは、関東連合をも恐れさせた史上最強の兄弟と言われています。
先輩にクラブに呼び出された所沢のタイソンさんは、先輩が揉めてた相手が木村孔次朗さんで「自分が行きますよ」と言って先陣を切ったとか。
一方的にボコボコにし、最終的にパイルドライバーで地面に頭を叩きつけ、相手の首の骨を折ったそうです。
首の骨が折れれば高い確率で死に至りますが、木村孔次朗さんは生きており、所沢のタイソンさんのことも覚えていないそうです。
この件に関しては、所沢のタイソンさんは頑なに真実を主張していますが、嘘の可能性が高いですね。
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所沢のタイソンさんは、雑誌『実話ナックルズ』で「ドラゴン関係者をボコったこともある」と発言しています。
怒羅権(ドラゴン)は、日本の首都圏を拠点とする、中国残留孤児2世らを中心とした不良グループです。
このことについて、元ヤクザのYouTuberやから先輩が、実話ナックルズの編集室に「タイソンはドラゴン関係者と揉めてないと言ってるけど、記者が勝手に書いたのか?」と質問したそうです。
これに対して実話ナックルズは「基本的に本人のインタビューの内容からしか記事構成はしない。実際に“ドラゴン”という発言があったので記載した」と返答しています。
所沢のタイソンさんは「勘違いだったかも」と言い逃れをしていました。
所沢のタイソンさんは、YouTubeチャンネル『街録』の動画内で「総合格闘技王者と喧嘩して失神させた」と発言しています。
この話にSNSでは所沢のタイソンさんが、「Deep王者の白井選手に喧嘩で勝った」と噂になっていました。
これに関しては、そもそも総合格闘技のチャンピオンが街で喧嘩をするわけがなく、多くの場合、喧嘩は禁止されており、ましてや素人を相手にすることもないため、これは嘘の確率が高いですね。
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所沢のタイソンさんは、幼少期から喧嘩をはじめ、喧嘩に明け暮れる毎日を過ごしていました。
これまでに3000回のタイマンにのぞみ、“敗北”の文字は知らないそうで、格闘技の現役王者やアウトロー界の有名兄弟の弟とも対決しており、全て拳で闘ってきたとか。
所沢のタイソンさんは「ほぼワンパンで終わった。苦戦したのはチャンピオンとか数名しかいなかった。」と発言しています。
これまでに所沢のタイソンさんは、拳だけで9回骨折し、手術も6回行っており「プレートとかボルトが入ってるので、冬はちょっと寒い」と話しています。
20代の頃には、揉めた暴力団に単身で乗り込んだこともあるとか。
“喧嘩3000戦無敗”というは誇張しすぎかと思いますが、所沢のタイソンさんは「喧嘩なんか絶対しない方がいいですよ」と述べています。
SNSなどで中高生から「どうやったら喧嘩強くなりますか?」というメッセージがよく届くそうです。
それに対して所沢のタイソンさんは「自分の経験から、喧嘩なんか強くても、いいことなんて何一つなかった。喧嘩なんか絶対しない方がいい。俺みたいにならない方がいい」と諭しています。
今、所沢のタイソンさんの好きな言葉は「我慢」で、刺青でも「我慢」の文字を入れており、人生のテーマにしているそうです。
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所沢のタイソンさんの逮捕歴は13回で、懲役も1回行ってます。
ヤンチャばかりしてた10代の頃は、捕まったのは17歳の時の「傷害」の1度だけだとか。
20歳で結婚した所沢のタイソンさんですが、その直後に傷害と恐喝で逮捕され川越少年刑務所に入っており、そのためにすぐに離婚となり、子供は奥さんが引き取っています。
その時は、模範囚だったため1年出てこれましたが、その後もずっと悪い事ばかりしていました。
所沢のタイソンさんは30代になってから、毎年のように捕まることになり、9割が傷害だったとか。
原因は、酔っ払いとかが絡んでくるパターンが多く、スイッチが入ると歯止めが利かなくなり、ボコボコにしてしまうからだそうです。
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所沢のタイソンさんはある事件をきっかけに更生し、真面目に仕事を続け、独立を考えていたタイミングで、脅迫で逮捕されています。
所沢のタイソンさんは、機械音痴の先輩からある人物にメールを送って欲しいと頼まれたそうです。
最初は「電話でろよ」など普通の内容だったのが、ずっとシカトされたため、どんどん内容が過激になっていき、最後には「新宿とかで見かけたら、ただじゃおかないぞ。」と送信。
その内容が恐喝にあたり、メールを送信したのが所沢のタイソンさんの携帯だったため、逮捕されたのは所沢のタイソンさんになってしまったと説明しています。
警察の調べに対しては、代筆させた先輩を庇う形で名前を出さなかったため、所沢のタイソンさんは18日間拘留されたそうです。
この時、世間からは「全然“我慢”できてねぇじゃないか」と言われてたそうですが、こんな裏事情があったのですね。
【2024年1月12日追記】
所沢のタイソンさんは、1月10日に埼玉県警浦和署に脅迫容疑で逮捕されました。
警察によると、所沢のタイソンさんは2022年11月に、携帯電話で通話中だった当時31歳の男性に対して「お前が次にチョロチョロチョロチョロしたら、お前殺すからな、マジで」などと脅迫した疑いが持たれています。
その後の取材で、所沢のタイソンさんは2人の共通の知人が動画で「タイソンくん」と呼んだことに腹を立て、「あいつが君付けしたのはお前の責任だ」と被害者を脅したことが判明しました。
これで、所沢のタイソンさんの逮捕歴は14回になってしまいました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな所沢のタイソンさんを、引き続き注目していきたいと思います。