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バレーボール界で今注目を集めている、最高到達点353㎝で200cmの長身を誇る、甲斐優斗(かい・まさと)選手。
甲斐優斗選手は、2022年度日本代表候補に選出されており、その活躍が期待されています。
そんな甲斐優斗選手が、これまでどこの学校でバレーボールの取り組んできたのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
・甲斐優斗の父親
・甲斐優斗の兄弟
の3つのポイントに沿って、甲斐優斗選手について、ご紹介したいと思います。
甲斐優斗の出身中学と高校は?
甲斐優斗の出身中学
甲斐優斗選手の出身中学は、宮崎県延岡市緑ヶ丘にある公立校の、延岡市立延岡南中学校です。
出典元:スタディピア
延岡市立延岡南中学校は、昭和23年4月に開校し、東は日向灘に面し、西は愛宕山があり、自然豊かな環境にあります。
甲斐優斗選手は、小学2年生から父親が監督を務めていた、延岡南バレーボールクラブでバレーボールを始めています。
甲斐優斗選手は中学時代、アウトサイドヒッターでしたが、目立った成績はありませんでした。
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甲斐優斗の出身高校
甲斐優斗選手の出身高校は、宮崎県日南市にある男女共学の公立高校の、宮崎県立日南振徳高等学校です。
出典元:スタディピア
日南振徳高等学校は、2009年度の開校した総合制専門学校で、2010年度まで宮崎県立日南工業高校と併設され、学校施設を引きついでいます。
日南振徳高等学校の偏差値は40~45となっており、地域農業科・機械科・電気科・商業科・経営情報科・福祉科が設けられており、地域産業の担い手を育成をはかり、適正な教育環境を提供することを目的としています。
甲斐優斗選手は、入学時は身長185㎝でしたが、コロナの自粛中に「ずっと寝ていた」ことで、急激に身長が伸びたそうです。
身長の成長によって両膝が追い付かず痛めてしまい、高校2年生の時は半年間練習ができませんでした。
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甲斐優斗選手は、スクワットなどで下半身強化を行い、最高到達点も20㎝アップさせ、現在353㎝と高校生離れした高さとなりました。
出典元:サンスポ
甲斐優斗選手の高さを武器に、日南振徳高校は2021年の高校総体で初出場で8強入りを果たし、2022年の春高バレーでは3回戦では、昨年の高校総体準優勝の駿台学園を相手に42得点を上げ、撃破しました。
準決勝で鎮西高校に敗れたものの、甲斐優斗選手の才能は広く知らしめることになりました。
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甲斐優斗の大学は専修大!
甲斐優斗選手は、現在、専修大学経営学部の1年生で、バレー部に所属しています。
出典元:マナビジョン
専修大学は、1880年に開校した専修学校が前身となっており、1922年に現在の校名となっており、日本初の「経済科」と私学初の「法律科」を設けた大学です。
専修大学の偏差値は50~57.5で、段階的に専門性を高めるプログラムやコースが準備されています。
専修大学のバレー部は1947年(昭和22年)に創部され、2012年の春季2部リーグ戦で全勝優勝を果たして1部へ昇格し、同年12月の全日本大学選手権ではベスト4に進出しています。
さらに、2016年の東日本大学選手権では、悲願の初優勝を果たしました。
甲斐優斗選手は兄の後を追って、専修大学へ進学しています。
2022年5月、甲斐優斗選手は、日本代表の登録メンバー25名に選ばれています。
甲斐優斗選手は、「苦しい場面でしっかり決めれる選手にならないといけない。日本一を目指したい」と話しています。
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甲斐優斗の父親兄弟もバレー選手!?
出典元:UMK
甲斐優斗選手の父親は甲斐晃宏さんで、9人制の元実業団選手でした。
甲斐優斗選手は父・晃宏さんが監督を務めていた、延岡南バレーボールクラブで小学2年生から始めています。
父・晃宏さんを知る人は、「バレー馬鹿」と言われるほど、熱心な方で、息子たちへの指導も厳しかったと言います。
その父・晃宏さんは、2年前に大腸がんで亡くなっています。
甲斐優斗選手は、晃宏さんから言われた、「トスが上がったらスパイカーの責任だ」と、エースの心持を叩きこまれたそうです。
また、甲斐優斗選手は兄がいて、名前は甲斐孝太郎さんで、専修大学の3年生でバレー部に所属しています。
孝太郎さんも同じく、延岡南中学校から日南振徳高校を経て、専修大学へ進学しています。
孝太郎さんは専修大学のスタメンで、身長187㎝で最高到達点が335㎝の、セッターとして活躍しています。
甲斐優斗選手の母親もバレーボール経験者だったそうで、バレーボール一家ですね。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される甲斐優斗選手を、引き続き注目していきたいと思います。