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俳優の香川照之こと市川中車さんの長男として知られる、歌舞伎役者の市川團子(いちかわ・だんこ)さん。
市川團子さんは男性ファッション雑誌『MEN’S NON-NO』に登場するなど、爽やかすぎるイケメンとして注目されています。
そんな市川團子さんの母親はどんな女性なのでしょうか?
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、市川團子さんについてご紹介したいと思います。
市川團子さんの母親の名前は知子さんで、JALの元CAだった美人女性で、夫・香川照之さんの5つ下です。
母・知子さんと父・香川照之さんは知人の紹介で知り合い、香川照之さんが一目惚れをして猛アタックをして交際がスタートし、1995年12月に結婚。
しかし、2年間の別居生活を経て、2016年12月に、21年間の結婚生活にピリオドを打ち離婚しています。
2人が離婚した理由は、知子さんが梨園の嫁としてやっていくことが耐えれなくなったからと言われています。
父・香川照之さんは、2012年に9代目市川中車を襲名し、市川團子さんと共に歌舞伎界に入っています。
それまで歌舞伎とは無縁だった知子さんは、突然梨園の妻になり戸惑っていたそうです。
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和服の着こなしから梨園の妻としての仕事を学び、市川團子さんの踊りの稽古の送迎や、演舞場での挨拶周りなどに奔走していたと言います。
さらに、義父の二代目猿翁(えんおう)さんと同居が始まると、介護の負担も重くのしかかり、知子さんは目に見えて披露困憊の様子だったようです。
それに加えて、母・知子さんは梨園の妻の先輩たちからの、いじめに遭っていました。
劇場のロビーで挨拶をする際も、知子さんにとっては知らない人ばかりで、後ろ盾がない知子さんには色々と教えてくれる人が誰もいなかったそうです。
それでも現場は知子さんが仕切らなければならず、そんな知子さんに対して先輩妻たちは冷ややかな態度で、知子さんが挨拶をしても無視するなどいじめの状態だったと言います。
そして、追い打ちをかけたのは、市川團子さんへの陰口だったとか。
伝統芸能の重鎮のひとりがブログで、市川團子さんのことを「只の駄馬」と酷評していたそうです。
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自分だけならまだしも、息子まで攻撃されたことで、知子さんの心は折れてしまい、2014年11月以降、知子さんは梨園から姿を消しています。
香川照之さんは、2014年の夏頃から既に家族で暮らしていた都内の自宅から、別のマンションへ引っ越しています。
別居の理由について知子さんは子供たちには「お父さんは忙しいから」と伝えていたそうです。
当初、別居は冷却期間のつもりでしたが、次第に夫婦の溝は深くなり、ついに弁護士を間に入れて離婚協議を行うまでに至ってしまいます。
結局、結論までに2年を費やし、2016年12月に離婚が成立しており、その際、香川照之さんは「私の力不足でこのような結果になってしまった」と会見で頭を下げていました。
香川照之さんと離婚したとはいえ、梨園との関係が全て切れるわけではなく、息子が市川團子を名乗っている限り、知子さんの周囲には歌舞伎の世界が取り巻き続けることになるとか。
知子さんのサポートなしには、市川團子さんは一人前の役者にはなれない世界だそうです。
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市川團子さんの兄弟は、妹が1人います。
妹の名前は非公開となっていますが、年齢は4つ下の2008年生まれで、今年15歳になります。
市川團子さんの妹の情報はほとんど分かりませんでした。
市川團子さんと妹の親権に関しては公表されていませんが、一部の報道によると「2人の子供は妻が育てることになった」とあるので、知子さんが2人を育ててきたようです。
市川團子さんの妹は、市川團子さんが歌舞伎を始めてから、両親が市川團子さん中心の生活になってしまい、疎外感から“赤ちゃん返り”になったとか。
また、歌舞伎のために眉毛を薄くしている香川照之さんの姿が怖くて、香川照之さんに近づこうとせず、その頃、母の知子さんは娘から目が離せず、付きっ切りになっていたそうです。
市川團子さんの妹の現在の情報が分かりましたら、また、お知らせしたいと思います。
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四代目市川猿之助さんは、市川團子さんの父・香川照之さんの従兄弟に当たります。
その市川猿之助さんが5月18日に、東京都目黒区の自宅から緊急搬送され、出演予定だった『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』の昼の部「不死鳥よ波濤を越えて」で、市川團子さんが代役を務めています。
稽古は5月19日の昼に行われ、市川團子さんはわずか1日の稽古で大役に挑みました。
かねてから市川猿之助さんは、市川團子さんに目をかけ共演もしており、市川團子さんは役者としての成長は著しく、立役、女形両方で活躍していることから、代役に抜擢されたそうです。
市川團子さんは約3時間の上映の中ほぼ出ずっぱりで、師匠の市川猿之助さんの衣装を手直しした、約10着を早着替えで披露。
粗削りながら、一夜漬けの代役であることを忘れさせる完成度で、主役と呼ぶに相応しい華と佇まいで、観客は驚きの連続だったそうです。
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劇中で、市川團子さんが「なんとしても生きろ」「死んではならぬ」という、全身全霊で訴えるシーンがあります。
市川猿之助さんに訴えかけるような熱演に、観客席からすすり泣きが聞こえ、終演後、歌舞伎では異例のスタンディングオベーションで称えられ、約7分ほど拍手が鳴りやまなかったそうです。
この公演を観劇した女性は「涙無くして、観られなかった。誰もが泣いていました」と言い、市川團子さんの演技について「一人で堂々と演じていた。澤瀉屋の血を凄い感じた」と称賛しています。
市川猿之助さんはかねてから「自分の体が元気なうちに後世に芸を伝えていきたい」と語っていたそうで、その指導を受け、未来の澤瀉屋を担う存在として市川團子さんが期待されていました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな市川團子さんを、引き続き注目していきたいと思います。